アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

高倉健と福島泰蔵の生い立ち、其のⅨ

2013年04月20日 | 近世歴史と映画

高倉健の母への想い 最終回

 

 花が植えられる場所のある家。

 そんな母に何かまとまったことがしたくて九州のとある海岸に家を建てたんです。

 海が見渡せる………。岩壁の上でね。

 道路からは、ちょっとおりることになるんですが……

 で……。

 母の友達と女同士しで行ったったときなんか、用心が悪いと怖がるといけないと思って、

犬が吠える声の出るセンサー付きの防犯の仕掛けをしたり。

 そこはとっても太陽がきれいなんです。

 テラスのガラス戸を閉めたまま見てもらえれば寒くないだろうと思って、ガラス戸を閉めても、

波の七日がいつも部屋の中でしているように、波の音のオーディオを取り付けたり、

海に向かってロッキングチェアを並べたり、広い台所つくったり、壁に花びん嵌め込んだり、

・ピノキヨ・の人形なんかも飾ったりして、そして管理してくださる方も見つけて。

 よーしと思って手をもんだら、そうしたら、こうですよ、

 「階段下りるならキツイからいかん」ですって、

 参りますよ……まったく。とうとう一回もいってくれないままでした。

 

そして………

 この母が本当に逝ったとき、自分だけ告別式に行かなかった。

『あ・うん』の大事なシーンを撮影してるときでした……

 

 葬式に出られなかったことって、この悲しみは深いんです。

 撮影の目処がついて、雨上がりの空港に降りると、

いつものように電気屋の門田ちゃんが出迎えてくれた。

 彼も自分の気持ちを察してくれて、長い無言の車内。

 実家へ行く途中、菩提樹の前で、車を停めてもらって、母のお墓に対面しました。

 母の前で、じーっとうずくまっているとね、子供(ガキ)のころのことが、

走馬灯のようにグルグル駆けめぐって……。

 

 

寒い風に吹かれて、遊んで帰ると膝や股が象の皮みたいになってて、それで、

風呂に入れられて、たわしでゴシゴシ洗ってくれたのが痛かった。

 そのときの母のオッパイがやわらかかったこととか、踵にあかぎれができると、

温めた火箸の先に、なにか、黒い薬をジューッ。付けて、割れ目に塗ってくれた。

 トイレで抱えてもらって、シートートー、とオシッコさせてくれたり、反抗して、

ジャーッと引っかけたり

 何か、そんなことばかりがが頭の中に渦巻いて。

 はいていたチノバンが、濡れて、それが冷たくて、ハッと気がついたんですね。

 いつの開にか、周りが乳白色の靄で、墓石の文字がおぼろになっていて、

供えた部忘れの花に、もう滴がついていて。

 濡れたズボンが、お寺さんを出て実家からホテルヘ、それでもまだ乾かなくて。

不忠議ですね。人の心は肉体を規制するんですね。

 肌色のバンドエイドで隠してる踵のあかぎれを見つけてくれる、

ただ一人の人はもういない。

  

お母さん。僕はあなたに衰められたくて、ただ、それだけで、

あなたがいやがってた背中に刺青(ホリモノ)を描(イ)れて、

返り血浴びて、さいはての『網走番外地』「幸福の黄色いハンカチ」の夕張炭鉱、

雪の「八甲山」北極、南極、アラスカ、アフリカまで三十数年駆け続けてこれました。

 別れって悲しいですね。

 いつも―。

 どんな別れでも―。

 

あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきやね。