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保育園児90人奇跡の脱出…「早ぐ、早ぐ!」ー「避難3原則」守り抜いた釜石の奇跡

2011-04-28 21:53:58 | 意見発表
保育園児90人奇跡の脱出…「早ぐ、早ぐ!」
2011/04/28 15:16更産経新聞
 「東日本大震災の発生時、ちょうど避難訓練の準備をしていた保育所があった。岩手県野田村の野田村保育所。建物は津波で無くなったが、約90人の園児と14人の職員は全員無事だった。保育所は月1回のペースで避難訓練を行い、常に津波を意識していた。なぜ、そこまでの備えができていたのか。(梶原紀尚)

背中に乳児くくり「早ぐ!」

 三陸鉄道のねじ切られたレールが津波の威力を示していた。保育所の建物があったはずの場所には、片側の門扉だけしかなかった。人口約4700人の野田村では震災で28人が死亡。450戸以上が全半壊するなどの被害が出た。

 震災当日、午後3時から毎月恒例の避難訓練を予定していた。訓練は火災、地震、津波の3つの想定で行われており、津波訓練の場合、15分以内に約500メートル離れた「高台の家」に避難する段取りだ

 主任保育士の廣内(ひろない)裕子さん(53)はこの日、園児たちの昼寝をいつもより早く切り上げ、着替えをさせていた。そのとき地震が起きた。

 廣内さんは激しい横揺れに耐えながら大地震が来たら『源平坂』に逃げろ」という地元の言い伝えを思い出していた。源平坂は避難場所からさらに奥にある高台へと向かう坂。登り切れば津波でも安全だとされていた。

 「逃げよう!」

 0歳児はひもで背中にくくり、1歳児の10人は保育所で「避難車」と呼ぶ大型の乳母車に乗せた。そのあと、上履きのままの園児たちが続いた。

 500メートルほど進み、避難場所である高台の家にたどり着いたが、黒々とした波の塊が防潮林を超え、海岸沿いの国道を走る車をのみ込もうとしていた。高台の家も危ないかもしれない。

 「早ぐ、早ぐ!」

 一行はさらに約500メートル離れた源平坂を目指すため、ビニールハウスの間を突っ切ろうとした。避難車のタイヤが畑にめり込み気持ちが焦ったが、必死で走り源平坂を登りきった。そのとき坂の登り口で津波が止まったのが見えた

 乳幼児を連れて逃げるのには時間がかかる。保育所では訓練で周到な準備をしていただけでなく、職員らは避難場所についても油断せず、最善を尽くした。
 幼いころの十勝沖地震の経験や「源平坂」の言い伝えに助けられたという廣内さんは「教訓を次の世代へ伝えていくことが大切」とし、次のように語った。
 「津波の怖さはだんだん薄れる。先祖や親から教えられたように、子供たちや若い職員にも伝え続けていかなくてはならない」

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「避難3原則」守り抜いた釜石の奇跡
2011/04/13 14:32更新 イザ!産経新聞
記事本文【東日本大震災】

 背後を気にしながら高台を目指す子供たち。小学生は、中学生に手をひかれている。これは東日本大震災の大津波から避難する岩手県釜石市の鵜住居小学校(361人)、釜石東中学校(222人)の避難の様子を、住民が撮影した貴重な写真だ。釜石市内の児童・生徒はほぼ全員が無事に逃げ延びた。「釜石の奇跡」といわれる避難はどのように行われたのか。南海地震の大津波に備える西日本にとって学ぶべきことは多い。(北村理)

★原則1「想定、とらわれるな」

 海岸からわずか約1キロの鵜住居小では地震直後、校舎3階に児童が集まった。地震では建物自体は被害がなかったことや浸水想定区域外だったのが理由だった。海岸から近いにもかかわらず浸水想定区域外だったのは、明治、昭和の津波で被害がなかったからだ。

 しかし、児童が3階に集まり始めたころ、隣接する釜石東中では生徒は校庭に駆け出していた。校内放送は停電のため使えなかったが、これを見た児童たちは日頃の同中との合同訓練を思い出して自らの判断で校庭に駆け出した

 児童・生徒ら約600人は、500メートル後方にある高台のグループホームまで避難。ここも指定避難場所だったが一息つく間もなく、裏側の崖が崩れるのを目撃する。危険を感じて児童生徒はさらに約500メートル先の高台にある介護福祉施設を目指した。その約30秒後、グループホームは津波にのまれた。

