〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

いよいよ皐月ですなあ

2016年04月30日 18時33分45秒 | 俳句
やや寒の 午後を過ごして おりまする
明日五月 朝顔の準備を しなくては
熊本の 被災の方々 気になりて
朝顔は 夏の顔なり 待っててね
安楽
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気になる一句

2016年04月29日 07時08分58秒 | エッセイ
明治34年の正岡子規は死の床にあった。動けない体の唯一、歌の視線なるものを用いて、和歌を作る。
ホトトギス、藤の花などの連句の素晴らしさと凄み。
牡丹もそうだが、一句だけ不思議な句がある。春の雨に打たれないよう、傘で牡丹を保護している庭先を歌う11の句の中に、
「夕くれにくもりかしこみあらかしめ牡丹の花に傘立つる人」
さてこの「人」とは誰なのか。誰何すると同時に子規その人と思えてならなかった。
横たわり五月の苦悶のさなかの子規は、自分自身を見ているように感じられる句。
自分の分身を見る…ドッペンベルガーを見た者は早晩死する運命にあるという奇説を、子規は知っていたのか。
この句のみ暗然と連句の中に輝いているように感じられた。


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雨中のゴルフ

2016年04月28日 18時50分02秒 | 紀行文
雨のなかゴルフをしました。ゴルフ場に集合したばかりに、老人たちの考えも
刻々と変化します。やれるかな、なるべくならやりたくない、などなど、揺れ動く
老人たちの気持ち、しかし、来たからにはやらないと、このような葛藤と9人という人間の
多数決で決めるのか、幹事の最終判断できめるのか、結局ハーフだけプレイし昼飯食って
終了しました。
先輩
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拾い読み備忘録(95)

2016年04月27日 17時42分33秒 | 哲学書
 (老子 上篇 第一章)
「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。「名」が名づけうるものであれば、それは不変の「名」ではない。天と地が出現したのは「無名」(名づけえないもの)からであった。「有名」(名づけうるもの)は、万物の(それぞれを育てる)母にすぎない。まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは『徼』(その結果)だけしかみることができない」のだ。この二つは同じもの(鋳型)から出てくるが、それにもかかわらず名を異にする。この同じものを、(われわれは)「玄」(神秘)とよぶ。(いやむしろ)「玄」よりもいっそう見えにくいもの(というべきであろう。それは)、あらゆる「妙」が出てくる門である。
「世界の名著 老子 荘子」責任編集 小川環樹 中央公論社 昭和43年
                               富翁
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へんぺん数え歌

2016年04月26日 06時30分13秒 | 俳句
「こ」れからは 春の空気に 馴染みゆく
「こ」のままで いてもらいたい 四季の神に
「の」んびりと 肌に平安 有難し
「つ」ぶやくも 夏の予感を 併せ持つ
安楽
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夜半、九時あたりより

2016年04月26日 06時25分05秒 | 俳句
歳ふりて 食事してすぐ 睡魔来る
朦朧の 意識をともない 風呂入れり
はた目覚め さんまのお笑い げらげらげら
そしてまた 眠気に押されて 枕にただよう
安楽with Deep Sleep
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拾い読み備忘録(94)

2016年04月25日 22時52分35秒 | 哲学書
本当の目覚めがあってこそ、始めてこの人生が大きな一場の夢であることが分かるのだ。それなのに、愚か者は自分で目が覚めているとうぬぼれて、あれこれと穿鑿してはもの知り顔をして、君主だといっては貴び牧人だといっては賤しんで差別をする。固陋(かたくな)なことだ。孔丘もお前もみな夢を見ているのだ。そして、わしがお前に夢の話をしているのも、また夢だ。……
「荘子 第一冊[内編]」金谷治訳注 岩波文庫 1971年
                       富翁
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拾い読み備忘録(93)

2016年04月24日 17時09分32秒 | エッセイ
  夢想
人間が死を怖れるのは、あたかも胎兒が世の中へ生れでるとき、どんな愛の手が待つてゐるか分からないで泣いてゐるようなものだと昔から言はれてゐる。この比較は慥かに科學的考査にはたへないだろう。しかし、うまい思ひつきの空想としてはなかなか美しい。かういふ空想がなんらの宗教的な意味を齎らさない人たち、つまり個人の精神は肉體とともに滅び、個性の永遠の存續はただ永遠の不幸を招くばかりだと信じてゐる人たちにとつてもこの空想は美しい。思ふに、この空想が美しいのは、とにかくそれがごく卑近な言ひ方で、絶對とは母性愛に限りがないごとく無邊際なものだといふことを多くの人に分からせたいという願ひを暗示してゐるからであろう。
……
「骨董」ラフカデイオ・ヘルン作 平井呈一訳 岩波文庫 1940年
                            富翁
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拾い読み備忘録(92)

