団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

続・トヨタの「シェァ」

2007-11-27 20:51:46 | 

続・トヨタの「シェァ」

2007年11月27日(火)


 私は、11月1日付の「トヨタの「シェァ」」で、10月のトヨタのシェァが52±1%と予想した。(軽自動車を除く。)

 今日(27日)、トヨタが発表したところによると、結果は「51.6%」(前年同月差+2.2ポイント)だった。私の予想は「±1%の幅」を持たせたものだったのだが、当たったのである。

 トヨタが好調だったわけだが、私も予想が当たった調子にのって、11月のシェァも予想することにした。
 私の予想は、「51.8±0.5%」だ。(幅を狭めたので、リスキーな予想です。予想が外れた場合、責任を取ります。どうかその責任の取り方について「コメント」をお寄せください。)

 10月より、0.2ポイント増やした理由は、トヨタの新車攻勢の勢いがまだ続いていると見ていることが、主要なものだ。次は、他メーカーがトヨタほど勢いがないということがある。

 しかし一方、シェァがそんなに増えないという、不安材料もある。それは、ホンダのフィットがモデルチェンジし10月26日から販売になり、11月にフル販売になるからだ。初代フィットは、2001年6月21日に発売になったが、その時は1か月後までの間の受注台数は、何と48,000台!だった。
 私の知る限り、発売1か月後の受注台数が48,000台を超えた車はその後ない。
 そして、2002年の年間販売台数は、それまで33年間1位を守り続けたトヨタのカローラを上回り、1位になったのである。

 話は、トヨタに戻るが、トヨタには子会社として、ダイハツと日野がある。冒頭の10月のトヨタのシェァ51.6%よりもっと驚いたのは、トヨタは子会社を合わせ、軽自動車も含めたシェァで10月、何と47.0%(前年同月差+2.9ポイント)となったことだ。
   注 トヨタには資本系列会社として、いすゞとスバルがあるから、これを含めると、優に50%は超えている。

 いよいよ、私が予想していた、トヨタによる自動車市場における過半数支配が、時間の問題になったようだ。

 市場原理として、安くて良い製品がよく売れるというのは当然である。
 だが、しかし、私が昔大学時代に学んだことを薄っすら、記憶を思い出すと、寡占企業が「市場支配」をする弊害が出るようになるということだ。
 勿論、現在は独占禁止法等というものがあり、形の上では、そういった弊害をなくするようになっているが、現実は今でも、「トヨタによる価格支配はある」というのが、自動車専門誌が書いているところだ。

 市場に全て任すというのが、「市場原理主義者」であろうが、その弊害は、今後益々大きくなっていくだろう。

 それはともかく、トヨタの社名が「タカラ」であったなら、シェァの予想が当たったので、宝くじにも当たり儲けていただろうなと「妄想する」ちっぽけな人間です。

 ここで、訂正とお詫びがあります。
11月1日付の「トヨタの「シェァ」」で、「昨年の10月は49.4%を占め史上最高のシェァとなっていた。」と書きましたが、昨年(2006年)11月は49.4%と10月と小数点第1までは同率ながら、10月を上回り11月が「史上最高」でした。ここに、訂正とお詫びを申し上げます。


(追記・2008年6月16日)
 2008年11月のシェアは、50.5%(前年同月差+1.1ポイント)と5ヶ月連続で
前年同月実績を上回るとともに、11月としては過去最高となった。
 しかし、私の予想「51.8±0.5%」は外れた。
 頭を丸めました。


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生活習慣症

2007-11-26 18:57:15 | 健康・病気

生活習慣症

2007年11月26日(月)


 「生活習慣病」を誤って「生活習慣症」と書いたわけではない。あえて、「症」としたのだ。

 私は、歯を磨く場所を風呂場としている。湯船に浸かって、ゆったりした気分で十分時間をかけて磨く。歯磨き粉(「粉」とは古めかしい。)もめったに使わない。

 それでも、虫歯は右下臼歯がC1で30年程度変化がなく、そういったこともあり、歯医者には20年以上行った記憶がない。

 話がそれてしまったが、私がここで使う「生活習慣症」とは、日常知らず知らずに行っていることが、慣れっこになって、日常と違う場面に遭遇すると、とんだ失敗(場合によれば事故)をすることになるということだ。