 ★原則2「最善を尽くせ」

 背後から聞こえる轟音と防潮堤にぶつかる白い波しぶきを見た児童・生徒はたどり着いた介護福祉施設からさらに高台へ駆けた。写真はまさにこの時の様子だ。津波は介護福祉施設の約100メートル手前で止まった。すべてが避難開始から10分足らずの出来事だった 「間一髪で小学生全員が津波に巻き込まれるところだった」と、釜石市の小中学生の避難行動を調査した群馬大学大学院災害社会工学研究室の片田敏孝教授と金井昌信助教。もちろん津波は小中学校をのみ込み、鵜住居小では3階まで流されてきた自動車が突き刺さっていた。

 ★原則3「率先し避難せよ」

 釜石市教委は平成17年から片田教授らとともに防災教育に取り組んでいたが、翌年の千島列島沖地震の際には避難率は10%未満だった。このため、片田教授は子供たちにも登下校時の避難計画も立てさせた。津波の脅威を学ぶための授業も増やし、年間5~10数時間をあてた。そして、「避難3原則」を徹底してたたき込んだ。(1)想定にとらわれない(2)状況下において最善をつくす(3)率先避難者になる。今回の大津波で児童が校舎3階から校庭に駆け出して高台に向かったこと、中学生が率先避難者となって小学生を導いたことなどすべてが「避難3原則」にあてはまる。

 市内では、すでに7割の児童が下校していた釜石小学校(児童184人)もあったが、全員が無事だった。祖母と自宅にいた児童は、祖母を介助しながら避難▽指定避難所の公園にいた児童は津波の勢いの強さをみてさらに高台に避難するなど、ここでも「避難3原則」が生かされていた。

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1.助かった人たちは日頃の訓練を生かしたが、それが100%大丈夫だという判断をしなかった。とっさの判断で、そこにはリーダーがいたのです。そのさらなる安全策の提案が、つまり想定外であったが正しい判断の助言によって助かったのです。
わたしは、この想定外を見事に正しく判断し日本を救った事例をロシアのバルチック艦隊との日本海会戦に見るのです。
2.旗艦、東郷元帥は敵艦が動いていく方向に舵を切って追跡した。旗艦には「全艦我に続け」の旗信号が上がっていた。後続の艦は旗艦に続いた・・・だが「敵艦は舵が故障して戦場を離れようとしているだけで、この艦を追ってはならない」と進言した参謀がいた。
そこで旗艦命令に逆らって敵主力艦隊に向かう作戦をとったのです。この働き外あって、想定外の事態に正しく対処したリーダーがいて、日本は強国ロシア、世界最強と言われたバルチック艦隊を撃破し、世界の予想を見事にひっくり返す大勝利で、世界を驚かせ、世界の舞台に躍り出たのです。
3.上記2例の助かった事例で、共通していることは、時と場合に応じて作戦を変更したと言うことです。
避難訓練については、大学の先生も入れて、避難場所を設定しそこに避難する訓練をしていました。しかし、そこには想定の高い津波内での避難場所でしたが、今回の津波は指導者の「想定外」だったのです。
4.私の別のブログ「弓道修行日記」に投稿した記事を転記します。
「迫る津波は想定以上 「危ない」リーダー機転60人救う
2011年3月24日8時52分アサヒコム

想定を超す大津波の到来をラジオで知り、指定の避難場所から住民をさらに高所に避難させ、危機を脱した。

 「先生、本当に先生のおかげだぁ」

 七ケ浜町花渕浜地区の自主防災組織リーダー、鈴木享さん(57)は、震災後に再会した東北学院大の宮城豊彦教授を抱きしめた。

 鈴木さんら住民は、町内に住む宮城さんの指導で避難場所を決めるなど、防災に取り組んできた。宮城さんは津波防災の研究で知られる。

 高齢者の多い集落では、地震後の長い移動が難しい。だから、避難場所は県が想定する最大の3.3メートルの津波からようやく逃れられる近所の寺にした。11日の地震後、住民は寺の駐車場に集まった。

 じっとラジオに耳を澄ませていた鈴木さんは、他の地域に到達した津波が「5メートル」と知り、耳を疑った。

 「県の想定に比べて大きすぎる。これじゃ危ない」

 宮城さんと勉強してきた津波のことが頭に浮かび、急いで移動を決断。高齢者を近くの幼稚園のバスに乗せ、集まった仲間に移動を呼びかけた。30分かけて数百メートル離れた高台に60人を移した。

 「その途端、避難場所の寺が津波にのまれた」と鈴木さんは振り返る。

 津波から1週間後、避難所で人々の生活を支える鈴木さんを訪ね、宮城さんは言った。

 「結果的に、適切な避難場所を伝えられなかったことは申し訳ない。でも、学んだ知識を生かし、みんなを救ってくれた。素晴らしかった」(長野剛)
.


