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「恥の文化」という神話ー本の紹介

2009-10-02 04:36:33 | 日記
 拙稿「戦争責任は誰に」で「日本人は、戦争の責任はアメリカにあり、日本への原爆投下は犯罪であることを主張すべきなのです。
 戦後、アメリカがやった日本人への戦略を明らかにし、そのマインドコントロールから解き放たなければならないと考えています。」

と書きましたが、新聞の本の広告欄に「「恥の文化」という神話」という本のタイトルが目に付きました。

 本の内容紹介に「「日本=恥の文化」は、原爆投下を正当化するためのプロパガンダだった!」と書いてありました。
 この説明に興味を持ち、読んでみたいとその広告を切り抜きました。
著者は東洋大学名誉教授 長野晃子さん、定価1,890円 草思社

補足紹介に「「菊と刀」敗戦国日本を文化的に断罪すべく創作された疑似文化論だった!日本は道徳的に欧米に劣る「恥の文化の国」と定義された真の理由を解き明かす労作」と書いてあります。

 上記の説明の中でプロパガンダと言う言葉が分かりません。インターネットで検索するとロシア語であること、(政治的意図をもつ)宣伝。大衆操作』と言うことが分かりました。

 あまり異国語を使わないように日本中におふれを出して下さい。今後高齢者が増加する中で、カタカナ文字が入ると分からなくなります。日本の漢字で表現する努力をすべきです。政策的宣伝ではどうでしょう。
「「日本=恥の文化」は原爆投下を正当化するための政策的宣伝だった。」とするとずっと分かりやすいと思います。

 さて、「恥の文化」と言うことも「菊と刀」も調べなくればなりませんが、ということで本を買いたいのですが、欲しい本はどんどん出てきますが買っても読まないのです。お金も有りません。

 「恥の文化」をインターネットで調べ手見ましたら、アマゾンで本の紹介がしてありました。書籍紹介では「「日本=恥の文化」は、敗戦国日本を文化的に断罪し、原爆投下を正当化するために創造されたレトリックだった! 従来の日本文化論を根底からくつがえす労作。」と有りました。
 レトリックを調べなければなりません。
「実質を伴わない表現上だけの言葉。表現の巧みな言葉。」と有りましたがどうでしょう。

「アメリカの文化人類学者R.ベネディクトが『菊と刀』The Chrysanthemum and the Sword(1946)のなかで使った用語。他者の内的感情やおもわくと自己の体面とを重視する行動様式によって特徴づけられる文化をいう。

•彼女はこの「恥の文化」に対立する文化として,内面的な罪意識を重視する行動様式としての「罪の文化」をあげ,後者が西欧文化の典型であるのに対し,前者を日本人特有の文化体系と考える。すなわち,日本人の行動様式は,恥をかかないとか,恥をかかせるとかいうように「恥」の道徳律が内面化されていて,この行動様式が日本人の文化を特色づけているとする。」と有りました。

菊と刀 (光文社古典新訳文庫) について
ベネディクトは、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参入するに当たって戦争に関連した研究や助言のために、招集した代表的な社会人類学者の1人となった。

・・・とういうことで、ベネディクトさん、アメリカの国家のために、国益になるために書いたらしいのです。
 
 詳しくは本読んでと言うことになりますが、アメリカがいろんな手段を使って原爆投下を正当化しようとしたことがある。ということを日本人は知らなければならないと思います。

 太平洋戦争自体アメリカの戦争責任があるのです。その戦争責任を日本にあるように日本人をマインドコントロールしているのです。ウオーギルトインフォーメーションなどもその一つです。インターネットで調べてみてください。