 先にも書いたように、私は風呂場で歯を磨くので、洗面台から歯ブラシを持って風呂場に入る。ところが、磨き終わった後、歯ブラシを元の場所に戻さないのだ。

 私としては、どうせ風呂場で磨くのだから、洗面台に戻す必要がないという思いなのだが、妻が余計なことに、毎日洗面台に戻す。

 このことで、先日失敗した。23日のブログに書いたが、21日から23日までの入院中、21日に風呂に入った。そして、いつものとおりの行動をしたのだ。

 翌日、歯ブラシを忘れていることに気が付き、風呂場を探したが「無い」。清掃をするスタッフが処分したのだろう。歯ブラシごときで、ナースステーションに行って訳を話すのも恥ずかしいので、歯ブラシ1本失うことになった。

 広辞苑によると、「病」とは、①やむこと。病気。いたつき。②よくない性癖。欠点。短所。きず。③気がかり。苦労のたね。等とある。
 一方、「症」とは、病気の性質。病気。とある。

 「症」の意味に「病気」とあり、つまり「病」である。「病」の中には、「よくない性癖」という意味もある。私の今回の歯ブラシの件は、正に「よくない性癖」であり、「生活習慣症」と名付けたのは、まんざら、的外れではなさそうだ。ハッ ハッ ハッ。(しょうもない駄洒落)

 今回のことで、私の日常生活の自立度は、10点満点で3±1程度ということが分かった。

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退院後の飲酒

2007-11-25 18:27:49 | 健康・病気

退院後の飲酒

2007年11月25日(日)


 11月21日から23日まで入院した。心臓カテーテル検査のためだったのだが、21日のブログにも書いたように、何ら措置をしなかったので、2泊3日となった。そのため、24日からの出勤も可能だったのだが、24日のブログに書いたように、その日は従弟の葬儀があったので、1日延長して休ませてもらい、今日25日退院後初出勤したものだ。

 職場の一人ひとりに、「ご迷惑をおかけしました。」とあいさつしたが、私の性格として、なにか気恥ずかしく、検査結果までの詳しい説明は、聞かれるまではできなかった。

 何ら措置をしなかったとはいえ、薬を服用することになったし、自分ではアルコールの飲み方が悪いという自覚があるため、退院後の酒量を毎日記録することにした。

 退院した日は、前述の従弟の通夜があり、姉夫婦と食事に行ったものだから、早速多量の飲酒になった。ビール中瓶1本及び焼酎300ml。正直、冠動脈に「ステント」を入れる必要がなかったという嬉しさも手伝って、けっこう飲んだ。

 私は、飲酒なしの生活は考えられないので、今までは肝臓を悪くしない程度に飲んでいたつもりだったが、今度からは、心臓にも注意を払わなければいけなくなった。

 心臓と肝臓という人間にとって、最も大事な臓器をコントロールしなければいけなくなり、正直、適当な言葉が見つからないが、「うっとうしい」。


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従弟の死

2007-11-24 15:21:06 | 家族

従弟の死

2007年11月24日(土)


 母方の従弟が、22日未明死亡した。そして、今日葬儀があった。54歳だから、あまりに早すぎる。母方の従兄弟・姉妹では、一番年下だったのに。

 近所の家に行っていて、帰宅途中、心臓発作を起こし死亡したと推定されている。
 同じく母方の従姉が医者をしており、彼に、つい先日「心臓の精密検査をしないといけない。」と言ったばかりだという。

 今回のことで、私は初めて知ったのだが、人間、死んで1時間で体温が6度下がるそうだ。発見された時は、22度だったというから、2時間あまり経って、発見されたことになる。

 彼は、東京の銀パリでシャンソン歌手としてデビューし、1995年に地元の広島に帰り、シャンソン歌手として演奏会を行ったり、歌を教える教室を開いたりなどしていた。

 2005年4月16日から17日にかけて24時間コンサートをゲバントホールで行い、その収益金を原爆ドーム保存費用として寄付し、注目を集めたこともある。
 そんな彼を、従弟として誇りに思っていたので、非常に残念だ。