1.大学の先生の指導を受けて訓練していた、避難訓練、それに従った避難は絶対大丈夫だという安心感があったでしょう。
2.しかし、ラジオでニュースを聞いて、「この津波は予想外で大きい」と判断したリーダー、もっと高田に行かねばと判断し60名の人をリードしたのです。
3.日本海会戦でも旗艦の指示に従わずそのことによって日本海海戦の勝利となったのです。
日本海海戦ウィキペディアから
「追撃戦 [編集]14時50分、「クニャージ・スヴォーロフ」は突然北へ回頭した。日本の砲弾が後部へ命中し、舵が損傷したために自由な操船が妨げられた結果であったが、東郷、秋山ら「三笠」の首脳はこれを北へ逃げようとしている行動と判断し、後を追わせた。東郷にとっては、この海戦で下した唯一の誤った判断であった。」

「クニャージ・スヴォーロフ」に続くバルチック艦隊の2番艦、戦艦「インペラートル・アレクサンドル3世」の艦長ブフウオトフ大佐はただちに「クニャージ・スヴォーロフ」の舵の故障を見抜いて艦隊旗艦を追わず、結果として後続全てのロシア艦は「インペラートル・アレクサンドル3世」に続いて進路を南東方向に保持したままであった。バルチック艦隊の頭を押さえにかかっていた連合艦隊第1戦隊が「クニャージ・スヴォーロフ」を追って北へ転進したため、バルチック艦隊の前方には障害がなくなり、ウラジオストクへ逃げ込めると安堵しはじめた。

しかしその頃、第2戦隊旗艦「出雲」では、参謀の佐藤鉄太郎中佐が即座に「クニャージ・スヴォーロフ」の舵が故障をしたと判断し「スワロフ(= スヴォーロフ)に旗が揚がってません。あれは舵の故障です」と司令長官の上村彦之丞中将に進言した。「間違いないか」「間違いありません」佐藤の迷いのない答えに上村も決断を下し、東郷の「三笠」からの「左八点一斉回頭」(左へ90度回頭せよ)という旗による命令に反し、「我に続け」の信号旗を出して、第2戦隊はバルチック艦隊への猛追撃を開始した。巡洋艦中心の第2戦隊が、戦艦中心のバルチック艦隊に突撃するという猛将上村提督の名に相応しい前代未聞の作戦といわれるが、そこには、俊才といわれた佐藤参謀の冷静な判断があった。

上村の指揮の下、第2戦隊は東郷の第1戦隊とは別行動をとって東南東へ進むバルチック艦隊を追って敵の東側目指して針路をとり、やがて「インペラートル・アレクサンドル3世」の前へ回り込むことに成功した。上村の第2戦隊は「浅間」が舵の故障で欠けていたものの、残りの装甲巡洋艦5隻はほぼ無傷で20ノットの高速航行が可能であった。しかし、備砲は20.3cm砲が最大であり、バルチック艦隊は損傷しながらも30.5cm砲を備える6隻の戦艦を始めとする多数の艦があり、通常なら戦いを挑む状況ではなかった。3,000mに距離を詰めると双方の砲撃戦が始まり、たちまち第2戦艦隊の先頭にあった戦艦「シソイ・ヴェリキー」が猛火に包まれ戦線から離脱した。「クニャージ・スヴォーロフ」に代わってバルチック艦隊を率いていた「インペラートル・アレクサンドル3世」も浸水によって艦が傾き戦線から離脱した。」
総指揮官東郷の命令に従わず、独自の判断をした上村中将、この上村中将が日本を救ったのです。
4.自衛隊も出されている命令は戦争回避の命令ですので、いかなる場合も発砲出来なくなっています。ですから外国に派遣されても外国の軍隊に守ってもらうことになっています。私は場合によっては、アメリカ軍が攻撃されてやられそうなときは、アメリカを支援することをしなければならないでしょう。そう言うことも考えておかなければなりません。例え法を犯してもその法の方がおかしいのです。
いずれ早い段階でこういう議論をし、憲法改正をはかるべきです。」

私の別ブログ「弓道修行日記」はどういう練習をしてどういう悟りを得たかを書こうとしていたのですが、最近は弓道している場合ではない。と政治問題にシフトしていますが、暇がありましたら覗いてください。



津波を車に乗っていて助かった事例ー車は浮かぶように作るべきでは?

2011-04-15 21:54:00 | 意見発表
津波を車で助かる方法を考えています。

津波では車に乗らないように指導されているように思います。
しかし、車に乗っていたらどうなるのでしょう。

この点について以前の稿「避難渋滞、津波被害を拡大 促しても車降りる人少数ーどうしたら助かるのか考えてみたい」でも書いています。

コメントで”ふうたさん”から「あまり意味がないですね。津波に巻き込まれたらという前提で話していますが、巻き込まれないのが一番いいに決まっています。車に乗っていようが乗っていまいが、巻き込まれて助かった人もいますが、それは全体のごく少数です。それもかなり運が左右しています。そんなくじ引きのようなことを考えるより、より津波に巻き込まれないためにどうするか、という意見の方が当然ですが実際的です。今回の津波のスピードは60キロとも言われていますし、道路が必ずしも高台に向かって最短距離で一直線というわけではないのです。津波の最初の水が見えたら、走ってももう間に合わず、出来るだけ近くの高い建物に避難するというのは、非常に当然のことです。もしどうしてもまわりが平地で高い建物も何もない、という場合のみ車にとどまるしか選択がなさそうですが。」と言うコメントがありました。他人事だから勝手なことを言っていると批判された方もいます。

だが、私は変人で、津波対策の車を作ってはどうかという検討を続けます。発明の最初は変人扱いをされるものです。

今日テレビを見ていたら、三階建てのマンションの上に車が乗っていました。多分車に
乗っていた人は助かったのではないかと思うのです。

読売新聞4.11に津波からの生還と題して15に証言を書いています。
その中の一つに車に乗っていて助かった事例が書いてあります。
「山田町の小野優子さん、長男を乗せて帰宅途中、JR陸前山田駅近くを通過した。路線脇から水がわき出ており、海を見ると海水が防波堤を乗り越え、湾の方へあふれ出していた。とっさにハンドルを切り、海と反対側の高台に進路をとろうとしたが、人が多くて進めない。路地に車を止めた瞬間、海水がどっと道路に流れ込み、エレベーターで上昇するように、車がふわっと浮き上がった。車は水中に沈むことなく、左右に揺れながら水流に押し流された。途中、下からバキバキという音がした。民家のトタン屋根に乗り上げていた。チャップンチャップンという水の音もした。・・・第2波が来たのは、第1波の約30分後。勢いは強くなく、約500メートル西に流されて公園の木にひっかかった。水が引いた後、車を降りて近くの土手に逃げた。・・・」

車によるでしょうが、水が下から入らないようにしていると屋根付きの船になるのです。
車が津波で押し流されている映像はよく見ます。

車で亡くなった事例が分からないのです。有るのか無いのかも・・・
車に水が入ったら車は重いので沈み、窒息死すると考えられます。

地震対策車としては、船になる自動車にすればいいのでは無いでしょうか。 
海水に流された人は、流木、畳、などで助かった人も、中には浮いている車に乗って助かった人もいる。ということは車を浮くようにすると、それに捕まって助かる場合も出来ると考えられます。

上記ふうたさんのコメントで「もしどうしてもまわりが平地で高い建物も何もない、という場合のみ車にとどまるしか選択がなさそうですが」と言うことですが、私は積極的利用法を考えたいのです。

車は鉄や強化ガラスで囲まれ安全な気がします。
もし水中に沈んだ場合、窒息して死にますが、この場合の対策は携帯酸素吸入器を持っていればいいのです。(当然十点してみないと分かりませんが)

それとも沈まないような作りにするかです。
今後とも研究を続けたいと考えています。


なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか? 【その1】ー拾った人だけがわかるんじゃよ

2011-04-15 20:59:47 | 意見発表
【その1】 2011年4月8日 志賀内泰弘 [コラムニスト]
ダイヤモンドオンライン
なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか? 【その1】
実話をベースとした日本初の「そうじ小説」

この記事は、実話をベースとした日本初の「そうじ小説」である『なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?』の【第1話】を、全5回に分けて、公開するものです。

【はじめに】
 本書は、実話をベースとした、日本初の「そうじ小説」です。

 読み進めていく中で、「そうじをするだけで、こんなことが起こるはずがない!」

 と思う読者もいらっしゃるかもしれませんが、本書は、著者自身の体験はもちろん、全国の経営者、友人、知人たちから集めた、実際に起こった「さまざまな実話をベース」に書かれている小説なので、「フィクションだから…」と一概にはあなどれません。

 主人公は、とあるサラリーマン。公園で見かけた「ゴミ拾いをする老人」との出会い。たった1つの空缶を拾ったことから、人生が変わりだします。なぜ「そうじ」をすると人生が変わってしまうのか? それは…、

「ゴミを1つ拾う者は、大切な何かを1つ拾っている」
 からなのです。最近、空前の「そうじブーム」によって、「そうじに興味を持つ人」が増えております。ですが、実際に「そうじの習慣」が身についた人は、それほどいないようです。

 しかし、「そうじの習慣」が身についた人は、100%確実に、人生が変わっていきます。これは、私の経験上、自信を持って断言できます

「仕事」「お金」「人望」「恋愛」だけでなく、「家庭」「人間関係」「運」「人生そのもの」すべてがよくなっていきます。

 そして、それは、「そうじをした人だけがわかる、そうじをしない人にはわからない」ものなのです。

 では、「本書のストーリー」を通して、なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか? を味わっていただければと思います。

 本書を読み終わった後は…、「そうじを始めずには、いられないあなた」になっていることでしょう。

【 1 】
 爽やかな4月の風が頬をなでていった。

 駅から会社までの通勤の道のりを、山村圭介は腕を大きく振って歩いていた。いつものように橋を渡り真っすぐ進もうとして、「工事中の看板」に突き当たった。新しい大きなビルができるらしく、ガスやら電気の埋設工事のため迂回を余儀なくされた。

 時計を気にしつつ、川沿いの道を早足で右に折れた。そして、ちょっと近道をするため、公園の中をぬけることにした。つい先日までは、その公園を満開の桜がピンクに染めていたが、いつしか葉桜となり目に眩いばかりの新緑となっていた。「ハア~」と大きく息を吸い込んだ。

 その時である。圭介は、公園のベンチのあたりにいる1人の老人に目が留まった。手に袋を持ってゴミを拾っているようだ。別にそのこと自体珍しいことではない。「地域の奉仕活動」か何かであろう。しかし、どこか違和感を抱いた。近づいてみて、その違和感は具体的なものになった。

 その老人は、「スーツ」を着ていたのだ。70歳はとうに超えていよう。いや、80近いかもしれぬ。今流行りのイタリアンスーツではなく、往年のイングランド調の背広をパリッと着こなしている。圭介のような素人が見ても、ずいぶん高そうな代物に見えた。要するに「紳士」なのだ。

 老紳士は右手に軍手をはめて、左手には2つのゴミ袋を持っている。空缶とその他のゴミを分別しながら、黙々と拾っている。圭介は、ふと立ち止まり思った。
(ひょっとして、ボケ老人かな)

「認知症」になった伯父がいる。夜中に突然スーツを着て、「今から会社へ行く。緊急役員会の招集があった」と外へ飛び出して行った。伯母が慌てて止めたが、そのままタクシーに乗ってしまった。会社のガードマンが警察に通報し、大事になってしまったと聞いている。そのことが頭にあったので、ちょっと心配になったのだ。

 でも、仮にそうだとしても、交通事故の心配もないし、まぁ大丈夫だろう。
(むやみに他人事に首を突っ込まないほうがいいな)

 そう思うと、圭介は会社への道を急いだ。

 山村圭介33歳。独身。ガスショップ「田中エナジー」の営業兼工事マネージャーをしている。田中エナジーは、「ガスの配管工事」や「ガス器具の販売」を主体に行ってきたが、近年は収益率の低下から「建築リフォーム」に進出し、もっぱら工務店のような業務に力を注いでいる。そのため、ここ数年で社員が20人と3倍に増えた。

 圭介は田中エナジーの社長・田中修(たなかおさむ)の甥っ子で、大学を卒業してすぐ入社した。最初はガスの取付け工事だけしていたが、社長の「親類の会社以外のところで一度働いたほうがいいだろう」という方針で、3年間「知り合いの工務店」へ修業に出された。そして戻ってすぐに工事マネージャーとして、「リフォーム部門」の立ち上げを任されたのだった。

「おい、圭介。ちょっと来てくれ」

 出社するなり、田中社長に呼ばれた。事務所の隣にある作業場へと促されて付いていった。圭介は心の中で「またか…」と思った。
「なんとかならんかの~、これ」

 社長は床を指差して言った。そこには、かんな屑や配線コード、パイプの切れ端が散乱していた。いつも、言われると「そうじ」をしているが、長続きはしなかった。「工事マネージャー」である圭介が厳しく言わないので、8人の部下もちゃんと片付けようとしない。

 社長がうるさく言うと、その場にいる者が慌ててホウキとチリトリを持ってそうじを始める。だが、また3日もすると元通り。言う方も、言われる方も愉快ではなかった。そんな状態が、「リフォーム部門」がスタートして3年もの間繰り返されてきた。