6 コメント

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『菊と刀』は誤解多き名作だ (tubuyaki)
2010-06-02 23:05:59
 検索をしていたらこの記事を目にしたのでコメントさせていただきます。
 あなた自身が『菊と刀』を読んでもいないのに、批判書の内容を無批判に受け入れて自説の権威付けに使用するというのは非常にいい加減であり卑怯な態度です。そもそも批判書を読むだけでは、その著者が批判するところの文章の内容を曲解していて当ての外れた批判を展開していたとしてもそれに気付けはしません。
 菊と刀には、確かに『恥の文化』という語が出てきます。それは欧米の『罪の文化』との対比として出てくるわけですが、決して恥ずべき文化としてその語を使用しているわけではないのです。そもそも『恥の文化』を『恥ずべき』、と理解するならば、欧米文化は『罪な』文化となってしまい優位性を示すどころではありません。『恥の文化』という語は、あくまで道徳意識の構造が、恥と罪のどちらに重きを置いているのかを基にした単なる名称、文化形態のラべリングにすぎず、欧米人も恥をかくこと、日本人も罪の意識に苛まれることは、菊と刀の中でもはっきりと書かれています。
 もっとも日本の負の部分も書かれてはいます。精神力の異様な偏重や上下関係に過度に囚われてる様は、現代の日本人からすれば、批判されて当然だという印象を受けるでしょう。それでも著者は日本が敗戦を迎え、大きな変革を迫られるなかでも、伝統的な価値観を頼りに今までの価値観への修正を加えていくことによって、変化の荒波を乗り越えた先の安定を迎えることが出来るだろうと語っています。
 批判書はアメリカ人が日本へ原爆を落としたことへの正当化としてこの本があると主張していますがそれは間違いです。なぜなら、菊と刀の冒頭部分には、筆者の考える日本文化を示すことについての意義が書かれているからです。欧米人にとっては支離滅裂に思える日本人の態度や行動方針も、日本人にとっては十分一貫性のあるものであり、欧米人でも日本人の思考の前提を押さえればそれを理解することが出来る、その前提、即ち『文化の型』を示し、日本への真っ当な理解を得てもらうことこそがこの著作の意義であるのです。もし原爆投下への正当化のためだというのであれば、日本人は支離滅裂な行動をするイエローモンキーという捉え方で十分ではありませんか。
ベネディクトはアメリカ人なのですから、当然その本には国のためとしての意味合いがあるでしょう。しかしそれは原爆のためではなく、占領政策のためなのです。日本蔑視による不理解から、文化の全ての解体を試みるような占領政策の愚を犯させないために、この本は書かれたと言う方がどれだけ自然な見方でありましょうか。
 アメリカ人の自己弁護、日本人の制御、いずれを目的とするのであれ、この本の構成は不適切です。いずれの目的であれ日本文化の普遍的でありうる部分を指摘する必要が無いのです。また日本人のコントロールを考えるなら、文化の対比を行う際に、欧米文化のアピールをもっとすべきところですが、それがありません。やはりこの本は政治的というより科学的であるとの印象を私は持って止まないのです。
長文失礼いたしました。
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「『菊と刀』は誤解多き名作だ」に同感 (牡蠣)
2010-10-07 00:06:13
 tubuyakiさんのご意見は正鵠を射ていると思います。『菊と刀』は非常に立派な本で、決してアメリカの原爆投下を正当化するものではありません。
『「恥の文化」という神話』は正しくない論理に満ちた本で、ベネディクトに対するはなはだしい誹謗中傷としか言いようがありません。悪いところを一々書き上げるときりがありませんので一つだけ挙げておきましょう。
 著者はアメリカで刊行された本や雑誌からいわゆるマニフェスト・ディスティニーを持ち上げる文をいくつか引用して、ベネディクトもそれと同じような考え方をしたと憶測しています。つまり、
  アメリカ人は○○○である。
  ベネディクトはアメリカ人である。
  だからベネディクトは○○○である。
という三段論法です。これが正当でないことは明らかです。実際、マーガレット・カフリーが書いたベネディクトの伝記では、ベネディクトがアメリカの学者たちの間で異彩を放つ存在であったことが「どこか遠い国から来た人のようであった」と言い表わされています。ベネディクトを有象無象といっしょくたに見るのはとんでもないことです。
『「恥の文化」という神話』を冷静に読めばこのほかにもいろんな欠点が多数見つかります。私はその本が推奨に値するものとは思いません。
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ルースベネディクトよ、アメリカ人はそんなに偉いのか (えのころ草)
2014-07-09 15:05:07
『菊と刀』が原爆投下を正当化する為に書かれたとか否かは私には分らない。しかし『菊と刀』は不快極まりない書物である。この本を批判したアメリカ人男性の日本人に対してまるで未開人を見るような視線を感じると言う批判に同意する。まず、来日もせずして日系人を日本人を代表させて研究材料としている。一部を捉えて全体として語るやり方である。日本は甘やかしの幼児教育との事、果たして全員そうであろうか。勝手に決め付けるなと言いたくなる。又、比較対照とする国はアメリカのみ。そのアメリカが絶対的な過ち一つない理想的な国として捉えている。インディアンを虐殺し、ハワイ王国を乗っ取った国の何処が理想的な国と言える。もうバカバカしくてならない。表面は一応日本を認めているような振りをしつつ、底には日本人に対する蔑視を感じない分にはいかない。真面な読解力のある
日本人読者なら不快になって当然である。これを日本人を知る上での良書としている日本人自虐サヨクがいるが、到底理解不能である。
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追加です。 (えのころ草)
2014-07-11 17:17:36
牡蠣さんへ
実際、マーガレット・カフリーが書いたベネディクトの伝記では、ベネディクトがアメリカの学者たちの間で異彩を放つ存在であったことが「どこか遠い国から来た人のようであった」と言い表わされています。ベネディクトを有象無象といっしょくたに見るのはとんでもないことです。

