我々は戦争について公法学者たちのあいだで論議されているようなこちたい定義を、今さらここであげつらう積りはない。我々としては、戦争を構成している究極の要素、即ち二人のあいだで行われる決闘に着目したい、およそ戦争は拡大された決闘にほかならないからである。ところでかかる無数の決闘の集まりを一体として考えるには、二人の決闘者の所作を思いみるに如くはない。要するに決闘者は、いずれも物理的な力を行使して我が方の意思を相手に強要しようとするのである。即ち彼が端的に目的とするところは、相手を完全に打倒しておよそ爾後の抵抗をまったく不可能ならしめるにある。
してみると戦争は一種の強力行為であり、その旨とするところは相手に我が方の意思を強要するにある。
このような強力行使は、諸種の技術および科学の一切の発明を援用して装備に努め、もって相手の強力行使に対抗しようとするのである。なおこの強力行使は、国際法的慣習と称せられる幾多の制限を伴うけれども、しかしこれらの制限はいずれも微力であって殆ど言うに足りないものであるから、強力行為に本来の強制力を本質的に弱めるに到らないのである。
「戦争論」クラウゼヴィッツ著 篠田英雄訳 岩波文庫 1968年
富翁