〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(104)

2016年05月11日 16時22分17秒 | エッセイ
私というのは、生きるべく運命づけられている人間というよりも、なぜ生きているかを自分にたずねるべく運命づけられている人間のひとりだった。いずれにしても、いわば人生の「余白に」生きるべく運命づけられていた。
物のむなしい性格が、さらに私のなかで確固としたものになったのは、海に近くて、せっせと海にかよったことにもよる。いつも動いて、満ちひきをもっていた海。ブルターニュの海がそうであって、湾によっては、その海が、ほとんど目におさめられないほどのひろがりをもっている。なんという空白!岩、泥、海水…。毎日、一切のものがうたがわれ、問いにかけられるから、何物も存在しない。私はよく真夜中に小船にのっている私を想像した。目標は何もない。おき去りにされて、どうにもならないところへ、おき去りにされて。それに、星もなかった。
(「空白の魔力」より)
「孤島」J・グルニエ 井上究一郎 訳 竹内書店 1968年
                        富翁
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