生きてるのか死んでるのかで言うと、役者さんとたまに言い争いになる案件に「生きてるのか死んでるのか」問題がある。その俳優さんにリチャードさんという役が回ってくる。戯曲上、リチャードさんはどうやら死んでるかもしれないし、生きてるかもしれない、よくわからない。「演出上、どうですか?」と訊かれる。僕は「どっちでもいい」と思うのだが、なかなか納得してもらえない。演じる上で「生きてるのか死んでるのか」は確かに重要である。別に観客にそのことを伝えることが大事なのではなくて、役者の責任として「ふまえておきたい」ということらしい。
これは生きてるか死んでるかだけではなく、おうおう、他のケースで現れる。この人は「教師なのか生徒なのか」「男か女か」「現実か夢か」「おならをしたのかしてないのか」「いいやつか悪いやつか」「パンを食べたのか食べなかったのか」「俺かお前か、お前か俺か」様々ある。僕はスタンスとして「どっちでもいい」が常だけど、それでよく怒られる。やれやれ。演出家は不完全な神様なのです。
これは生きてるか死んでるかだけではなく、おうおう、他のケースで現れる。この人は「教師なのか生徒なのか」「男か女か」「現実か夢か」「おならをしたのかしてないのか」「いいやつか悪いやつか」「パンを食べたのか食べなかったのか」「俺かお前か、お前か俺か」様々ある。僕はスタンスとして「どっちでもいい」が常だけど、それでよく怒られる。やれやれ。演出家は不完全な神様なのです。
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