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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

3月12日に浪江町に現れて警告していった防護服とマスクの男たち

2011年10月06日 | 環境・天災・健康
頼む、逃げてくれ 〈プロメテウスの罠〉
福島県浪江町の津島地区。東京電力福島第一原発から約30キロ北西の山あいにある。原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。菅野(かんの)みずえ(59)の家にも朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。築180年の古民家を壊して新築した家だ。門構えが立派で、敷地は広い。20畳の大部屋もある。避難者を受け入れるにはちょうどよかった。門の中は人々の車でいっぱいになった。(中略)人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。みずえは家にあるだけの布団を出した。

そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。
 「何? どうしたの?」
みずえが尋ねた。
 「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
みずえはびっくりした。
 「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
 「放射性物質が拡散しているんだ」。真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。

2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか。
こういう話は他でも聞いた(読んだ)ような気がするが、いまいち続報が無いというか、よく分からない。本当だとして(?)、この二人の男は誰なんだろう。

自衛隊の人かもしれない(そういう話もあったような)。この当時、東電関係者はそれこそパニックであり、こんな警告をして歩く連中はいそうもない。また政府の指示でもない。比較的、能動的・自発行動的に動く連中であるはずだ。そういう前提に立つと、自衛隊なら、ありそうな事に思えるが、「白いワゴン車」があてはまらないようにも思える。何らかの研究機関に属するような人たちが、事故の影響を確認するため、放射線量の実態調査に即行して、たまたま浪江町のそこへ立ち寄ったと考えるのが妥当か。

それにしても、この時、なぜ政府も官僚も機能していなかったのだろう。情報がなかったわけではない。ただ、知られる限り、エリートパニックに陥っていたと考えられている。

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