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過激、朝日新聞人生相談 中学生に「熟女とのススメ」 広がる波紋ー女の上野氏の指導は間違っている

2012-12-31 11:58:42 | 意見発表

過激、朝日新聞人生相談 中学生に「熟女とのススメ」 広がる波紋

2012.12.11

 


上野千鶴子氏【拡大】

 朝日新聞の別冊版にある人生相談コーナーに男子中学生が性の悩みを打ち明けたところ、回答者が「熟女とのセックス」を勧めたことが問題になっている。「18歳未満に性行為を助長する言動は法律違反となる可能性もある」と専門家。お堅い朝日にしては過激な表現も目立つだけに波紋を広げそうだ。

 《ぼくの悩みは性欲が強すぎて、今年受験だというのに、エッチなことばかり考えて勉強が手に付かないことです》

 こんな15歳の男子中学生の相談が、8日付朝日新聞に折り込まれた別冊版「be」の人生相談コーナー「悩みのるつぼ」に掲載された。少年は《毎日、自分で処理はしているのですが、どうしても本物の女の子の体に触れてみたくてたまりません》と悩みを打ち明けた。

 なんとも過激な質問。だが、回答はそれをさらに上回るものだった。

 回答者は東京大名誉教授の社会学者、上野千鶴子氏(64)。上野氏は従来の「スポーツで汗をかいて性欲を発散」といった紋切り型の答えは避け、《セックスって何か、知りたければ方法があります》と次のような解決策を提示したのだ。

 《知らないことは知っているひとに教えてもらうに限ります。経験豊富な熟女に、土下座してでもよいから、やらせてください、とお願いしてみてください》

 熟女ブームもあり、しゃれっ気も多少交えて回答したのかもしれないが、ネット上などでは騒ぎが巻き起こった。ツイッター上では「男子中学生に語る内容ではない」などの声が相次ぎ、一部のテレビ番組でも話題に取り上げられた。

 上野氏は《(熟女の)ご指導に従って十分な経験を積んだら、ほんとうに好きな女の子に、お願いしましょうね。コンドームの準備は忘れずに》と回答を締めくくっているが、これが「法律違反」になる可能性もある。元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「18歳未満に性行為を助長することは、児童福祉法違反に該当する可能性がある」と語る。同法では「児童に淫行をさせる行為」を禁じており、「新聞がこうした内容を載せるのは、児童福祉法違反を助長、教唆することにもなる」というのだ。

 夕刊フジの取材に対し、朝日新聞社広報部は、「性に関する深刻な悩みに対して、男女の機微について語りつつ、『相手のいやがることは決してしないこと』などと相談者に冷静な対応を促したものと考えています」とコメント。上野氏は、朝日が示した見解について「その通りじゃないですか」としつつ、「取材に応じている時間がない」と話している。

1.この上野氏の助言はよくない。淫乱男が生まれるだけだ。日本がおかしくなる。昔のお殿様に言っているようなものだ。

2.中学生の欲望、精嚢に精液がたまるのは3日もしたらたまり性欲が起きるでしょう。その都度女性を探し、させてくださいって言って、受け入れてくれる人を探すのでしょうか、

3.我慢することを教え、上手なマスターベーションの方法を教え、結婚するまで一人で処理することを教えるべきです。

4.そして、早く結婚できるように、就職し早く一人前になって、そのためには勉強をしっかりして、いい大学に入り、或いは技術や知識を身に着けることです。

学生時代に女の子にうつつを抜かしていたら、勉強に身が入りません。早く女の子に手を付け女のアジを知ったら、女の子も男のアジを知ったら、パチンコ病にかかったようなもの、その世界から抜け出せなくなり勉強がおろそかになります。

5.中学生時代に女の溺れたら高校に行けるかは危うくなります。

学生時代は禁欲を目指すべきです。この世はいろんな欲望が生じる世界です。その欲望のままに生きては行けないのです。

6.良いお嫁さんをもらうためにしっかり勉強し、良い就職をし、一人前の給料をもらって、或いは共稼ぎと言う方法もあるでしょうが、結婚と言う道に向かって努力すべきです。

7.結婚したらお嫁さんを大切にしましょう。そしてできるだけ早く子供をつくることです。そのために勉強し会社で】実績を上げ、給料を高くして子育てができる給料にすべきです。

7.中学生のころ性交をした友人も思い出しました。落第して同じ学年になった子です。だがそういう子が一人前になったという報告は聞いていません。人生を失敗することが多いと思います。

8.今でも中学生が女学生と手をつないで歩いている子も見かけます。うらやましいと思ってみる人もいるでしょうが、将来出世はできない公算が大きいと見ます。旨いものを先に食べるのかじっくり育てておいしく食べるのかでしょう。

9.この世は禁欲ができた人が勝利できるのです。柿の実は熟して食べるととてもおいしいです。

10最後に笑うものは禁欲に勝てたものだけです。

11.実は実際に性交するよりもマスターベーションの方が気持ちがいいと言うこともあります。

しかし、結婚したら奥さんを大切に、他の女性に手を出してはその時は良くても大きな痛手を受けます。

ただただ妻を愛せよ。これが人生の鉄則です。

 