「お前なぁ、何回言ったらわかるんかなぁ~、ちゃんとそうじしなきゃいかんだろう」
「…すみません。今からスグやります」
「いや、そうじゃなくってなぁ。いいかぁ、毎日、仕事が終わったら日課にしたらいいじゃないか、そんなに大変なことじゃぁないだろうに…」

 温厚な社長の田中だが、今日は少し口調が荒い。圭介は無言でホウキを手に取ると、さっと大きなゴミをかき集めた。

「おいおい、聞いてるんか」
「聞いてますよ。わかってますけどね、いつも人使いが荒くて、そうじなんてする暇ないでしょう。一昨日だってそうでしょう。7時に事務所に戻ってきたら、『二丁目の銭湯のボイラーを見てやってきてくれ』でしょ。こっちは、飯も食べずに夜中の12時近くまで修理してたんですよ」
「…いや、悪い悪い、まぁ、そう怒るなよ。圭介が頑張っているのはよくわかっているよ。リフォームもようやく軌道に乗りつつあるし、それもみんな圭介のおかげだよ」
「だったら…」
「でもな、俺の性分というかさ、汚れているのは、とにかく気になって仕方がないんだ」

 圭介はちょっとムキになって言い返す。
別に、仕事上、困るほど汚れているわけじゃないでしょう。つまずいて転ぶほどゴミが落ちているわけでもないですし、少しくらいいいじゃないですか
「…う~ん、だけどなぁ」

 圭介はゴミ袋にかき集めた廃材を押し込んで、
「さあ、これでいいでしょ。少しはさっぱりしましたよ」

 社長はしげしげと床を眺めた。

「まだ、小さな汚れがあちこちにあるだろう、もっとだねぇ、こう丁寧にやって、キレイさっぱりした感じにはできんのかね…」
「社長、こうも言いますよね。『アイデアは雑然の中から生まれる』って。この前テレビを見てたら、ナントカっていう小説家が『整理・整頓していないグチャグチャの机の上から名作が生まれる』って言ってましたよ」
「小説家とガス屋を一緒にするなよ」
「じゃぁですね、お聞きしますけど。いつも社長は、キレイ、キレイって言うけど、そうじをすると売上が上がるんですか? お金が手に入るんですか?」

 社長は言葉に詰まってしまった。「そうじをすると売上が上がるのか? お金が手に入るのか?」そんなことは考えたこともなかった。社員に面と向かって訊かれると、答えようがない。言葉に詰まって、ちょっと力んで社長が言った。
「とにかくだなぁ。キレイにすると、すごく気持ちがいいんだよ!」

 話はここまでになった。次々と社員が出勤しはじめ、作業着に着替え、それぞれ現場へと飛び出していった。

圭介は別に怠け癖があったり、いいかげんな性格というわけではなかった。いや、それよりも勤勉で、かつ頭もよかった。新しくつくった「リフォーム部門」が収支トントンのところまでこんなに早く達成できたのも、圭介の地道な努力と部下の統率力によるものだ。若い社員は、なかなか「精神論だけ」ではついて来ない。心の底から「よし、それならば、やってやろう!」と納得させないといけないのだ。 圭介にはそれができた。しかし、それだけに、圭介自身も少々理屈っぽく、上司の命令があったとしても、「理路整然とした説明」がないと動かないところがあった。

 圭介からしてみれば、そうじをするのが、嫌いなわけではなかったが、そこまでの「そうじの重要性」を感じていなかった。作業場の床の汚れが気になりだしたら、ちゃんと部下に号令をかけてみんなで一斉にそうじをしていた。たぶん、2~3週間に一回くらいは、そうじをしているだろう。そうじなんて、仕事に支障が出ない限り、その程度でいいものだと思っていた。

 あまり社長がうるさいので、ついつい、
「そうじをすると売上が上がるんですか? お金が手に入るんですか?」
などと言ってしまったが、これは社長がしつこく言うので、日頃から思っていることだった。そうじを30分する時間があったら、営業を一軒でも取った方が確実に「利益」につながるはずだ。だって、「お客さん」はお金を払ってくれるが、「そうじ」はお金を払ってはくれないのだから…。
「よし、今日は、牧原さんちの仕事の帰りに、大矢さんちのお爺ちゃんの家に寄ってみよう」

 山村圭介は、作業着に着替え、部下と一緒に勢いよく事務所を飛び出して行った。

【 2 】
 翌朝は、小雨が降っていた。

 昨日と同じように、工事中の道を迂回して公園の中に入った。すると、あの老人がまたしてもゴミを拾っていた。それも、この小雨の中、傘もささずに黙々とゴミ拾いをしているのだ。