 彼が心臓発作で死亡した22日というと、私の方は、心臓のカテーテル検査を行った日であり、何か因縁めいたものを感じる。

合掌

 注 2007年12月25日、一部訂正。

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入退院記

2007-11-23 14:06:36 | 健康・病気

入退院記

2007年11月23日(金)



・入院初日(21日)
 12:45、T病院へ到着。一応入院手続きを行い、本を買いに出たいので、「外に出ても良いですか?」と尋ねると、一旦入院になると「外出許可が要ります。」と言う。そんなことを真面目に聞く人間なら、もっと違った人生になっていただろう。
 無断で、往復45分かけて本を買いに出た。

 担当医が、手術の方法やリスクについて、説明に来た。だんだん専門的な話になるので、私のような「変人でも大丈夫ですか?」と冗談のつもりで言ったら、Dr.が急に真顔になり、「ヘンジンの場合は・・・」と説明しだした。
 片方の腎臓がない場合「ヘンジン」と言うことが分かり、両者ようやく話しが通じたのだが、Dr.は「変な奴がきた」と思っただろう。

 このあたりから、駄洒落が絶好調になる。

1 若い女性の看護師が来て、家族の状況を聞くので、「愚妻と住んでいます。」 と言ったら通じない。後ほど聞くと、辞書で調べたらしい。「愚妻」という言葉は死語になるのか。
  また、「アレルギーはありますか?」と聞くので、「女性アレルギーがあります。」と親父ギャグ。

2 別の看護師。安静していたのに脈拍が80あったので、びっくりし、「美人を前にすると脈拍が上がる法則があるのですね」と言ったら、「イヤイヤ」と言いながらも、満更でもなさそう。

3 体温が35度6分だったので、びっくりした。5度台というのは初めてだ。「だんだん冷血動物になっていっているんですかね。」と言ったら、看護師さんは、「ケラケラ」。「けら」は昆虫なんですけど。

4 風呂からあがった後の血圧が高く、その原因が熱い湯にあったことを知ったので、「湯は恋愛と一緒で熱い方が好きです。」と言ったら、熱い恋愛をした経験があるのか、心なしか赤ら顔になった看護師さん。

二日目(22日)
 いよいよ、心臓カテーテル検査。
 結果は、「ステント」を挿入するまでもなく、投薬(血液を「サラサラ」にする薬とコレステロールを押さえる薬)で様子を見ようということになった。
 詳細は、後日「心臓カテーテル検査」と題してブログに書く予定だが、早期発見だったということに、私自身満足している。

三日目(23日)
 保険証と薬と紹介状をもらうだけ。10:00退院。
 天気がよく、紅葉した木々が新鮮だったため、写真を撮った。
 ちなみに、療養日誌を作成するつもりなので、院内でも写真を撮っている。

 僅か二泊三日の入院だったが、日常と違う生活をして、新しい発見があった。これも、後日ブログに書く。(乞うご期待。)

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冠動脈精密検査入院

2007-11-21 08:54:50 | 健康・病気

冠動脈精密検査入院

2007年11月21日(水)


 本日(21日)午後から、T病院に入院し、冠動脈の精密検査を受ける。担当のH医師は「神の手」を持っているという評価を受けている人なので、そう心配はしていない。

 精密検査の結果、措置の必要がなければ2泊3日。ステント(血管を拡張する器具)を挿入するとかすると、最長1週間程度の入院になる。

 退院後は、入退院の顛末をすぐ書く予定にしているが、仮に記事が出なかったら、何らかの事故が起きたということになる。

 私は、ブログのことを家族には言っていないので、もし、私の親友で、私のブログを見ている人がいれば、私のブログのことを私の家族に伝えて欲しい。

 以上。

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「手打ちうどん」たかもり

2007-11-20 18:34:36 | 食べること

「手打ちうどん」たかもり

2007年11月20日(火)


