今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下のつれづれなるままのもろもろ。

高校演劇私感脱線

2013-12-05 | Weblog
もはやこのブログの時系列は無茶苦茶です、この文章もずいぶん前(2ヶ月前)に書いたやつ。
・・・
人生ではじめて高校演劇をがっつりと見た。いわゆる審査員というやつだ。直前に高校演劇の世界を描いた平田オリザの「幕が上がる」を読んでいたこともあり、またTPDをやってて、10代の演劇観というものに個人的に興味もあり、やってみることにした。
その中で、多くの発見があり、驚きがあり、そして失望もあったのだけど、そのあたりは書き出すと長いのでやめておく。
で、どうでもいいことを2つ連続で書く。

ひとつめ。僕自身、長い間悩んでることのひとつだ。それはアドバイスについて。
審査会の後に一校づつアドバイスをする時間がある。5分ほどだ。で僕は苦手だ。
そもそも具体的なアドバイスをすることの気恥ずかしさってある。
どう転んでも「偉そうになる」し、そもそも本当にあってるのかどうかわからない。
他人に具体的なアドバイスをしている人を横で見ていると、「うわ恥ずかしいこと言ってる」と思うことも多い。
で、演出家というのは、アドバイスをしないといけない場面がたびたびある。それも仕事のひとつだ。
そういうわけで僕はわりと抽象的なアドバイスばかりしてしまい、役者さんの頭の中に「?」が飛んでることが多い。
もちろん人によっては、具体的に言うよりはすこし回りくどい方が伸びしろが増える俳優もいる。
逆に具体的にしてあげた方が、どんどん演技をつかんでいく人もいる。
特に若い俳優は具体的な方法を求めたがる傾向があると思う。
昔は稽古場で僕が自分で「やってしまう」ことも多かったが、最近はほとんどしない。
それはなんていうか「エゴ」のような気がするのだ。
それも含めて一番は「恥ずかしい」。
とは言っても「心の中の悪魔と戦ってみたらどうでしょう」とか言い続けるわけにはいかないので、
3:7くらいの割合で(3くらいは)具体的なことも言う。

二つめは、等身大という言葉について。
等身大というものを僕らは勘違いしている、ということに気づいた。
等身大、というのは、今の自分が抱える問題を扱ったり、観客にとってみじかな問題を扱ったりすることを言いそうだ。対義語としては「背伸びしてる」とか「身の丈に合ってない」とかだろうか。
スターウォーズのことを等身大とは言わないですよね。
女子高生が女子高生が出てくる演劇をしたときに(そんでもって夢とか進路とかをテーマにしてたりすると)それを等身大という。
でもそれはホントに等身大なんだろうか、って思ったんだよね。
等身大って、ことは、ある程度自分の大きさや立ち位置がわかってるから言えるわけで、でも実際は、そんなものはわからない。
特に若いときはそれがわからない。
今、自分がどこにいるのか、なんてほとんどわからない。あとあと、後ろを振り返ったときに、ああ私はあの場所にいたんだ、と理解できることがほとんどだ。と僕は思う。
青春という現象がなにかと言うと、それはほとんどが「混乱してる」ことを指している。
わけもなく、壁をぶん殴るようなこと、そして拳から血を流すことが、青春なんだと思う。
思うこともままならない。思ってもどうしたらいいかわからない。さらには思い通りにいかない。

高校生たちが壁をぶん殴り、拳から血を流してる演劇を作ってるのを見ると、まだまだ俺も頑張ろうと普通に思うのでした。

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