 夕べ帰宅して、伯母に電話してみた。「公園の老人」を見たせいか、その後の具合が気になったのだった。幼い頃、ずいぶんと可愛がってくれた伯父だったが、最近はボケが進行していて、毎日一緒に暮らしている伯母は、すでに伯父の面倒をみるのに精根尽き果てていた。ほっておくと、勝手に家を出て行ってしまう。かといって、部屋に鍵をかけておくと、ドンドンと叩いて大騒ぎになる。

「私、もう疲れたわ。おとうさんを、どこかの施設にお願いしようと思うの…」
圭介はいたたまれなくなって電話を切った。

 そんなこともあり、今度は公園の老人のことが気になってしまった。この小雨の中、大勢ではなく、たった1人で老人がゴミ拾いをしているというのは、どう見ても異常な光景に見えた。

 腕時計を見ると、出社時間にはまだ30分ほど余裕があった。腰を屈めて黙々とゴミ拾いをして歩いている老人の後を、10メートルほど後ろから付いていった。木立に隠れながら、気づかれぬように。圭介は迷っていた。声をかけようかどうしようかと。しかし、もし「ボケ老人」だったら、どうしたものか。会話になるのだろうか。

 そんなことを考えていて、ふっと気づくと老人が踵(きびす)を返して圭介の方に歩いてきた。急なことで、動けなくなってしまった。そして、ベンチをはさんで向き合う形になった。老人が口を開いた。

「おいキミ。何かワシに用かね?」

 そのしっかりとした口調に、圭介は驚きを隠せなかった。見てくれは70代でも、声には50歳くらいの若々しさがある。

「い、いえ…別に」
「別に、ということはないじゃろう。さっきからワシの後を付けてきて。最初は何者かと心配したが、見れば普通のサラリーマンのようじゃしな。しかし、知らぬ者にずっと後を付け回されるのは愉快ではないのう…」
「す、すみません」

 圭介は赤面した。どうやらボケ老人ではなさそうだ。となると、ますます疑問が膨らんだ。なぜ、ゴミを拾っているのか。
「あの、1つ、聞いてもいいですか」
「何じゃな、いきなり…。尾行の次は質問かな?」

 初対面で、まだ一言二言しか言葉を交わしていなかったが、老人の瞳の奥に、なにやら「優しさ」のようなものを感じとった。ちょっとうるさそうな人物ではあるが、敵をつくらないタイプの人間に見えたのだ。

「申し訳ありません。私はこの近所の会社に勤める者なんですが、昨日、通勤の途中で初めてあなたをお見受けしたんです。公園の中でゴミを拾っておられるのを…」

「おぉ、そうだったのかね。それで…」
「それで、なんというか、どうしてゴミを拾っておられるのか、理由をおうかがいしてもよろしいでしょうか? 失礼ながらお役所の清掃員ではなさそうだし、かといって地域の清掃ボランティアのようにも見受けられません…」

「なんだ、そんなことか…。ただ、拾いたいから拾っているんじゃよ」
「拾いたいですって?」
「そうじゃよ。考えてみたまえ。拾いたくなければ、拾うわけがないじゃろう」

 少し雨脚が弱くなった。圭介は、質問を変えてみた。

「では、なぜ拾いたいんですか。拾うと、何かよいことがあるんですか?」
「ほう、そうきたかね。よいことがないと拾っちゃいけないのかな?」
「…そんなわけではないですが。人は、何か自分にとって得することがないと、普通は行動に移さないものでしょう。違いますか?」
「うほう、なかなかはっきり言うヤツじゃな。まぁ、確かに、キミの言うとおりかもしれんな」

 老人は、なんだか突然に現れた客人を喜ぶかのように、表情を崩して答えた。
「まぁ、最初に答えを言うのは好きではないが、答えを言ってしまうと、実は、そうじをすると、得することがあるんじゃな」
「得って何ですか?」

 圭介は、急に昨日の社長との話を思い出した。「そうじをすると、売上が上がるのか」と質問したが、社長はちゃんとは答えられなかった。この老人なら、なんと答えるのだろうか。しかし、次に、圭介が思ってもみないことを言った。

「別に、拾いたくないなら、拾わんでもいいよ」
「え!?」
「聞こえんかったかな。別に拾いたくないなら、拾わんでもいいと言ったんじゃ」

 圭介はこの言葉に「カチン」ときた。「ゴミ拾いをすると、何か得することがある」と老人は言う。「その得とは何なのか?」と聞いたのだ。それなのに、「別に、拾いたくないなら、拾わんでもいいよ」と言う。こちらだって、別に、「拾いたい!」とも思わない。圭介は、軽い憤りを感じて言い返した。