米 “極秘資料”に見る尖閣 固有の領土…知られざる暗闘ー中国、台湾はこれでも領有権を主張するのか

2012-12-31 08:11:09 | 意見発表

「中国よ、台湾よ、これでも領有権を主張するのか 「キッシンジャー文書」の中の尖閣」2012.8.15 03:00 月刊正論8月号]を読んだ。そこに「続きは月刊正論9月号でお読みください。とあったので、9月号をの記事を探したが出てこなかった。代わりにそれに近いものがあったので、転記します。

テレビにだまされないぞぉ 

 
2012年10月 7日 (日)
 

米 “極秘資料”に見る尖閣 固有の領土…知られざる“暗闘” (キッシンジャー・ニクソン・ピーターソン) 【報道STATION SUNDAY】 

テレビ朝日【報道STATION SUNDAY】で、

米 “極秘資料”に見る尖閣 固有の領土…知られざる“暗闘” というのをやっていたんですが、

テレビ朝日がアメリカで独自に入手した音声記録ということだったのでVTR部分を記録しました

 

 

アナ「・・・まさに尖閣諸島周辺ではね、緊迫した状態が続いているんですけども、実は現在、西太平洋にアメリカ海軍の空母2隻が展開しているという異例の事態となっているんですね

で、尖閣諸島を巡りましては、アメリカが歴史的にも深く関わってきました。

沖縄返還協定の調印目前には、ホワイトハウスで尖閣についての激しい議論が交わされていました。極秘資料から判った新たな事実とは。」

 

レポーター「この後ろに広がっているのがアメリカ海軍の横須賀基地です。今日はイージス艦などが留まっているのが見えます。赤いクレーンの下辺りがここを拠点にする空母・ジョージワシントンの停泊位置なんですけれども、今日はその姿は見えません。」

 

実は今、空母・ジョージワシントンは太平洋上に展開している。

004

アメリカ第七艦隊司令部は、2隻の空母が警戒監視活動を行っていることを明らかにした。

2つの空母部隊が合同で警戒に当たるのは異例。これには中国を牽制す狙いがあるとみられている。

 

緊迫が続く尖閣諸島。実はアメリカは、尖閣諸島の領有権に深く関わってきたその歴史に日本固有の領土の新事実が隠されていた。

006

終戦後、尖閣諸島を含む沖縄は、アメリカの統治下に置かれていた。

007

1971年6月17日に調印された"沖縄返還協定"。尖閣諸島についても自国の行政などが及ぶ施政権の返還が決まった。

008

しかし、実はこのわずか10日前、アメリカの政権中枢で"尖閣諸島を日本に返さない"という選択肢が浮上していた

 

キッシンジャー氏沖縄返還交渉が台無しになってしまいますよ」(大統領補佐官 当時)

ニクソン大統領「それはダメだ。」

010

これは今回、テレビ朝日がアメリカで独自に入手した音声記録。1971年6月7日、ニクソン大統領と2人の補佐官の尖閣をめぐるやり取りが記録されていた。

キッシンジャー氏1945年に台湾は返されたが尖閣諸島は沖縄に留まった。」

011

緊急会合では、ニクソン外交を主導するキッシンジャー補佐官が、尖閣諸島の施政権の日本返還を主張。しかし、国際経済担当のピーターソン補佐官が強行に反対した。

012

ピーターソン補佐官メモ〔アメリカが日本に尖閣諸島の施政権を認めれば台湾は大きくメンツを失う〕

013

台湾の蒋介石総統は、アメリカの高官に直接、尖閣諸島の日本への施政権の返還を見送るよう訴えていた。

014

当時、アメリカは輸入される安い綿製品をめぐって日本・台湾・韓国と貿易摩擦を起していた。

そこで台湾は、繊維問題でアメリカに譲歩する見返りに要求を受け入れるよう求めていたとされる

当時の外交文書を調べた春名教授は言う。

015

春名氏「アメリカの南部の繊維生産州からですねぇ、この東アジアの国々からの繊維輸出をですねぇ、抑えてほしいという要求が高まったわけなんですね。

多少悩んだと思いますね。それは、やはりニクソン大統領の再選がかかっていたわけですから。」

更に、当時から尖閣問題は、東アジアの火種になる可能性が指摘されいた。

 

レポーター尖閣諸島の領有権問題をめぐるCIAの極秘文書が、こちらのワシントンの大学の図書館の一角にあります、安全保障問題の公文書記録室で見つかりました。」

極秘・・と書かれたこの文書。沖縄返還協定調印の直前にCIAがまとめた報告書だ。

017

CIAの情報報告書日本の主張には説得力があり、(尖閣の)所有権の根拠を示す責任は中国側にあるとみられる〕

当時、アメリカとも日本とも国交が無かった中国は、今ほど強硬な主張はしていなかった。リポートの焦点は、やはり台湾だ。

018

CIA覚書〔台湾軍による尖閣上陸などの可能性も否定できない〕

ニクソン大統領の下した最終決断、そこで決め手となったのはある高官が渡した極秘文書だった。

春名氏彼がもしいなかったらどうだったのかなという事を考えますとですね、まっ非常に危ういものを考えてしまうんですねぇ。」

 

日本への尖閣諸島の返還をどうするか、ニクソン大統領が最終的な決断を下したホワイトハウス中枢の会談。

020

決め手となったのは、駐日大使も務めた知日派、ジョンソン国務次官がキッシンジャー補佐官に託した文書だった。

 

そこには日本の主張を裏付ける詳細な年表が記されていた。それを見ると、1968年に国連の委員会が「東シナ海に石油が埋蔵されている可能性がある」と指摘してから、台湾と中国の領有権の主張が始まったということが一目瞭然だった

