アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

高倉健と福島泰蔵の生い立ち、其のⅧ

2013年04月19日 | 近世歴史と映画

 

高倉健の母への想い 2

 

僕の映画は人生観で、出たみたいですね。

だけど妹たちがいやがってました。

やっぱり母親で見るから役で見ないんですよね。

独り言がだんだん多くなってきて、

恥ずかしくて連れていくのがいやだって。

「後ろから斬るとね。そんな卑怯なことして」とか言うんですって。

「つかまえてみろ」とか。「逃げなさい」とかね。そういうことチョコチョコと言うんで、

周りの人に恥ずかしくって、一緒に行くのがいやだって、だんだん言ってましたね。

 

毎年、写真送ってきてましたよ……離婚して…二、三年たってから、

毎年お見合い写真みたいなのに履歴書入れてね。

母の家系って教育者が多いんですね。 

        あの中学校の校長とか…母も先生でした。

一人になって可哀想……といつも書いてましたね。あなたが。不憫だって、

それはいつも書いてありましたね。

 僕が何かのロケヘ行ったりして、ワッと囲まれたとか、

ファンレターがなんとかって

ういうのいっさい見たことないですから。

想像できないんですね、

ぼくの生活が。

 女の人とチョロチョロ、なんかコソコソ遊ぶなんて全然想像もしてないんでね、

恥ずかしがり屋でできないと思ってた。

 帰っても誰もあなたを迎える人がいない。それを思うと不憫だって、

毎回書いてありましたよ。

 「お母さん。あなたが思っているより、僕ず―っともててるんだよ。

                                                       教えてやりたいよ本当に」

 「バカ」って言ってました。

 頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。

 自分が頑張って駆け続けてこれたのは、

あの母(ひと)に褒められたい一心だったと思います。