つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

放下著

2024-09-23 06:44:03 | 日記

本職はイラストレーター・文筆家なのだそうだが、田中ひろみさんがこんな言葉を教えてくれた。

仏像への興味が募り、結果的に仏教を学んだのだが、自身の宗教観はそれほど高くはないそうです。

そんなところが、いい加減なおいらにちょうどいい感じだ。

 

◆放下著(ほうげじゃく)と読むそうだ

 なんか、下着を放り投げるとも読みそうだが、全然違う。

 唐の時代の禅僧の禅問答から。

 何もかも捨てて一物も持っていないがどうすればいいのか、に対し。

 「放下著」(捨ててしまえ)なのだ。

 

 一時期はやった「断捨離」にも通ずるのかもしれない。

 何かを捨てて、隙間ができれば、何か別の新しいものが入ってくるようだ。

 そしてそれは、モノだけではなく、欲望やプライドについても言えるようだ。

 すべて捨てる!ことにより、心にも余裕ができて新しいことを吸収できるのだ。

 

 とはいえ、家族や職を捨てるのは無理だろう。

 我々は禅僧ではないのだから、身の回りから始めればいいらしい。

 粗品でもらった文具は捨てるとか、同じものがふたつあればそれは誰かに譲るか捨てればいい。

 そんなところから、モノや物事への執着やこだわることから抜け出せるそうだ。

 

 →これも少しずつ実践したいことです。

 


時は積もる

2024-09-22 06:41:38 | 日記

往年の?大女優山本富士子さんが、詩の一節として、こんな言葉を紹介してくれている。

「ミス日本」の初代優勝者だそうですね。

なかなかに興味深い言葉だ。

 

◆時は過ぎ去るものではない

 「1トンの砂が、時を刻む砂時計があるそうです

  その砂が音もなく巨大な容器に積もっていくさまを見ていると、

  時は過ぎ去るものでなく、心のうちに、からだのうちに積もりゆくもの

  ということを実感させられるものです」

 

 私(山本富士子女史)は、この言葉に出会うまでは、時は過ぎ去るものと考えていました。

 こうしてお話しているときも、もちろん刻々と過ぎていきます。

 だからこそ、この一瞬一瞬を大切に、一日一日を大切に、いい時を自分の心や身体の中に積もらせていくことが大事なのです。

 それがやがて、豊かな心やいい人生を紡いでいってくれる、そう受け止めています。

 今日一日を精一杯生きることの大切さを改めて実感させられました。

 

 →そういうことなんでしょうね。

  「時」というものは、「人生」と同義なのかもしれません。

  しっかり、積もらせていきたいものです。

 


受け止めを「歪め」てみる

2024-09-21 06:51:30 | 日記

今日は、おトクな情報を得た感じだ。

それは、心理学者の内藤誼人氏のこんな説明だ。

顧客からクレームを受けたり、上司から叱責を受けたり、あるいは友人から嫌なことを告げられたりすることがあるだろう。

そんな時にはあえてそれらの言葉を、よい方向に「歪(ゆが)め」て解釈するのだ。

 

◆ポジティブバイアス

 心理学では、心の歪みのことをバイアスという専門用語で呼ぶ。

 そしてそれをよい方向に歪めて解釈することをポジティブバイアスというのだ。

 だから、ストレスを感じにくい体質になりたいのであれば、ポジティブバイアスを積極的に用いればいい。

 ・上司にこっぴどく説教されたら

   これは愛のムチなんだろうなとか、愛情の裏返しなんだろうと思う。

   それだけ自分は期待されているってことだな、でもいい。

 ・女性に挨拶して返事が返ってこなかったときは

   僕を意識して、ちょっと照れてるのかな、と誤解すればいい。

 

 ストレスを感じるような事態が発生しても、とりあえずよい方向に解釈しておけばいいということだ。

 自分自身をだましてしまうわけだ。

 実際、米国テネシー大学の研究では、夫婦仲の良い家庭は、互いにポジティブバイアスが習慣になっていると突き止めた。

 ・奥さんに口うるさく言われても、それだけおいらを愛してるからだなと感じる。

 ・部屋でたばこを吸うなにも、おいらの健康を気遣ってくれているなと感じる。

 ・相手が思い通りに動かないときは、神様からの試練であって、この次にはきっといい理解が得られるだろうとかだ。

 とにかく、自分の都合の良いように解釈していればいいのだ。

 

 →なるほどですが、そんなにうまくいくのかな? でもやってみる価値はありそうですね。

 

 


鷹の渡り

2024-09-20 06:40:51 | 野鳥

暑かった夏もそろそろ終わりに近づき、鷹の渡りの季節となった。

名古屋住みのおいらは、伊良湖岬や岡崎扇子山が近いのだが、例年信州松本の白樺峠まで遠征している。

今年も野鳥の会の情報を得ながら、天候のチャンスを待っていた。

 

◆読み間違えました

 ここ数日の天候から言って、9月18日がチャンスだと思い午前5時半に出発しました。

 結果は大失敗で、この日は終日で47羽しか飛びませんでした。

 この時期としては、最低数でしょう。

 条件が整えば、2,000~4,000羽ほども飛ぶのですが。

 現地には10時に到着し観察を開始したのですが、13時には雷雲が近づき撤収に追い込まれました。

 

 そこでもうひとつの目的の、乗鞍高原の日帰り白濁の硫黄泉にたっぷりと浸かってきました。

 さらに自分へのお土産として、信州の地酒「千曲錦」・「七笑」・「木曽路」の300mlを購入しました。

 今月中に再挑戦したいものです。

 

 〇野鳥写真としての価値はありませんがこんな感じです、ハチクマとサシバ

  

  

  

  

  

  

  次回に期待したいものです。

 

 


朝顔の花

2024-09-19 06:45:53 | 日記

ちょっと季節を外れてしまったが、朝顔の花。

毎日朝が来れば、勝手に咲くものだと思っていました。

だが、作家五木寛之氏がこんなことを教えてくれた。

 

◆小さくても微かな光は必ずある

 朝顔の花は、朝の光を受けて咲くものだと思っているでしょう。

 そうではないんです。

 朝顔のつぼみに、24時間でも48時間でも光を当て続けても花は咲かないんです。

 朝顔の花が咲くには、朝の光に当たる前に、夜の冷気と闇に包まれる時間が不可欠なんです。

 

 そこは、人間も同じではないでしょうか。

 明るいところで光を見ても、その明るさは感じにくい。

 闇の中で光を見るからこそ、それを光明と感じて感動し、生きる意欲も生まれてくるのです。

 

 だから、暗くて重い現実の中にも、小さくて微(かす)かな光は必ずあります。

 そして、どちらを見つめるかで、生き方は大きく変わってくるものです。

 世の中の荒波を乗り越えて、何とか今日まで生きてきた。

 とりあえずいま生きていること、そのことの価値を認めて、一日一日を積み重ねていきたいものです。

 

 →そういうことか、もう少しだけ頑張ってみましょう。