ニクソン大統領「台湾に対しては他に何かできるはずだ」

022

日本の主張に沿って下された決定

キッシンジャー補佐官の電話記録によれば、日本に返還すべきでないと食い下がるピーターソン補佐官に対し、大統領は「shut up(黙れ)」と声を荒げたと言う。

023

春名氏「当時ですねぇ、それほどの深刻な事は、日本側に伝わってなかったと思います。日本側はそれほどですねぇ、アメリカが真剣にですね、この問題を検討したという事実はですね、この外交文書が出てきて(初めて)わかったと思います。

やはりですねぇ、尖閣の問題は日中間、日台間この問題だけではなくてですねぇ、アメリカが深く関わっているんだと、、」

更にこの場でキッシンジャー補佐官はこうも発言していた。

024

キッシンジャー氏1951年のサンスランシスコ平和条約で尖閣諸島の日本の主権を認めている。その時すでに尖閣諸島について大きな決断は下されている。」

025

施政権だけでなく、尖閣諸島の領有権が日本にあると発言していたのだ。

 

1972年(5月15日) 尖閣諸島は日本に返還された。ただアメリカは、尖閣諸島を日米安保条約の適用範囲内だとしながらも、領有権については中立を貫いている。

 

 

長野アナ尖閣をめぐる問題にアメリカが非常に深く関わってきていたと。そして領有権とか施政権という言葉を巧みに使い分けながらこの問題にアプローチしている姿が見えてきたが、今のアメリカの真意は?」

 

渡部氏空母2隻は凄く異常な事態だが、中国に対しての牽制で、軍事衝突するなというメッセージ。当然それは日本に対しても

日米同盟・安保が尖閣に適用という事の前提として、約束した通り施政権が日本にあるから。

ただし、領有権問題に関しては、あまり日本の肩を持ち過ぎると中国が反発する。

実は、中国と問題起しているのは日本だけじゃなくて南シナ海でフィリピン・ベトナムとかやっていて、これに関してもアメリカは牽制しているが、微妙に当事者にならないように、一方的に肩を持たないようにしている。微妙なバランス

日本はアメリカにもっと肩持ってと言って、日米が乖離した方が中国の思う壺でなかなか難しい状況にある。」

長野アナ細かく取材すると、かつてキッシンジャーさんが日本の主権を認めている発言をしている。こうした事実の積み重ねがあるが、今後日本はアメリカにどう対応すればいいか。」

渡部氏「アメリカ側に『主権を認めろ』っていうような対応の前に、基本的に日米同盟が機能するのが優先順位が高い。紛争を起したくない点で同じだから

あとの法的な問題は、もうちょっと時間をかけてアメリカと対応していく事になるだろう。」

 

後藤氏「尖閣問題を見ていると、中国は、9/11日に閣議決定で予備費20億5千万出したのを見計らうように、様々な情報戦を展開している。国連で地図を出し、ヨウケツチ氏が演説し、アメリカ紙に広告を出すと。

ところが日本は、国有化のあとのシナリオがあまりにも無さ過ぎた。尖閣の日本の領有化についても、外務省の主張は『1895年の下関条約の前に、平穏公然に日本の領有権確立』。 (しかし中国では)それが下関条約によって敗戦国の中国から取ったという宣伝がされている。

それは外務省の主張をもっと国際社会に訴える今日の素晴らしい記録などを示すという事が非常に大切だと思う。」

長野アナ「あくまで日本側としては、『領土問題は存在しない』という姿勢は変わらないが、ただ一方で明らかに尖閣の周辺では問題が起きているのは事実

後藤氏「事実ですね。外務省は『平穏かつ安定的な維持管理』と言っているが、事実上それは壊されている。その基本方針を徐々に変えながら、なおかつ時間を掛けて情報戦で抗戦にでるのが必要だと思う。」

長野アナ「つまり、極めて高度な外交対応が求められているという事ですよね。」

渡部氏「とかく尖閣周辺の漁船とかに目がいっているが、私が中国だったら日本のもっと弱いところ、相互依存の経済を突く。それこそ極めて高度な外交になる。」

長野アナ「その局面に直面している野田政権なんですが、新体制がスタートした早々、足元が揺らいでいます・・・」

以上

尖閣諸島の返還のウラに、キッシンジャー補佐官とジョンソン国務次官の働きがあったなんて知らなかったー(・・;)

もちろん正当な結果だけど、でも、もしピーターソン補佐官がもっと力を持っていたら・・・、ニクソン大統領はどうしたのか?と考えると、春名教授の言われたように危ういものをちょっと感じました。

アメリカって、尖閣諸島が確実に日本の物だと知りつつ、本当に微妙なバランスを保ってますよね。

尖閣諸島をChinaに盗られるようなことがあれば、沖縄に米軍基地がある意味もないし、アメリカが国益の為とはいえ、ニラミを利かせてくれるのは当然だしありがたい。

だけど問題は、それをバックに日本自身がちゃんと防衛できるかって事ですよね

野田政権にそれが出来るとはとても思えないんだなぁ・・・think

 

"尖閣"をめぐるアメリカの思惑・曖昧作戦 【NEWS23クロス】 より

日米の間に結ばれた「沖縄返還協定」には、返還される日本の領土として、緯度経度を具体的に示し、この区域内にある全ての島、小島、岩礁などと定義している。地図上でそのポイントを囲ってみた。