2016年04月23日 19時43分26秒 | 俳句
  榎本其角
榎本(母方の姓、後改姓宝井)其角は、竹下東順が子なり。いまだ源助たりし時は、神田お玉が池に住せり。儒を寛斎先生に学び、医を草刈何某、詩を大巓(たいてん)和尚、書を佐玄竜、画を英一蝶に伝はりて、多能なり。…・・
 悪(にく)まれてながらふる人冬の蠅(はい)
 稲妻や昨日(きのう)は東けふは西
 名月や畳のうへに松の影
その縦横自在見つべし。…・・
「俳家奇人談・続俳家奇人談」竹内玄玄一著 雲秀末雄校注 岩波文庫 1987年
                                 富翁
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拾い読み備忘録(91)

2016年04月22日 21時02分51秒 | 哲学書
どんな人間でも、自分にとって善であるものが他者にとっては悪の原因であること、自分がいま占めている地位を他者が占めることはできないこと、従って他人の地位を剥奪しているのだということを理解するくらいの分別は、持ち合わせているに違いない。誰かの死は、つねに、後釜に座るべき場所と見なされてきた。ヘーゲルは、「子供の誕生、それは両親の死である」、と言った。
ジャン・グルニエ「存在の不幸」大久保敏彦訳 国文社 1983年
                           富翁
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腰痛悪化!

2016年04月21日 10時25分30秒 | 短歌
痛ててっ。疼痛ではありません、と言って鈍痛でもなく。
鈍いものが背中中央、重くあって嫌になりまする。(ハ~)

麻雀も パチンコしない 我が身なり
なぜにどうして 溜息とまらず

経年の 劣化が腰に 来たのかな
ああやんぬるかな 老化はいやだよ
安楽
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気になる一句

2016年04月20日 05時47分15秒 | エッセイ
また正岡子規の句。
「首あげて折々見たる庭の萩」
(鑑賞)余命いくばくもない歌人は病床から動けない。そのことは四大随筆で知られる通り。
このころの子規の作品は、あたかも「閉じられた」視界に映るものを歌っていた。これもそうだし和歌もそうだ。
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」
視界に子規の歌心が鋭い視線になって、平凡な情景が興趣を与えてくれる。まさに絶唱に近い。
安楽
※明治34、35年の作品。子規の亡くなる年である。凄いものです…。
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拾い読み備忘録(90)

2016年04月19日 17時17分13秒 | エッセイ
なぜならば、もうろくし始めると、呼吸、消化、思考、衝動、その他あらゆる類似の機能は失われないが、自分自身をうまく用うること、義務の一つ一つを明確に弁別すること、現象を分析すること、すでに人生を去るべき時ではないかどうかを判断すること、その他すべてこのように良く訓練された推理力を必要とする事柄を処理する能力は真先に消滅してしまう。したがって我々は急がなくてはならない、それは単に時々刻々死に近づくからだけではなく、物事にたいする洞察力や注意力が死ぬ前にすでに働かなくなって来るからである。
マルクス・アウレーリウス「自省録」神谷美恵子訳 岩波文庫 1956年
富翁
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拾い読み備忘録(89)

2016年04月18日 14時28分46秒 | 俳句
  行く春や海を見て居る鴉(からす)の子    諸九
 親鳥にはぐれたのか、鴉の子が一羽だけぽつんととまって、暮れゆく春の海をぼんやり見ているよ。季語は「行く春」で、春の句。
「鑑賞日本古典文学 第33巻 俳句・俳論」白石悌三 尾形仂編 角川書店 昭和52年
                                     富翁
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気になる一句

2016年04月17日 07時01分35秒 | 戯曲
正岡子規、明治28年の句。時は春。すでに病あり。
「春の夜の そこ行くは誰(た)そ 行くは誰そ」
(鑑賞)
すがるように寝たきりの歌人の人への思いが伝わります。
安楽
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