↑異彩を放つ人物であろうがなかろうが、書いた内容には何の関係も無いと思います。立派だからとか、ベネディクトだから間違いないとかは言えないでしょう。

ところで、追加で書き込みさせて頂きます。アメリカは罪の文化で、日本は恥の文化との事、他人に対する目を気にしての恥だから、他人の目の無いところでは罪の意識が無いからやりたい放題、悪い事を平気でやるとは、これは日本人だからでなく、そう言う傾向を持つ人間は何処の国にもいる。ベネディクトにとっては、未開人であるにも拘らず礼儀正しい秩序を護る日本人が不可解で仕方ないのだろう。きっと裏があるという判断の下で、そういう結論をひねり出したと思える。勿論そういう日本人もいたかもしれない。その一部を抜き出して日本人全体として語る、その悪意にオゾマシサすら感じる。如何にも理解ある風を装って、その実日本人に対する悪意と蔑視を感じる。物事は多面的であり、其の一部を捉えて全体として語る人間の多さたるや。これ程の長い歴史と貴重な文化を持つ日本がこのベネディクトに軽く扱われ、糞味噌に言われるような民族である筈が無い。もしそうならとっくに滅びている。理解不能だから悪と捉えのは知性の無い証拠である。それにしても日本を顕微鏡で見るかの如き、微に入り細に入り、謙虚さの欠片も無く物語るベネディクトの性格に恐怖すら感じる。その執念深さたるや、肉食人種はこうなんだなと改めて思い知った。自己を疑うのが習性の日本人なら、他国人を到底ここまで書けない。客観的事実で無い個人の主観である事をここまでも。
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えのころ草さん、偏見的なのはベネディクトではなくあなたの方だ (tubuyaki)
2016-08-11 03:38:40
4年越しのコメントがあるとは驚いた
自分の2年越しのえのころ草さんへの反論コメントも意味があるものと考え、書き込むとしよう

えのころ草さんは、『来日もせずして日系人を日本人を代表させて研究材料としている』というが、
そもそも当時は戦時中であり、日本へ寄ること等出来ないのに何を馬鹿なことを言っているのか。
手に入る範囲の資料を基に研究を行うのは学術的に当然のことだ。

