余部の鉄橋から落ちた帽子
2008年11月25日(火)作成
余部の鉄橋を見ると思い出すことがある。それは義母の話だ。
余部の鉄橋を列車で通る時、乗客は窓から下を覗き込み、風で帽子が飛ばされる。そのため、その下の住人は帽子を買うことがないというのだ。
義母は、決して、面白おかしく話しをする方ではない。しかし、私は、この話を聞いて、腹を抱えて笑った。
義母は、私が不機嫌になったら、この話をして、笑わせると言った。夫婦喧嘩でもした時に話そうと思っていたのか。
しかし、義母から二度とこの話を聞くことなく、義母は9年前に逝った。
余部の鉄橋は、1912年、2年の歳月と33万1千円の巨費をかけて完成した。高さ41.5m、長さ309.41mの規模は、当時東洋一であった。
この余部の鉄橋で1986年大惨事があった。突風により、列車が転落し、真下にあったカニ加工場を直撃。6名が死亡、6名が重傷を負う未曾有の事故になったのだ。
鎮魂のため、聖観世音菩薩像が建立されている。
現在、2010年完成に向けて、コンクリート橋に架け替えられている。
於:2008年11月23日、鳥取県香美町。
2008年11月25日(火)作成
余部の鉄橋を見ると思い出すことがある。それは義母の話だ。
余部の鉄橋を列車で通る時、乗客は窓から下を覗き込み、風で帽子が飛ばされる。そのため、その下の住人は帽子を買うことがないというのだ。
義母は、決して、面白おかしく話しをする方ではない。しかし、私は、この話を聞いて、腹を抱えて笑った。
義母は、私が不機嫌になったら、この話をして、笑わせると言った。夫婦喧嘩でもした時に話そうと思っていたのか。
しかし、義母から二度とこの話を聞くことなく、義母は9年前に逝った。
余部の鉄橋は、1912年、2年の歳月と33万1千円の巨費をかけて完成した。高さ41.5m、長さ309.41mの規模は、当時東洋一であった。
この余部の鉄橋で1986年大惨事があった。突風により、列車が転落し、真下にあったカニ加工場を直撃。6名が死亡、6名が重傷を負う未曾有の事故になったのだ。
鎮魂のため、聖観世音菩薩像が建立されている。
現在、2010年完成に向けて、コンクリート橋に架け替えられている。
於:2008年11月23日、鳥取県香美町。