 昨日19日(月)、2年振りくらいに、「手打ちうどん」たかもり(℡246-9433)で、妻と一緒にうどんを食べた。市役所近くの2号線の南側にある。

 広島のうどん通で「たかもり」を知らない人は多分「もぐり」だと思う。美味いし、安いし、セルフで早い。

 この店の凄いところは幾つかあるが、私が一番感心しているのは、客と店との間に「連帯感」を感じるところだ。

 その説明の前に、この店の概要を説明すると、
① 店主が店の入口で、うどん生地を棒で伸ばしている場面が見れること。
  開店25年くらいだが、どこにも、修行に行ったことはないということだった。
② 30席強。細かいことだが、店に入った近くに「手洗場」(トイレではない。)があるのが良い。
③ 営業時間は、11:15~14:00。定休日は日曜祝祭日で、近くの「サラリーパーソン」をターゲットとしていると思われる。何と営業時間2時間45分!。もちろん、準備と後片付けがあるので、従業員の労働時間はそれより長いが、それにしても、これだけ短い営業時間の店が、店種を問わずあるだろうか。
  店主に、肉体的限界ですか?と尋ねたが、「違う」と言う。他に理由があるのだろう。
④ 従業員は店主を含めて7名。この仕事ぶりが物凄い。工場のラインでの作業のようなのだ。無駄がない。
⑤ セルフになっており、うどんの量は「大、中、小」とある。あとはトッピングを好みに応じて自分で選択する。うどんの出汁も客がコックを捻って、好み通り入れる。 
⑥ 参考までに、私は「小」に海老と野菜のかきあげと混布を薄くひいたものをのせ、レンコンの天ぷらを1枚食べた。妻と2人で1,000円弱だった。



 さて、「連帯感」のことであるが、この店は昼食時になると、客が店外に並ぶことがよくあり、店としては「回転」を早めたいところだ。客の方は、何時か自分が並ぶことがあることを想定して、自発的に「回転」を早めようとし、店に協力的なのだ。例えば、はじめから「セルフ」ということは分かっているのだが、できるだけ、従業員の手を煩わせないよう、さっさと食べてさっさと片付けて帰る。「だらだら」していれば、自分が並ぶことがある場合、並ぶ時間が長くなり、わが身に降りかかることを意識しているからだ。

 客と店との「阿吽」ならぬ、「あうどん」の呼吸というべき「連帯感」を感じる店である。



 訂正
 「客と店との「阿吽」ならぬ、・・」と書きましたが、「客同士及び店との「阿吽」ならぬ・・」に訂正します。
 2007年11月28日

 2007年12月25日、一部訂正



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ニァホーム

2007-11-19 08:35:02 | 高齢問題

ニァホーム

2007年11月19日(月)


 私の理想とするミニ共同体コミュニティは、「○○ニァホーム」というものだ。(注 「○○」は地名を想定しているが、住む人が相応しいと思うものを付ければよい。)

 「ニァ」の語源であるが、英語の「near」で、「近い」という意味と、人間関係における「近しい(親しい。親密だ)」という意味がある。私はこの施設にはピッタリの名称だと思っている。

 今までは、高齢になり自立が困難になると、それまで住みなれた場所を離れて、人里離れた施設に入る人が少なくなかった。

 ニァホームでは、それまで住んでいた場所で、しかも今まで築いてきた人間関係のある環境の場所で住めるということだ。

 この施設は3つのコアで構成される。
 ① 公共用スペース
集会所に近いイメージと考えてよい。近隣の人が自由に使用でき、ニァホームの人との交流が行われる。
 ② 共用スペース
   入居者の共同生活空間だ。リビングダイニングのイメージに近い。皆で楽しく食事をする。娯楽・談笑も当然。
   食事は調理人を雇うか、入居者が当番でするかは、入居者の自立度による。
 ③ プライベートスペース
   完全に独立したマンションのイメージだ。共同生活は何かとトラブル等も発生する可能性もある。一時共同生活から離れたいという時もあろう。私が考える最低限必要なスペースである。区分所有になる。