012

いびつな不等辺六角形の中には、尖閣諸島が含まれている。

013

外務省も尖閣諸島領有の根拠の一つとして、沖縄返還協定の緯度経度を示している

 

アメリカが空母&海兵隊を東シナ海・南シナ海付近配備  【ワールドWave】よりdownwardleft

アメリカの週刊誌・タイム誌によると、原子力空母「ジョージ・ワシントン」が、東シナ海海域付近で。「ジョン・C・ステニス」も、南シナ海で作戦を始めたと報じました

 

これらの空母は、それぞれ80機あまりの戦闘機を乗せ、駆逐艦、原子力潜水艦などで構成されています。

007

また、近隣のフィリピン海付近にも約2200人のアメリカ海兵隊を乗せた

 

 

上陸艦「ボンホーム・リチャード」を配備しました。

特定地域にアメリカ軍を集中することは異例のことで、アメリカはこれまで"領土紛争には介入しない"との立場を表明していました。

1.尖閣諸島は日本領土で、中国や台湾との間に領土問題はありません。

2.あなた方は島々の日油溶性を認めていなかったのです。それは周恩来の日中国交正常化時の言葉でも明らかです。

 


「尖閣はやっぱり日本のもの」ー中国の女性企業家林凡氏がツイートした

2012-12-30 22:40:26 | 意見発表

波紋呼んだ中国人の「尖閣はやっぱり日本のもの」

2012/08/28(火) サーチナ

 

 

  中国の女性企業家、広東捷盈電子科技・取締役副主席の林凡氏が24日、「尖閣諸島は日本のものだ」とツイートした

米国とオランダ、マレーシアとシンガポールの領土争いで国際法廷が示した判決や、中国共産党機関紙である人民日報のかつての「見解」」などを根拠として、現在の中国政府の言い分を否定する見解を示した。

  同ツイートに対しては「激烈な反対意見」とともに、尖閣諸島の領有についての中国共産党・中国政府の主張に改めて不信の念を表明する書き込みも相次いだ

  林凡氏のツイートとフォローは25日夕方までに、すべて削除された。同ツイートの原文となったと思われるブログは転載が相次いだこともあり、一部ページでは閲覧することができる。同文章には、尖閣諸島の領有権について、他の事例との比較や日中のこれまでの対応の分析を積み重ねて論じている特徴がある。同問題に絡めて過激な行動をする中国人に対する嫌悪感の発露と見られる部分もある。

  以下、ブログ文の全文を日本語訳して掲載する。小見出しと訳注は編者による。

**********

インターネットでは釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)について、多くの意見が寄せられています。「たたく」、「殺す」などと叫ぶ罵声です。それでは、魚釣島の未来はどうなるのでしょう。詳細に分析すると、魚釣島は必然的に日本に属するということが予見できます。

領土紛争の解決には3つの方法がある

  私たちは、国際的な領土紛争を解決するには、通常、3種の方式があると知っています。
(1)交渉で解決、
(2)国際法廷に訴える、
(3)武力を用いる――です。

  まず、1番目の方法を見てみましょう。交渉による解決です。

  交渉には、双方が相手との間に領土紛争があると確認し、双方が交渉を望むという前提があります。中国側はもちろん、日本と交渉したいと考えるでしょう。

  では、日本側はどうでしょう。日本の外相は9月19日<訳注:何年の発言であるかは不明>、「尖閣諸島は日本の固有の領土だ。いわゆる領土問題は存在しない」と発言しました。相手が領土紛争があるとの基本を承認しないのでは、なにをもって交渉の土台とするのでしょう。さらに、日本側が交渉を望んだとしても、現在の国際政治では、交渉を通じて相手が実効的に占領している領土を取り戻すという考えは、「痴人の夢」とでも言うべきです。

  次に、2番目の方法を見てみましょう。国際法廷に訴えるという方式です。私は、この方法を重点的に論じます。

「古くから中国に属していた」で領有権は決まらない

  中国政府・外交部の報道官は、釣魚島について語る時には「釣魚島は古くから中国に属していた」と言います。日本側の主張は実際のところ一貫しており、「無主地であり、日本が先にこの地に対して有効な統治を行った」です

  これに対して中国側の“反撃”は、「われわれの、かくかくしかじかの古文書には、14××年に、釣魚島についての記録がすでにある。日本人よりも500年も早い」うんぬんです。

  しかし、すでに1925年の米国とオランダの間でパルマス島<訳注:フィリピン・ミンダナオ島とオランダ領東インド(当時)の間にある島>の事案で、国際法廷は「先に発見した者が、主権を有するとはかぎらない」との見解を示しました「有効な統治があって、(領有権は)成立する」としたのです。たとえば、国旗1本を立てるだけでもよいのです。

米国・オランダ間で「実効支配」が決め手になった実例

  パルマス島を発見したのはスペイン人で、16世紀のことでした。その後、オランダが統治していました。さらにその後、スペインはパリ条約でフィリピンとその周辺島嶼(とうしょ)を米国に割譲しました。米国は、その島嶼にパルマス島が含まれていると認識したのです。しかし、国際法廷はパルマス島の割譲を認めず、(それまで実効支配をしていた)オランダの領有が続くことになったのです。

  もうひとつ、参考の価値があるのがシンガポールとマレーシアが争ったペドラ・ブランカ島の件です。歴史的要因だけを考慮すれば、ペドラ・ブランカ島は明らかにマレーシア・ジョホール王国にとっての「古来からの神聖なる、分割することができない一部分」でした。