『日本は甘やかしの幼児教育』の下りについて、
えのころ草さんは、『甘やかし』という言葉に
悪い意味しかないと過剰に受け取っているように見受けられる。
しかしそもそも子供を甘やかさないのは、現代の常識からすれば異常なことだ(当然限度はあるが)。
『甘やかし』について、そもそも菊と刀ではそれを例に日本を批判してなどいない。
菊と刀では、子供を小さな大人としか見なかった西欧の文化に対して、
日本には子供を子供として扱う文化が古くからあったことを指摘しているに過ぎない。
これは日本の先進性を示しているとも言える。
別に日本が教育を誤っているという文脈で出てくるものではない。
これは勝手な想像だが、えのころ草さんは、菊と刀の文脈中で出てきた『甘やかし』という言葉を、
『甘えの文化』と同じような悪い文脈で受け取っているから、日本蔑視している等という見当違いをするのではないか。

『アメリカが絶対的な過ち一つない理想的な国として捉えている』と言うが、
逆に聞きたいのは、いったい菊と刀の何処にそんな記述・物言いがあるというのか、ということだ。
それは菊と刀が日本蔑視の本だという先入観を持って接したことから来る、あなたの勝手な想像ではないのか?
書かれていない著者の意図を根拠無しに、また自身の先入観に従って想像し、批判したところで、
それは自作自演に他ならず、見当違いな批判しか生まないだろう。
自分から言えるのは、真面目で読解力がある人が読んでも、
それだけなら普通は菊と刀を日本蔑視の本などとは受け取らないだろうということだ。
日本の有名な識者がこの本を批判している例があることは自分も知っているが、
自分はむしろそのことについて、日本の識者の読解力の無さ・先入観の強さを示すものだと考えている。
日本の権威がこのザマというのは、非常に残念なことだ。
例えあなた自身は真面目で読解力があっても、本への先入観が強すぎて、
その内容を歪めてしか受け取れないのであれば、それはあなたにとっての大きな損失だろう。

とは言え、なぜこんなにもこの本が誤解を受け易いのか、ということには理由があると思う。
そもそもこの本は日本人相手ではなく、アメリカ人向けに書かれたものだ。
本にも書かれていることだが、当時のアメリカ人は日本人の文化が全く理解できず、
日本人は訳が分からない奴らだという印象を持っていた。
そう考えている相手に向けて書く文章の導入部分として、必然的に『なぜこのような矛盾した態度を~』等という言い回しが
必要になり、多用される訳だが、その単なる導入部等を著者の主張だと思い込むという読解ミスをするから、
日本蔑視の本などという見当外れな批判が起こるのではないかと思う。
だがまともに読めば、この本が徹頭徹尾、『日本人・日本文化は訳の分からない滅茶苦茶で矛盾したもの』という当時の偏見を否定し、
日本がまともな筋の通った文化を持っていることを示す意図を持って書かれたことが分かるはずだ。

恥の文化の概念について、えのころ草さんは理解していない。
恥の文化と罪の文化、この二つは完全に分離している訳ではなく、
道徳観が恥と罪のどちらに重きを置いて構成されているかの違いがあるに過ぎない。
その違いとは、西洋人にとって罪であることの一部が、日本人にとっては恥に分類されるということに過ぎない。
だからあなたの『罪の意識が無いからやりたい放題、悪い事を平気でやる』というコメントは、
菊と刀に即して正しく解釈するならば、
アメリカ人からすると一見悪いことに思えることが、
日本人にとってなんら恥ずべき事、罪に思うべきことではないことがあり得るという、
単なる文化の違いを示すものとして理解されるべきであり、
あなたの解釈のように、恥の文化は罪を多く犯す文化という意味で使われている訳ではない。
日本人にとっても罪は罪だし、アメリカ人にとっても恥は恥で、単にその分け方が両者で異なるだけだ。
だから日本人にとって不道徳なアメリカ人の行いが、アメリカ人にとって道徳的に無問題であることもあり得る。
それがベネディクトの提唱した罪の文化、恥の文化であり、両者に優越をつけようと分類されたものではない。