 さて、敷地・建物の規模等であるが、基本的に自由にすればよい。
 現在私が、具体的にイメージしているのは、
 ① 敷地  660㎡(約200坪)
 ② 建蔽率 60%
 ③ 容積率 200%
 ④ 鉄筋コンクリート造り5階建
 ⑤ 1F  公共用スペース 約300㎡
       うち、畳のスペースを12畳くらい欲しい。
       隅の方に10人程度のカウンターを置いて、夕方から一杯飲めるようにしたい。ママさんは近所からのボランティアだ。
 ⑥ 1F  エントランス  約50㎡
 ⑦ 2F  共用スペース  約130㎡
      ダイニングキッチンが主で、娯楽・談笑のスペースも設ける。
      テーブルは楕円形(自由に組合わせることもできる)にして、25人程度座れる。
       固有スペース(マンション)2戸(共用部分を含めて1戸当たり約66㎡)
 ⑧ 3F  固有スペース(マンション)5戸(約66㎡4戸、約88㎡1戸)
 ⑨ 4F  固有スペース(マンション)3戸(共用部分を含めて約88㎡3戸)  
 ⑩ 5F  4Fと同じ。ただし、この階は、公共用スペース、共用スペースと分離した区分所有にし、若年層に入居してもらう。同一年齢層だけのコミュニティでは脆いと思うからだ。
      この若年層の入居者とは積極的に係わりたい。
      (1)子どもの世話を一時してあげるとか。
      (2)反対にどっか花見に連れて行ってもらうとか。
      (3)極端なイメージで言うと、孫世代との共同関係という感じか。
 ⑪ 駐車場 8台程度

 さて、問題は金額だ。私が土地坪100万円程度をベースに試算したところ、88㎡の固有スペース所有で、最低でも5,000万円かかる。一般のマンションなら、広島市内で半額もしないだろう。
 リバースモーゲージ(資産を担保に融資を受け、死ぬ時点で資産「0」にするという発想の金融商品。)があり、これを利用すると、3,000万円程度の負担で済むかもしれないが、現状ではこの制度は「マンションは対象にしない。」ということだ。

 金額より、むしろ大きな問題は、同志を募るということだ。現在、私にはこの手立てがない。私の「ブログ」という僅かな情報発信ではあるが、期待している。

 「ニァホーム」の基本構想を考えたのは、1988年頃。
 人生時計「14時50分頃」 チン

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トヨタ、主要車種を軽量化

2007-11-18 18:00:00 | 

トヨタ、主要車種を軽量化

2007年11月18日(日)



 16日、日本経済新聞は1面トップ記事として、「トヨタ、主要車種を軽量化」という見出しで、10段の記事を書いた。

 朝日、読売、毎日各紙が、防衛省の守屋前事務次官の証人喚問で、「額賀・久間氏が宴席に同席」という趣旨のトップ見出しで大きく扱っているのにも係わらずである。

 自動車の軽量化の問題が、地球環境にとって、極めて重要であることは間違いない。そのことを念頭に、トップ扱いになったのだろう。

 自動車の軽量化は、各社が必至になって取り組んでいる課題であり、トヨタだけが取組んでいるわけではない。今年のカー・オブ・ザ・イヤーにマツダのデミオが選ばれたが、これは軽量化を行ったことが一番評価されたものだ。前モデルに比べて約100㎏の軽量を行った。

 記事に戻って、「『マス・イノベーション』と名付けた社内プロジェクトを始動。技術、調達部門が参加し、部品・素材メーカーを巻き込んで軽量化に取り組む。」ということである。
 世界の自動車メーカー多しといえども、トヨタ1社で「部品・素材メーカーを巻き込んで」というのは、トヨタにしか成し得ないプロジェクトなのだ。

 例えば、最近の報道によると、ダイムラーとフォードとカナダのバラード社が共同で出資し、燃料電池の会社を設立したという。バラード社は、「燃料電池の基幹部品であるスタック」で世界一の技術を持っているということだ。それで、ダイムラーとフォードが手を組んだのだ。