  しかしシンガポール側は1844年に同島に灯台を築き、実効支配を始めました。マレーシア側は長期にわたり、異議を唱えませんでした。マレーシアが1979年に自国地図にペドラ・ブランカ島を入れたことで、両国の争いが発生したのです。

長期間放置・権利放棄で領有権は相手国のものになる

  国際法廷は最終的に、ペドラ・ブランカ島をシンガポール領と認めました。マレーシアが長期にわたり、(シンガポールの実効支配を)「黙認」していただけでなく、さらに重視されたのは、1953年にシンガポール当局がマレーシア当局に対して「同島の領有権はマレーシアに属していると考えるか」と質問した際に、ジョホール州の代理秘書が書簡で「ジョホール政府はペドラ・ブランカ島に対する領有権を主張したことはない」と回答したことでした。

  したがって、国際法廷は「1844年まで同島がジョホール王国に属していたことは確かだ。ただしその後、マレーシア側の放棄により主権は移った」と判断したのです。

火星を地図に描いても、火星は自分のものにならない

  不幸なことに、清朝時期はおそらく「普天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、糞青にあらざる莫し」<訳注:原義は、「あまねく空の下はすべて王(=中国の支配者)の土地、そこにいる人はすべて王の臣」の意。「王臣」をわざと憤青(=怒る青年)と同音の「糞青」に置き換えたと思われる>の伝統思想の影響を受け、自分の目で見えるのだから、われわれの土地だと考え、時おり(中国の)漁民が立ち寄る以外には、基本的に釣魚島において主権を直接に示す行為をしなかったのでしょう。

  明朝期の「籌海図編」や清朝の「大清一統輿図」を持ち出す人もいます。これらで少なくとも、われわれが地図の上で釣魚島を記載していたことは証明できます。

  しかし、地図などというしろものを持ち出しても、「アフリカが(自国で作成られた地図に)入っているから、アフリカはわれわれのものだ」とか、「火星を描いておいたから、火星はわれれものもだ」と言うことはできません。(つづく)(編集担当:如月隼人)

 

 

  中国の女性企業家、広東捷盈電子科技・取締役副主席の林凡氏が24日、「尖閣諸島は日本のものだ」とツイートした。米国とオランダ、マレーシアとシンガポールの領土争いで国際法廷が示した判決や、中国共産党機関紙である人民日報のかつての「見解」などを根拠として、現在の中国政府の言い分を否定。「釣魚島はすでに日本のものであるし、将来も日本のものだ」と主張した。

■「尖閣諸島」に関する他の記事 - サーチナ・ハイライト

  同ツイートに対しては「激烈な反対意見」とともに、尖閣諸島の領有についての中国共産党・中国政府の主張に改めて不信の念を表明する書き込みも相次いだ。

  林凡氏のツイートとフォローは25日夕方までに、すべて削除された。同ツイートの原文となったと思われるブログは転載が相次いだこともあり、一部ページでは閲覧することができる。同文章には、尖閣諸島の領有権について、他の事例との比較や日中のこれまでの対応の分析を積み重ねて論じている特徴がある。同問題に絡めて過激な行動をする中国人に対する嫌悪感の発露と見られる部分もある。

  以下、ブログ文の後半部分を日本語訳して掲載する。小見出しと訳注は編者による。尖閣諸島の領有権について、中国側がしばしば持ち出す「地図」の問題などから論じた。

**********

日本は尖閣編入時、「微妙な問題」と認識していた

  これまで(世界で発生した領土争い)の事例を見ると、地図の証拠能力は地図自身の性質と質に関係してきます。地図の証拠としての説得力は、しばしば極めて有限です。たとえば、パルマス島の事例では、国際法廷は地図を証拠として採用するにあたって、地図が正確であることを基本条件として求めました。

  米国側は世界各地から1000枚以上もの地図を探し出しました。それらの中で、(領有権争いの相手国である)オランダの主張を支持する地図は3枚しかありませんでした。しかし国際法廷はパルマス島を(実効支配を続けていた)オランダの領有と判断しました。

  振り返ってみれば、日本政府は19世紀の末から大きなエネルギーを使って釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を調査し、清国政府が所管した痕跡がないことをつきとめました。ただし、日本側は中国が同島をすでに命名していたことには注目しました。

ところが、日本人が統治しても中国は抗議しなかった

  (尖閣諸島が)清朝の勢力範囲に近いため、清国の領土であるという証拠はなかったのですが「万一の不測の事態が発生すれば、事態収拾が難しい」と懸念したわけです。

  日清戦争中の1895年に起こった海戦で清国に勝利すると、日本人の姿勢は強硬になりました。釣魚島を沖縄県の所管として、標識を立てたのです。<訳注:正式な標識を立てたのは1970年で、下記の尖閣諸島への入植よりも相当に遅れた>

  翌1896年には同島を古賀辰四郎に貸し与えたので事業が始まりました。1909年には、同島に移住する者が250人近くになりました。

  しかし清国政府は(尖閣諸島に対する)主権の宣言を発表することはなく、実際の統治も行いませんでした。さらにスゴイことに、1970年代に石油資源が発見されるまで、中国は70年以上も日本や米国の釣魚島統治に対して、何の異議も申し立てなかったのです。

