新年度が始まった。でも1日に学校行って、2、3日と休みだとなんとなく新年度が始まった感がないねー。新3年生も「もう受験生なのに、まだ実感湧かないー」って言っている。
計画停電が最近回避されていて、ちょっとうれしい。実は計画によると、4月の入学式の時間に停電が計画されていることが分かり、ヤバいって話になっている。たぶん、このまま行けば回避されるかなーって期待はあるんだけど、まだまだどうなるか分からないので、一応、学校に発電機あるかとか、教頭がチェックしていた。いざとなったら、自家電源だ作戦らしい(笑)
自家電源で考えてみると、計画停電が回避されるようになって来たのは、春になって日が長くなり、暖房も必要にならなくなって来たという理由かららしい。まぁ、これで当分は何とかなるとしても、あとは夏の昼間だね。東京の高層ビルなんかは、転落防止のために窓開かないし、エアコンがないとガラス張りの温室状態になっちゃうっていう危険がある。そこで考えられるのは、ビルには太陽電池式の強制排気装置をつけること。それから、屋上などには太陽光パネルを設置すること。学校や公的施設も屋上は全部太陽光パネルにしてしまえば良いと思う。そうすれば、夏の昼間に電力が足りなくなるってことはなくなると思う。・・それでも足りなくなったら、夏の13時~14時くらいの一番電力の足りない間は「お昼寝タイム」にする(笑)・・なんて冗談を言っている場合ではないので、どちらかというと、太陽光パネルが現実的な線ではないかと思う。関東地方の電力需要を賄うために太陽光パネルを大量生産すべし!!
テレビ見ていると、津波に襲われた町では「防波堤が役に立たなかった」なんていう発言があるけど、本当に役に立たなかったのだろうか? 結果的に大きな被害を生んで入るけど、少なくとも津波の勢いは、かなり減ったのではないか? 防波堤がなかったら、もっと被害が甚大だったのでは?とも思う。
さて、復興についても次第に議論されて行くようになるだろうけど、これからは地震や津波に強い街作りを考えて行くことになるのだろう。いろいろ考えると知りたくなるのが、今回、津波の被害のあった地域の標高。実は縄文海進期の海岸線と言われる10mあたりと一致しないかな?・・そんなことをふと思った。今回の津波は1300年くらい前の貞観の大津波とほぼ規模が同じと考えると、1000年に一度くらいの大津波なのかなと思う。そう考えると、東北地方は縄文時代にも何回か大津波に襲われているはずである。縄文集落が台地上にあるのも食糧事情だけではなさそうな気がする。そして弥生時代には記憶の風化と生産の必要から平野部に集落が展開する。こんなことを繰り返して来たのかも知れない。今回はどうするのか、1000年に一度の大津波を恐れて、生産拠点である平野部を捨てるのか?というのが難しいところ。確かに多くの人命が失われたことを考えれば・・と思うと安全に暮らすためには平野部は厳しいなと思う。しかし、漁業や水産加工などに従事する人は港がなければどうすることも出来ない。今後も大規模とは言わずとも、多少の津波は起こりうるだろうことから、津波の危険地域は、緊急避難施設を整えたり、多少の津波に強い街作りをしなければならないだろう。高台に住宅地を作ると言っても、高齢社会では厳しいものがあるなぁと思う。復興プランも高齢者や社会的な弱者に対して、相当配慮が必要になって来るだろう。かと言って、あまり議論ばかりしていても、復興は進まないのでつらいところだと思う。
最近、いろいろ考えてしまうのが、縄文早期って地震が多かったのかなということ。愛鷹山の土層観察ではFB(富士黒)層などに断層が多く見られる。そして、そのFB層の色合いはやや赤みがかった黒色土なのだけど、その赤みって天城山の火山灰かな・・と考えている。中伊豆の土層観察では、カワゴ平パミスの厚い層の下に黄褐色の縄文前期の土器が出土する層があって、その下に赤みの強い厚い火山灰層があって、これが早期の層と考えている。そうすると、赤みの強い火山灰はおそらく天城山の噴火のもので、それが周辺にも飛んでFB層に混ざって来るのではないのかな。だとすると、火山は噴火するし地震は多く起こるし、縄文早期はなかなか過酷な環境下に人間が生活していたことになる。しかも、その上部には富士山由来の火山灰が入って来るので、東海地震が起きて富士山まで噴火していたなんて凄まじいなと思う。