 しかし、トヨタの奥田社長時代、彼がバラード社を視察し、「わが社の方が進んでいる。」と言ったそうだ。

 つまり、他社は複数組んでしか、今のトヨタに太刀打ちできない状況になっているというのが、今の世界の自動車会社の勢力図になっているということだ。

 トヨタが使いだした言葉が世界の自動車会社の「共通語」になっている。例えば、「カイゼン」、「カンバン」など。

 これからは、世界の自動車メーカーはトヨタとの技術の差が広がることにより、「ヨワッタ」という趣旨の言葉として、「トヨッタ」と言うようになるのではないだろうか。

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刑事原告人

2007-11-17 22:01:58 | 社会

刑事原告人

2007年11月17日(土)


 2005年3月3日、私は刑事事件の原告人となった。
 当日、私は来客窓口を担当していたが、ある男がえらい剣幕で怒鳴り込んできた。その要求は理不尽なものだったので、要求を認めるわけにはいかない。しばらく、押し問答が続いたが、相手はますます激昂しだし、私に掴みかからんばかりの形相で、「殺してやる。」と言ったのだ。

 私は用意周到にICレコーダーで録音を録っていたので、十分証拠になると思い、110番した。そして、男は逮捕された。余談だが、警察官が十数人も来た。

 10月28日、第1回の口頭弁論に、検事側の証人として呼ばれた。事前に担当検事と打ち合わせをしていたのだが、さすが法廷で証言するというのは初めての経験であり、緊張した。検事側の尋問は打ち合わせていたので、何等問題なかったが、弁護士の反対尋問には、とまどった。

 私の知らない「判例」を言いだし、それに対しての見解を求められたのだ。弁護士の意図もよくわからないし、知らない判例であったため、「知りません。」と答えた。
 
 その後のことである。多分裁判史上前代未聞のことが起こった。
 通常、次回の公判日程について、裁判長が案を出し、弁護士、検事がOKなら成立するのだが、この時は、弁護士の日程がなかなか合わず、4回目位にやっと日程が成立しかけた矢先、被告人がその日程に関して「その日はちょっと・・」と言ったのだ。
 
 裁判長が被告人に「どうしたの?」と聞いたところ、被告人は、その日は自分の誕生日だと言った。
 だいたい、公判の日程に、勾留されている身で自分の都合を言える立場にもなく、しかも、その日が誕生日だということが何等公判日程に影響を与えるものではない。

 裁判長も、トンチのきいた人で、「それじゃその時、誕生日おめでとう、と言ってあげるよ。」と収めた。
 ほんとは、法廷内大爆笑のような事例だが、傍聴者は数人だったので、皆心の中で嘲笑ったのではなかろうか。

 さて、最後に私のかっこいい、証言の締めくくりを紹介したい。
 証人台を去る時、裁判長から意見を求められた。私の回答は次のとおりであった。

 「法律に基づき、厳正に処罰をしていただきたい。それ以上でもそれ以下でもありません。」

 事件があったのは、2005年3月3日。
 人生時計「16時39分」 チン

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船場吉兆の虚偽偽装

2007-11-16 18:04:08 | 社会

船場吉兆の虚偽偽装

2007年11月16日(金)



 船場吉兆が食品販売に関して、「牛肉の産地を偽った」疑いや「消費期限切れ」を偽装していた問題で、その責任者の湯木尚治取締役が、哀れな末路を迎えることになると予想している。

 同社の社員がプリンやケーキなど計12品目、約3,500点の期限切れ商品をラベルを張り替え販売した。そのことをパート女性らは、店を取り仕切っていた湯木取締役から「ラベルを記す期限を延ばせ」などたびたび指示を受けていたと証言している。
 
 参考までに、私は、パート女性らのTVでの記者会見を直接見ていないが、私の職場の同僚の話では「臨場感」あふれる会見であったということだ。

 一方、湯木取締役は、「(指示は)一切ない。」と述べ、自らの指示や会社側の不正への関与を改めて否定した。(読売新聞2007年11月16日)