「清朝は釣魚島を自国領と認識していた」証拠は偽造だった

  1970年代になり、釣魚島の紛争が改めて発生してから、米国在住の「盛家の子孫」と自称する盛毓真という人物がおどり出ました。盛毓真は慈禧(西太后)から盛宣懐<訳注:清朝末期の政治家・実業家。1844-1916年>が賜ったとする書状を発表し、清朝政府が釣魚島について“電柱に小便をかけていなかったわけでもない”ことを証明したのです。

  (釣魚島の奪還を目指す)保釣派は欣喜雀躍しました。盛毓真は愛国の星とされ、台湾に行って人を騙して大いに飲み食いをしたのです。

  ただし、ウマイことは長続きしません。中国大陸及び台湾の学者が前後して、盛毓真が発表した慈禧の書状には形式上の混乱があり、ありえない間違いがあることを発見したのです。例えば、盛宣懐の任官の年月日が事実よりも3年早かったり、慈禧の印が書状を書いた当時にはすでに使っていなかった、それより古い時期のものと判明したのです。結局、慈禧の書状は偽物と断定されました。

下関条約と尖閣は関係なし、日清双方が確認済み

  この偽書以外にも、中国は釣魚島を「台湾と付属する島嶼(とうしょ)」の一部とみなして、馬関条約<訳注:日清戦争の講和条約。日本では下関条約と呼ぶ>にもとづき日本に割譲されたもので、清朝の領土であったのだから「カイロ宣言」及び「ポツダム宣言」の関連規定にもとづき、中国に返還されるべきと主張しています。

  問題は、日本は馬関条約の3カ月前に釣魚島を沖縄の所管に組み込んでいたことです。馬関条約締結時、清朝政府は日本が“魔手”を伸ばし、福建省沿岸の島嶼も「台湾に付属する島嶼」として自分のものとしようとすることを恐れました。そこで清朝側の要求により、双方は地図の形で(日清戦争の講和条件として)日本に割譲する島嶼を確認したのです。日本側が示した地図に釣魚島は入っていませんでした。

  そして、双方は「台湾接収文書」に署名しました。すべてが「双方いずれにとっても明確」なのです。<訳注:筆者は、日本は下関条約以前に尖閣諸島を領土に組み込んでおり、日清戦争の講和条約の結果として中国領である尖閣諸島が日本に引き渡されたのではないと指摘

論じていて気分が悪いが、事実は事実

  ここまで論じてきて、実に気分が悪いのです。しかし、話はまだ続きます。日本側には、もうひとつの主張があります。つまり、魚釣島は琉球諸島の一部分であり、理屈から行っても日本に属するということです。

  中国側は何としても、この日本側の主張は絶対に違うと証明せねばなりません。中日双方の古文書の記載からして、古琉球時代に釣魚島が琉球に属していなかったことは確実です。しかし日本が1895年に釣魚島を琉球に編入してから、日本と米国だけでなく、さらに致命的なことに、中国もが釣魚島は琉球に属すると言いはじめたのです。

人民日報も「尖閣は琉球に属する」と明記

  1920年に、中華民国の駐長崎領事は日本政府にあてた感謝状で「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と書いているのです。さらに“殺傷力”が大きいのは、1953年に「人民日報」が発表した文章です。

  最初の部分には「尖閣諸島を含む琉球群島」と書いてあり、最後の部分では「琉球は日本人民が独立、民主、平和を勝ち取る闘争と、切り分けることができない」と書いてているのです。

  実際には、現在も一部の「保釣派」の理論は「釣魚島は琉球に属する。琉球は中国に属する。したがって釣魚島は中国に属する」です。これに対しては彼らに、痴(し)れ者の妄想はおやめなさいというのみです。

日本にMAOのような人物が出れば、戻ってくるかも

  琉球が現在、日本に属するということは変えようがない事実です。日本人に琉球を吐き出させようとすれば、彼らの国家に、たとえばMAOのような領土を糞まみれの土地のように扱う神のような偉人が出現することを期待するしかありません。<訳注:MAOは毛沢東を指すと考えてよい>

  これまでの記述を総合し、台湾の保釣運動の熱血青年に馬英九総統が比較的遠まわしな言い方で「釣魚台(尖閣諸島の台湾側通称)を争う場合、国際法は台湾にとって不利」と言っていることもあわせてみれば、私は国際法廷に訴えた場合、(釣魚島を取り戻せるという)中国側の勝算はほとんどゼロと考えます。これが残酷な現実です。

武力による奪取は、どう考えても不可能

  最後に、武力による解決を考えてみましょう。

  現在、インターネット上には中日海空軍力比較が大量に存在します(陸軍は尖閣問題で使えないからです)。日本側がやや有利という説もあれば、中国側が勝つとの主張もあります。この種の比較は実際には、まったく無意味です。「日米安保条約」が存在するからです。

  法律上の義務、同盟国としての道義、あるいは自国のための戦略的利益からみても、米国は必ず日本を支持します。ヒラリー・クリントン米国務省長官も「私は明確に申し上げたい。尖閣諸島は安保条約第5条の範囲内であり、われわれは日本国民の義務を保護することを重視します」と表明しました。

  これまでの釣魚島を巡る紛争のとき、軍の側の原因があったわけではありません。しかし、頭がおかしいのでなければ、中国と米国の軍事力の差は、1段階や2段階の問題ではないと、だれでも分かるはずです。