計画停電が最近回避されていて、ちょっとうれしい。実は計画によると、4月の入学式の時間に停電が計画されていることが分かり、ヤバいって話になっている。たぶん、このまま行けば回避されるかなーって期待はあるんだけど、まだまだどうなるか分からないので、一応、学校に発電機あるかとか、教頭がチェックしていた。いざとなったら、自家電源だ作戦らしい(笑)
自家電源で考えてみると、計画停電が回避されるようになって来たのは、春になって日が長くなり、暖房も必要にならなくなって来たという理由かららしい。まぁ、これで当分は何とかなるとしても、あとは夏の昼間だね。東京の高層ビルなんかは、転落防止のために窓開かないし、エアコンがないとガラス張りの温室状態になっちゃうっていう危険がある。そこで考えられるのは、ビルには太陽電池式の強制排気装置をつけること。それから、屋上などには太陽光パネルを設置すること。学校や公的施設も屋上は全部太陽光パネルにしてしまえば良いと思う。そうすれば、夏の昼間に電力が足りなくなるってことはなくなると思う。・・それでも足りなくなったら、夏の13時~14時くらいの一番電力の足りない間は「お昼寝タイム」にする(笑)・・なんて冗談を言っている場合ではないので、どちらかというと、太陽光パネルが現実的な線ではないかと思う。関東地方の電力需要を賄うために太陽光パネルを大量生産すべし!!
テレビ見ていると、津波に襲われた町では「防波堤が役に立たなかった」なんていう発言があるけど、本当に役に立たなかったのだろうか? 結果的に大きな被害を生んで入るけど、少なくとも津波の勢いは、かなり減ったのではないか? 防波堤がなかったら、もっと被害が甚大だったのでは?とも思う。
さて、復興についても次第に議論されて行くようになるだろうけど、これからは地震や津波に強い街作りを考えて行くことになるのだろう。いろいろ考えると知りたくなるのが、今回、津波の被害のあった地域の標高。実は縄文海進期の海岸線と言われる10mあたりと一致しないかな?・・そんなことをふと思った。今回の津波は1300年くらい前の貞観の大津波とほぼ規模が同じと考えると、1000年に一度くらいの大津波なのかなと思う。そう考えると、東北地方は縄文時代にも何回か大津波に襲われているはずである。縄文集落が台地上にあるのも食糧事情だけではなさそうな気がする。そして弥生時代には記憶の風化と生産の必要から平野部に集落が展開する。こんなことを繰り返して来たのかも知れない。今回はどうするのか、1000年に一度の大津波を恐れて、生産拠点である平野部を捨てるのか?というのが難しいところ。確かに多くの人命が失われたことを考えれば・・と思うと安全に暮らすためには平野部は厳しいなと思う。しかし、漁業や水産加工などに従事する人は港がなければどうすることも出来ない。今後も大規模とは言わずとも、多少の津波は起こりうるだろうことから、津波の危険地域は、緊急避難施設を整えたり、多少の津波に強い街作りをしなければならないだろう。高台に住宅地を作ると言っても、高齢社会では厳しいものがあるなぁと思う。復興プランも高齢者や社会的な弱者に対して、相当配慮が必要になって来るだろう。かと言って、あまり議論ばかりしていても、復興は進まないのでつらいところだと思う。
最近、いろいろ考えてしまうのが、縄文早期って地震が多かったのかなということ。愛鷹山の土層観察ではFB(富士黒)層などに断層が多く見られる。そして、そのFB層の色合いはやや赤みがかった黒色土なのだけど、その赤みって天城山の火山灰かな・・と考えている。中伊豆の土層観察では、カワゴ平パミスの厚い層の下に黄褐色の縄文前期の土器が出土する層があって、その下に赤みの強い厚い火山灰層があって、これが早期の層と考えている。そうすると、赤みの強い火山灰はおそらく天城山の噴火のもので、それが周辺にも飛んでFB層に混ざって来るのではないのかな。だとすると、火山は噴火するし地震は多く起こるし、縄文早期はなかなか過酷な環境下に人間が生活していたことになる。しかも、その上部には富士山由来の火山灰が入って来るので、東海地震が起きて富士山まで噴火していたなんて凄まじいなと思う。