 私が冒頭「あわれな末路を迎える」と予想した根拠は、次のとおりである。

 仮に、湯木取締役が言うように「自らの指示」がなく、パート職員が独断で「偽装」していたとしても、取締役という立場上、自らにも重大な管理監督責任があり、そのことがまず第一番に問われるということだ。パート職員が独断でしたことだとしても、それは二の次の問題である。
 取締役という立場で、そのようなことを認識していないことそのものが、取締役としての資格に欠けると思うし、併せて、私には信用が出来ない人物だと映ったことが、その根拠なのである。

 この湯木取締役は、嘘に嘘を重ねることになり、それが何時か破綻し、哀れな末路になるであろう。

 湯木氏は名前が「湯ぅ木」氏であれば良かった。そして、名前通り「勇気」を出して、正直に真実を語れば良かったのだ。

 食品偽装問題が次から次に起きているが、私はその根底には、厚生労働省の食品行政にあると思っている。これは別の機会に書きたいと思う。

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続・人間ドック

2007-11-15 18:09:45 | 健康・病気

続・人間ドック

2007年11月16日(金)


 私の職場にDr.がいるので聞いてみた。

 私: メンタルの人間ドックというものはないのですか。
 Dr.: メンタルの人間ドックをしているという話は聞いたことがない。
    かなり専門的になるので、その難しさから実施していないのかもしれない。
 私: メンタルでも早期発見、早期治療は効果があるのか。
 Dr.: その通りだ。
 Dr.: 今、企業ではメンタルが大問題で、メタボリックより深刻な状況だ。アメリカ型の企業経営が原因と言われている。

 私がDr.にこういう話を聞いたのには訳がある。私の年齢くらいの友人は、人間ドックの結果何らかの異常数値がある。ところが、私にはない。(注 今年はγ‐GTPの数値は異常値になったが。)そこで、友人には冗談めかして言っている。「人間バランスが取れているもので、首から下は元気だが、首から上に問題を抱えている」と。

 もう、2年近くなるだろうか。人に話しかけようとすると、口のまわりがこわばるのだ。多分緊張のせいと思われる。その証拠に酔っている時はそういったことはないし、今は精神薬を服用しているので、こわばることはない。

 メンタルの病気は、誰でも罹りうるし、多くなっている現実がある。早期発見・早期治療のためにも、近い将来人間ドックに組み込まれるのではなかろうか。
 私の場合、メンタルの人間ドックがあれば、もっと早く対処できたかもしれない。
 
 併せて、「歯」も必要だと思う。私は歯医者に20年位行ったことがない。行けばいいだけだが、なんとなくきっかけがないので、結果的に行っていないのだ。

 

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祖父

2007-11-14 00:13:55 | 家族

祖父

2007年11月14日(水)


 私の父方の祖父は、私に甘かった。家族構成は、祖父母、両親、兄と姉各2人そして私の9人だった。
 祖父にとってみれば、私が一番小さい孫で可愛かったのだと思う。

 この祖父は、生活のため、半農半漁を行っていた。私が物心ついた1951年か1952年(4・5歳)の記憶だが、畑も小さく、漁といっても伝馬船で一本釣りするくらいなものだから、収入を得るというより、自給自足の足しにしていたようなものだ。

 祖父は実直な人で、曲がったことを許さない性格だった。ある時、浜に大量の材木が流れ着いたことがあった、積船から落ちたのだろう。近所の人はその材木を拾い集めたということだが、私の祖父は見向きもしなかったという。

 祖父との最初の思い出は、釣りに連れていってもらったことだ。4歳か5歳だったろう。今でもはっきり覚えているが、かなり大きなこちが釣れた。私が釣ったというより、祖父が用意万端してくれただけなのだが。

 しかし、私は釣りは趣味にはならなかった。気が短い性格で、釣れるか釣れないかで、じっと待っているということが耐えられないのだ。

 祖父が私に甘かったことで、他の兄姉から恨みをかっていた。庭に2本ほど柿(富有柿)の木があり、秋の実になる時期になると、祖父は毎日観察して、無くなっていると、犯人探しをするのだ。兄姉の場合だと、祖父は叱った。しかし、私の場合は何も言わなかった。私に甘かったのである。