  あるいは「戦争の勝敗を決定する鍵は、双方の武器装備の優劣ではない。精神と意志の力の違いだ」と言う人がいるかもしれません。

尖閣海域に派遣される中国の監視船は哀れだ

  確かに、「冷たい兵器の時代」でも「熱い兵器の近距離作戦の時代」でも<訳注:「冷たい兵器」とは、火薬類を使わない古代の兵器を指す。「熱い兵器の近距離作戦」とは、通信網やミサイルなどを使わない火砲による攻防を指す>、精神力や意志の力は戦争の勝敗を決める重要な要素です。

  ただし、現在の情報化・非接触式作戦の時代に、精神の力を強調するということは、すなわち精神力を淫するということです。もちろん、“愛国賊”らの圧力に対応するために、共産党も国も「強硬」な表現をします。

  そして党・政府は監視船数隻を派遣します。われわれの監視船が日本の軍艦と対峙することには、心がぞっとして同情の気持ちが出てきます。(日本側に阻止された時点で)釣魚島まではまだ数十海里もあり、そしてまた、傷ついた心で戻らねばならないのです。こんなつら汚しの小細工で、釣魚島を奪還できるとでも言うのでしょうか。

尖閣はすでに日本のもの、将来も日本のもの

結論:
  釣魚島は日本人が出兵して占領したものではありません。われわれがぼろ布のように捨てたものです。日本人は宝物のようにそれを拾いました。われわれは異議を唱えませんでした。1968年に釣魚島海域で石油が発見されたから、釣魚島は一晩にして突然、「神聖にして不可分」な領土になったとでも言うのでしょうか。

  そして、泰山のように崇拝されている周恩来も、日本人に対してあいまいに「われわれはここで、あの(釣魚島)のために、論争をすべきでありません。いずれにせよ、地図の上で探しにくいほどの小さな点にすぎません。なんで問題になるかと言えば、石油が見つかったからにすぎません」と発言しています。これが、一国の指導者の領土問題に対する姿勢でしょうか。

  したがって、法律面、国際政治、実力を比較検討しても、釣魚島はすでに、そして将来にわたって日本のものでありつづけるのです。あなたは怒るかもしれない、あせるかもしれない、悲しむかもしれない。しかしこれが事実であり、真相なのです。(完結)(編集担当:如月隼人)

★★★★★★

1. 私は尖閣問題について何とかしなければならないと考えて、資料を集め、中国のやり方を批判してきた。

2. 中国は兵力はまだ使っていないが、暴力を使って、日本企業を破壊し、日本品を排除し、日本経済を貶め、でっち上げた尖閣諸島の中国領土の主張、それに対抗する反論等々を書いてきました。

3. 私の力ではどうしようもないところで、そういう時は仕方が無く「神頼み、仏頼み」にならざるを得ない。「間無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・」
そして、「般若心経を唱える」のです。

私は、神や仏に守られていると思います。熱心に祈っていれば願いはかなうのです。

どういう検索をしたのか忘れましたが、「波紋呼んだ中国人の「尖閣はやっぱり日本のもの」」 と言う記事に出くわしました。

4. 林氏は中国人でありながら中国の主張の問題点を的確に指摘しています。

中国は①カイロ宣言があり奪ったものは返還することになっている、②日清戦争で盗んだ、③奪った、③「人民日報も「尖閣は琉球に属する」と言うがこれは無効であると主張している

等々は嘘を言っている中国そのもの、おかしいと言えます。

 

5. また、こういう記事も出てきました。

「尖閣は琉球の一部」1950年の中国外交文書 日本名を明記、現在の主張と矛盾

2012.12.28 22:25 中国]MSN産経ニュース

沖縄県・尖閣諸島

 沖縄県・尖閣諸島について中国が1950年に作成した外交文書の中で、「尖閣諸島」と日本名を明記し、尖閣が琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す文言が含まれていたことが28日、関係筋への取材で分かった。

 現在の中国は尖閣諸島を「台湾の一部」として自国の領土だと主張。50年当時に中国が、琉球の一部と認識していたことは現在の主張と矛盾しており、中国側にとっては領有権主張の根拠が揺らぐ内容。

 関係筋によると、「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」と題された文書は50年5月に作成。同外交文書のコピーを精査した関係筋は文書を本物とみている。

 文書は、尖閣諸島を琉球の一部として扱い、「台湾から距離が甚だ近く、台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と述べている。(共同)

 

 《はじめに》

 先月の7日、野田佳彦首相が尖閣諸島を国有化する方針を明らかにし、独自に購入を計画している東京都と協議に入っていることを明らかにした。これに対して中華民国(以下台湾とする)と中華人民共和国(以下中国とする)は、例によって反発を強めている。このようなとき、日本の尖閣諸島の領有に関する事実関係をより明確にすることは、大いに意味があるだろう

 本論は、リチャード・ニクソン大統領図書館所蔵のヘンリー・キッシンジャー文書「台湾の尖閣諸島に対する要求」(以下尖閣文書とする)をもとに、沖縄復帰のとき台湾が尖閣諸島に関して米国にどのような申し入れを行っていたのか、それに対してニクソン政権幹部がどのように回答していたのか、彼らが最終的にどのような判断を下したのかを明らかにしたい。そうすることで、日本の領有権の正当性についてこれまでなされてきた論証の補足としたい。(早稲田大学教授・有馬哲生 月刊正論9月号)

