〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(60)

2016年03月01日 17時06分42秒 | 言語学
「言葉は、それがある事象ないし概念を表すために用いられる以上、もちろん記号であることに変わりはない。しかしその形成と活動のあり方からすれば、それは独自の自立した存在、すなわち個体であり、すべての言葉の総体、すなわち言語である。それは、外的な現象とわれわれの内で活動するものの中間に位置する世界なのである」

 記号としての言語理解をこれほど頑強に斥ける際にフンボルトが反対しているのは、道具主義的な名づけの言語の理論である。それはつまり、表示(能記)の単なる総計とみなされた言語を、言語から独立して実在する他者たる概念や対象――つまり客観性――を名指す手段または道具として捉える言語観である。これに対して、フンボルトはきわめて明解なある認識をもっていた。それは、ルネサンスにおいて切り拓かれ、十七世紀の合理主義という空白期間を経た後、十八世紀に再びようやく広がり始めた認識、つまり、個々の言葉の意義は、個別言語において主観的に形成された内容であり、表示から自立して存在するどころかむしろそれと不可分の統一体を成しているとする認識である。
「フンボルトの言語思想」ユルゲン・トラバント著 村井則夫訳 平凡社 2001年
                                  富翁
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拾い読み備忘録(59)

2016年02月29日 16時33分33秒 | 言語学
フンボルトは、言語のうちに、絶えざる活動を見ることの重要性を主張したが、これは正当である。「言語とは実体にあらず出来上ったものにあらず、活動なり」という(Sie〔die Sprache〕selbst ist kein Werk,ergon,sondern eine Tatigkeit,energeia)[エルゴンとは作られたるもの、産物、エネルゲイアとは作り出す力、はたらき]。故に、言語は、発生論的にしか定義できない。言語とは、心の繰り返してやまぬ努力であり、文節された音を、思想をあらわすに用いるはたらきである。厳密に言うと、これは各個べつべつのことば行為に対する定義である。しかし言語とはまさしく本質的に、かかることば行為の総体と見なされなければならない。なんとなれば単語と規則は、われわれの平生の観念よりすれば言語を作るものではあるが、それが真に存在するのは、連続したことば(connected speech)の行為においてのみである。言語を単語や規則に分解するのは、われわれのへまな科学的分析から生ずる、死んだ産物にすぎない。言語にあっては、静的なものは一つもなく、すべては動的である。言語は、いずこにも(文字の上にすらも)、永住の処をもたない。その死せる部分は、不断に、心の中で再創造されなければならない。言語が存在するためには、それは話され、もしくは理解されなければならず、総体として、主体の中へ入らなければならない。
「言語」O.イェスペルセン著 三宅鴻訳 岩波文庫 1981年
                          富翁
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拾い読み備忘録(49)

2016年02月16日 16時26分20秒 | 言語学
語が重要であればあるほど、ますますその意味は曖昧になるようであるということ、これである。もっとも当てにならない語が常に基調語となる。一切がその使用に基づいて廻転する語、すなわち中枢語となる。何となれば、神秘的で解説を許さず、宿命であり、逆運であり、あるいは明晰と相互の理解への努力に対して投げられた詛呪とも言うべき思惟の法則によって、われわれはもっとも緊要な場所に、もっとも誤解されやすい言葉を使用するからである。しかし、もしいっそう精密に注意するならば、どうしてそうなるかは容易に知ることができる。われわれが問題を知的に考究しようとする際には、われわれは手をつけうる処、すなわち当該問題のもっとも容易な部分からはじめる。そして、これらの部分を取り扱うにあたっては、困難な部分を隠し、あるいは跨ぎ越す言葉を使用する。われわれは、これらの語に何の困難も存在しないかのごとく、あたかも万人がつねに同じ解釈をくだすと決っているかのごとくに、これを取り扱う。そして、その研究がようやく進むにつれて、これらの言葉こそ、誰もはっきりそうとそうと気づかないが、人によりどのようにでも解釈できる言葉であることを知るのである。どんな研究でも、その初期の段階で、これらの言葉が有用なのは、種々の解釈が可能であるということ、すなわち実際は種々異った働きをしているのに同一の働きをしているかのごとくにみえる、この能力によるのである。…・
「意味の意味」オグデン/リチャーズ共著 石橋幸太郎訳 新泉社 1967年
                                富翁
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拾い読み備忘録(38)

2016年02月06日 00時36分15秒 | 言語学
英語の語彙は文章語の面からみると、大部分ラテン語に基づいている。一つはラテン語から直接借入したもの、もう一つは知識階級の使うフランス語の語形を経由してきたものである。これに対して、教養のさほど高くない人々が日常用いる語彙は古期英語、いわゆるアングロ・サクソン語起源であり、また言語の文法的関係などを表わす屈折変化、数詞、代名詞、前置詞、接続詞もこのアングロ・サクソン語からきている。アングロ・サクソン語と並んで、これと同族言語の関係にある北欧諸言語から借入された語もかなりの数にのぼるが、これらの北欧系借入語は、当然ながらイングランド北部および東部の諸方言に最も顕著にみられる。英語の日用基本語彙の第三位を占めるものは、古期フランス語からの借入語である。古期フランス語というのは、ローマ軍の兵士やローマからの移住者が用いた話しことばのラテン語、いわゆる俗ラテン語(Vulgar Latin)から分化・発達した言語である。英語が他に類を見ないほど豊かな表現力をもつ言語となったのは、今のべたような語彙の複合的性格によっている。
「ことばのロマンス 英語の語源」ウィークリー著 寺澤芳雄・出渕博訳 岩波文庫 1987年
                         富翁
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拾い読み備忘録(25)

2016年01月23日 20時49分22秒 | 言語学
およそ発音や、文章構造や、また語形変化上の誤謬は、たしかに学校の先生にとっては困りものではあろうが、相互理解という言語本来の目的から見れば、[語幹そのものの誤りとは]ほとんど比較にならないほど軽少なものである。
言語の色々な要素の中で語が占めるこのような位置というものは、我々がごく卑近な欲求の伝達から、さらに高次な言語の現象形態に目を移してみても依然として変わらないものである。ゲーテやキーツやフローベールにおける詩的な美、ないし独特なものは一体どこにあるのだろうか。音の響きが重要なことも確かである。各人に特有な構文もまた効果を出すのに大いに役立っているだろう。しかしながらこの場合においてもやはりもっとも重要なものは言葉がいかにも詩人らしく、よく選ばれており適切であるということなのだ。
さてこのような語の途方もない重要性に直面して、言語学はどのような態度をとっているのであろうか。…・・
「意味と構造」エルンスト・ライズィ著 鈴木孝夫訳 講談社学術文庫 1994年(底本は1960年)
                       富翁
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