 さて、富有柿の味であるが、大ぶりな方で、祖父の甘さとは違った甘さがあった。

 祖父の目を盗んで、柿を取って食べたのは、4・5歳頃
 人生時計「4時30分頃」 チン

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沐浴

2007-11-12 18:10:08 | 家族

沐浴

2007年11月12日(月)


 2001年のことである。新生児の沐浴のマニュアルを偶然見ることがあり、びっくりした。
 私の母が50年以上も前にしていた通りであったからである。

 私の母は、今でいう助産師で、昔は産婆と言っていた。母の姉が産婦人科の医師であったため、その手伝いをしていて、新生児が生まれる際、妊産婦や新生児の世話をしていたのだ。

 私は当時小学校の2年か3年くらいで、母によくついて行って、母が新生児を沐浴するのを見ていた。

 左手の平に新生児を乗せ、新生児のお腹の上にガーゼを必ずのせる。湯にはゆっくりつけるのだが、新生児は湯につかった瞬間、必ず「ビクッ」と身体を震わす。そして、そのガーゼを握り締める。新生児にとって何か握り締めるものがあれば、安心するのだと母は言っていた。

 初めはびっくりする新生児だが、だんだんと気持ちよくなるのか、しだいに身体全体弛緩した感じになる。
 最後にかけ湯をして、上げるとき、母はよく「餅があがった」と言っていた。つきたての餅に感触が似ていたのだろうか。

 私は、2人の息子の沐浴を、母の見よう見まねで、全て自分でした。孫が自宅に帰って最初の沐浴も私がした。

 母は新生児の沐浴が済むと、今度は産婦の乳房を温かいタオルで揉んでいた。私もそれを見ていたが、母は「恥ずかしい、恥ずかしい」と言いながらそれを行っていた。
 私が「恥ずかしい」という意味が分かったのは、それから大分たってからであった。

 母の新生児の沐浴を見ていたのは、小学校2年頃から3年頃。
 人生時計「6時15分頃」 チン

 2007年12月25日、一部訂正。


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出生

2007-11-11 20:35:48 | 家族

出生

2007年11月11日(日)


 私が子どもの頃、母が親戚の人に言った話だが、その場にたまたま私も居たので聞いてしまった。
 母は、私が出生した時、私のことを「この子は育つのだろうか」と心配したというのだ。
 母は、親戚の人に、「この子は睾丸に色素が沈着していなく、真白だった。」と言った。それでなぜ、母が私のことを「育つか育たないか」考えたのかはわからない。

 しかし、私の母は、ただの産婦として思ったのではない、当時は産婆といっていたが、助産師をしていて、それこそ何百人の赤ちゃんをとりあげた、いわば、「新生児を見るプロ」だったのだ。

 その母が思ったのだから何らかの根拠はあったに違いないのだが、結局、私は還暦まで生きた。(無駄に禄を食んだとも言うべきか。)

 還暦まで生きたが、しかし、医学が進歩していなければ、私は少なくとも、3度は死んでいる。
慢性副鼻腔炎で2回手術をしたが、手術をしなければ、多分肺炎等を併発して死んでいただろう。後の1回は間違いなく、虫垂炎で死亡。慢性になっていて、薬で「散らして」いたが、手術をした時は破裂寸前だったという。

 さて、睾丸の色素の話であるが、他人と比べて程度がどうのこうのということまでは分からないが、現在は色素はある。また、2人の子どもも生まれたので生殖機能もあった。
 
 ただ、私は、男としては色白の方で、女性の平均的な白さより、白いかもわからない。案外そういったことが、生まれた時に、色素が沈着していなかった原因かもしれない。

 ところで、母が助産師をしていたので、非常に珍しい話を聞いたことがある。
 「ひとつ目」の子どもをとりあげたことがあるというのだ。もちろん死産で、そういう場合は、産婦には当然告げず、すぐ布に巻いて隠したそうだ。

 私の出生は、1947年8月4日。 
 人生時計「0:00」 おぎゃー おぎゃー

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