尖閣領有権は沖縄復帰に直結 

 そもそも尖閣諸島の領有をめぐる議論は1968年(20世紀は後の2桁のみを記す)に日本が領有権を米国に確認し、かつこの周辺で台湾漁民がしている不法行為(密漁や難破船の占拠など)を取り締まるよう琉球列島米国民政府(沖縄を委任統治していた米国軍政府)に強く要求したことで浮上し、69年秋に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が周辺の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性が高いという海洋調査の結果を発表したあとの同年11月22日に佐藤(栄作)─(リチャード)ニクソン会談で沖縄復帰が合意されたのち、中華民国が米国にこれらの島々を日本に復帰させるのを保留するよう求めたことで始まった

このとき米国は、沖縄を日本に復帰させるにあたって、尖閣列島を沖縄の一部と認め、日本に復帰させるのか、それとも沖縄の一部とは認めず、保留し、帰属のことは日本と台湾の間の議論に任せるのか判断を迫られることになった。ここにおいて、尖閣諸島の議論は、沖縄復帰と直接的に結びついていたのだ。

 テレビなどは、尖閣諸島が1895年から日本領とされて、所有者もいることをしばしば指摘し、それをもって尖閣諸島が日本の領土だと報じている。だが、日本は第2次世界大戦に敗れてポツダム宣言を受諾し、さらにサンフランシスコ講和条約によって沖縄を米国の統治に委ねたのだから、沖縄復帰のときに、これらの島々が日本に復帰させるべき領土とされていなければ、それ以前の領有や所有の実態は、あまり意味を持たない。それは、ポツダム宣言によって日本が放棄させられた千島列島(ただし北方四島は除く)などの場合と同じだ。

 したがって尖閣列島をめぐる議論は、やはり沖縄復帰に関するものであり、以下で見ていく尖閣文書の内容からしても、日本―米国―台湾の間のものだったといえる。たしかに、中国も日本と米国が沖縄復帰で合意したあとの70年12月3日(米国東部標準時の)になって初めて尖閣諸島の領有権を主張したが、米国もなんら考慮に値する根拠が挙げられていないと判断している。したがって、台湾の主張を退けることができれば、「尖閣諸島は台湾のものであり、台湾は中国のもので、したがって尖閣諸島は中国のものだ」という中国の三段論法も退けることができる。

台湾の主張の根拠 

 そこで、まず、台湾側が沖縄復帰のときに米国側に対してどんな申し入れを行っていたのか、その主張の根拠がどのようなものだったかを見よう。これを明らかにするのが71年3月15日に駐米台湾大使周書楷が米国国務省に赴き、口頭で台湾の尖閣諸島に対する要求を伝えたうえで渡した文書だ。以下はその要旨である。

 「(1)15世紀の明の時代から琉球に冊封使を送っているが、その使節団の旅行記にとくに釣魚台(魚釣島)、黄尾嶼(久場島)、赤尾嶼(大正島)の3島のことが詳しく記されている。その記述によれば、これらの島々は台湾と琉球の境界線と考えられてきた

 (2)釣魚台列嶼(尖閣列島)の地質学的構造は台湾のものと似ていて、地理的にも台湾と隣接している。だが、沖縄からは200マイル以上も離れている。

 (3)釣魚台列嶼は、長年にわたって台湾漁民の漁場だった。彼らはこれらの島を、嵐を避けるためや船や漁具を修理するために使ってきた

 (4)日本政府は釣魚台列嶼を1894年以前(つまり日清戦争以前)には沖縄県に編入してなかった。この編入は日清戦争のあと中国による台湾と澎湖島の割譲の結果(in the consequence of China's cession of Taiwan and Prescadores to Japan)起こっている。

 第二次世界大戦の終結以来、北緯29度以南の島々は、サンフランシスコ講和条約第三条にしたがって米国の軍事的占領下に入り、そのなかに釣魚台列嶼も含まれていた。中華民国政府は、この地域の安全保障への配慮から、これまで米国の軍事的占領に異議を唱えなかった。だが、これは釣魚台列嶼が琉球の一部であることを中華民国政府が黙認したと解釈されるべきではない。さらに、国際法の原則によれば、一時的軍事占領は最終的主権の決定に影響を与えるものではない。((4)のうち傍線部は原文のまま)

これら歴史、地質、地理、使用実態、国際法上の理由により、釣魚台列嶼は台湾と関係が深く、台湾に付属する、あるいは帰属するものとして扱われるべきである。台湾も澎湖島も隣接する島々も第二次世界大戦後中華民国に返還されたが釣魚台列嶼が例外となっている。1972年に米国による琉球諸島の占領が終結するにあたり、米国政府は中華民国の釣魚台列嶼に対する主権を尊重し、これらの島々を中華民国のために留保すべきである。」

 以上が、台湾が米国政府に対して行った申し入れの要約だが、主旨を歪めるような夾雑物は一切入れていないし、日本側にとって不利な点を隠すこともしていない。したがって、この内容が理にかなっていないとすれば、台湾の領有権の主張そのものが理にかなっていないことになる。そして、この要約からも、これまで政府関係者やマスコミから私たちが知らされていた以上におかしなことを台湾が述べていたことがわかる。続きは月刊正論9月号でお読みください

 ■有馬哲夫氏 昭和28(1953)年、青森県生まれ。早稲田大学卒業後、東北大学大学院文学研究科修了。東北大学大学院国際文化研究科助教授などをへて現職。アメリカの占領政策と日本のマスメディアの関係を明らかにする研究に注力。著書に『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』『アレン・ダレス 原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』など。

 

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