アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

高倉健の人間性は何処から 2

2013年04月28日 | 近世歴史と映画

 

毎年の秋祭り、神社では相撲入会が催された.

 

四人抜きの.一等賞の賞品は自転車だった

僕は毎年、必死に踏ん張ったが、ころっと引っ繰り返されて「はい、おしまい」だった

 

腿を擦りむいて家に帰った僕に、いつも母が言った

 「辛抱せんといかんとよ」

 

この母の言葉は、幼かった僕の心に刻まれたのだと思う。

 映画俳優という仕事に就いた僕は、一生懸命やった

 

『ジャコ萬と鉄』の撮影では、零下十六度の中、

ふんどし一本で北海道積丹の十二月の海に飛び込んだ

地元の漁師たちは「そんなことしたら死ぬぞ」とあまりの無謀さに呆れていた。

だが僕は、烈我夢中でロープを背負って荒れ狂う海に突っ込んでいった。

うなぎと格闘した、あの他の水の冷たさなんて比較にならないほど大変たった。

 

『八甲田山』の撮影では、冬の八甲田で三冬もかかった。

条件の過酷さに撮影は終わらないかもしれない、とスタッフも俳優も、誰もが思った。

 

『南極物語』では、撮影のため北極へも南極へも行った.

 

南極でブリザードに遭い、テントごと吹き飛ばされた.

 

〝これで死ぬのかな〟という思いが頭をよぎった。

 

『海へ~SecYou』では、サハラ砂漠の砂嵐も体験した。

 

六十六年間、一生懸命にやってきた。

ここまで走り続けてこられたのは、

 

『辛抱ばい』という母の言葉があったからだ。

            集英社発行 想SOU より引用