グルニエの本を読んだ。そこには彼のすべてがある。そしてぼくは、彼に寄せる讃嘆と愛が増大するのを感じている。まさに人間性から遠ざかろうと努めながら、できうるかぎり最大限の人間性を引き受けている、ということが言えるのは、彼自身についてなのだ。彼の本に統一を与えているのは、死の絶えざる現存だ。ぼくは、ぼくの生きかたをなんら変えたりしないのに、なぜグルニエのその観点だけでぼくがより荘重になり、人生の荘重さにより浸透されたものになるのかが、それでわかるのだ。
ぼくはぼくをこのようにしてしまう人間を知らない。彼と二時間もすごすと、いつも自分が膨らんでくる。どんなにぼくが彼のおかげを蒙っているか、そのすべてを、ぼくは果たして知ることができるのだろうか?
《「読書ノート(1933年4月)」より》
「直観」アルベール・カミュ 高畠正明訳 新潮社 1974年
富翁
ぼくはぼくをこのようにしてしまう人間を知らない。彼と二時間もすごすと、いつも自分が膨らんでくる。どんなにぼくが彼のおかげを蒙っているか、そのすべてを、ぼくは果たして知ることができるのだろうか?
《「読書ノート(1933年4月)」より》
「直観」アルベール・カミュ 高畠正明訳 新潮社 1974年
富翁