最後に改めて主張したい。
『菊と刀』は、決して日本を貶めるために書かれたものではない。
むしろその真逆で、アメリカ人が正しく日本を理解するために書かれたものだ。
当時、アメリカ人の多くは日本文化を理解できず、そのままでは戦後の日本統治に支障を来すことは明白であった。
そこでアメリカ軍が正しく日本を理解するために支援したのがルーズ・ベネディクトであった。
つまり彼女に求められた仕事は、日本蔑視のためのプロパガンダとは真逆の、本当の日本人の姿を明らかにするためのものであった。
頭を使わずにいい一般人・一般兵に向けては散々日本蔑視のプロパガンダを打っておきながら、
統治に関わる高級将校向けには学術的な、出来る限り正しい日本の知識を用意する。
この強かさ・柔軟さがアメリカの怖いところで、当時の日本に欠けていたものだ。
ともかく、その研究成果として世に出されたのが、
アメリカ人でも理解できる日本=筋の通った文化を持つ日本=まともな日本 を記述した『菊と刀』だった。
菊と刀において、ベネディクトは日本文化が残すに足るまともな文化であることを主張した。
これは日本への不理解から、統治の際に日本文化を下手に破壊するような愚を犯すべきではないというメッセージでもある。
当時の日本蔑視溢れるアメリカにおいて、ベネディクトは最高レベルの日本の理解者であり、弁護人であったと言える。
もしベネディクトがいなければ、GHQによる日本統治はより破壊的なものになっていただろう。
彼女は終戦時にもう高齢で、3年後には亡くなっている。
もっと若ければ、戦後日本を訪れ、より的確な日本論を書くことも可能だったろう。
ともかく彼女は正しい日本理解に関して、当時のアメリカで出来得る限りの最高の仕事をしたと言える。
日本蔑視等という馬鹿げた先入観は捨て去って、純粋に学術的な本として菊と刀を読んでみることをお勧めする。
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「菊と刀」今 (畔井遠)
2018-01-27 05:57:06
在米50年の免疫科学者です。日本で知られている元コロンビア大学国際関係学教授のジェラルド・カーティスはわたしの友人です。

数年前、わたしの家内の兄が長野晃子「「恥の文化」という神話」という本を日本からおみやげに持ってきました。その本によるとルース・ベネディクトの「菊と刀」はアメリカの日本での原爆投下を正当化する目的で書かれたというのです。わたしは学生時代に「菊と刀」を日本語訳で読んだのですが、内容についての記憶はまったくありませんでした。
そのころジェラルド・カーティスから電話があり、しばらく日本に行くから、その前にチャイナタウンで一緒に食事をしないかと言うのです。両夫婦4人でチャイナタウンに行くことにしました。

そこでわたしはカーティスに2つの質問を用意しました。
1. 今の一般のアメリカ人は「菊と刀」を読むか。
  2.「菊と刀」は原爆投下を正当化するために書かれたのか。

食事しながらのカーティスの返答は、
1.自分のような専門家は読むが、一般のアメリカ人は「菊と刀」なんか読まない、 タイトルすら知らない。だけど、昔読んで忘れているなら、英語で読んでごらん。面白いよ。
2. 「菊と刀」は1946年に出版されたが、原稿は1943年に完成していた。だから、原爆投下とは関係ないと思う。
でした。

わたしは”The Chrysanthemum and the Sword” だけでなく彼女の著書”Patterns of Culture”, さらにその基になった新渡戸稲造の”BUSHIDO” も合わせて買いました。(”Patterns of Culture”のほうが面白かった)。
わたしの感想は、「物事を実証するにはお金と時間がかかる」でした。

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