「ひょっとして、何か今までの人生で悪いことをして、それの『罪滅ぼし』か何かなのですか?」
「わっははは。面白いことを言うのう。まぁ、そこまで言うのなら1つ、教えてやろう。耳を貸しなさい」

 そう言うと老人はベンチをぐるりと回って、圭介に近づいてきた。そして、立ち尽くす圭介の耳元でポツリと囁いた。

拾った人だけがわかるんじゃよ

 何だかバカにされた気分だった。キョトンとした圭介を尻目に、老人はまた「ゴミ拾い」を始めた。腕時計を見ると、始業時間の5分前だった。「遅刻だ!」老人に一礼をして慌てて駆け出した。

(その2へ続く)【全5回】
こうなると次を読みたくなる。それはまた日に

たった一人の従業員の小さな行動が、大事故につながるー原発は電源喪失すると大事故になる

2011-04-15 20:08:06 | 意見発表
たった一人の従業員の小さな行動が、大事故につながる2011年4月14日(木)08:40ダイヤモンドオンライン

企業で起こる事故の80~95%が、一従業員の「非安全的」な行動から起きる。安全対策に多額の費用をかけられるはずの大企業でも、なぜ事故を防ぐことができないのだろうか?(インタビュアー:中村富美枝)

──企業生命に関わるような大きな事故の、本当の原因は何なのでしょう?

石田 どれほど大きな事故であっても、そのほとんどがたった一人の従業員の小さな行動から起きています。企業事故の80~95%が一従業員の悪気のない「非安全的」な行動から起きるということがわかっています。航空機事故にしても、一人の管制官、一人の操縦士、一人の整備士などが小さなミスを犯したことから起きるのです。

 今年2月、韓国高速鉄道KTXが脱線事故を起こしました。その原因もコントローラーの一本のナットの緩みにあったと言われています。まさに、一人の整備士の小さなミスが引き起こしたことでした。

──幸いにも乗客にけが人は出ませんでしたが、KTXは諸外国に売り込みの真っ最中でしたから、非常に影響が大きいですね。

石田 一国の経済に影響を及ぼす大問題ですよ。それが、たった一人の従業員の行動ミスで起きてしまう

 日本企業も我がこととして考えなければなりません。もちろん、事故を望んでいる経営者などいません。しかし、いくらトップがうるさく言っても、最後は現場の従業員一人ひとりが正しい行動をとってくれなければ事故は防げないということです

──トップの安全管理意識が、現場の従業員に浸透しない理由は何でしょうか?

石田 安全行動というのは、ごく当たり前のことであり、やっても達成感が得られません。毎日、同じようにナットの締まり具合を確認しても、誰が褒めてくれるわけでもない。ましてや、実際にナットが緩んでいることなどほとんどないということであれば「今日ぐらい、いいや」と思ってしまいます。そうした小さなことから、大事故は起きるのです。
──人間、誰でも、そういう緩みは持っていますね。

石田 そうです。だから、事故が起きてから原因をつくった一従業員を責めているようでは、決して危険は減らせません。相変わらず同じような事故を繰り返すことになってしまう。
 危険につながる行動をとれないようなシステムを構築することが重要なのです。それにもかかわらず、従業員の意識に訴えた曖昧なスローガンを掲げている組織が少なくありませんよね。

──「安全な職場をつくろう!」みたいなスローガンですか?

石田 具体的にどういう行動をとることが必要なのか、何をしてはいけないのかを明らかにせずに、曖昧に訴えても従業員は動けません。従業員の意識ではなく、行動を変えていくことこそ重要なのです。そのための指針づくりにBBS理論が役立つのです。


BBS理論の宣伝でした。
でも福島原発も人災と思っています。これは個人ではありませんが、国や東電の津波対策の漏れです。
原発は電気が切れるとおじゃんなのです。そのことはアメリカでは30年前に警告していました。東電はその警告を勉強しなかったのでしょうか。
全電源喪失を起こしたのです。そして爆発を起こしたり、燃料棒溶融を起こしたり、放射線物質拡散を起こしたり・・・レベル7という世界最悪の事故にしてしまったのです。



「 なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?
なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか? 【その2】」
というのも有りました。何かの宣伝でしょうが、このテーマについては私は分かる気がします。
公園や道のゴミ拾いをするとがんになりにくい。ということにも通じるのです。
ボランテイアも同じように、人生が代わり、病気になりにくくなるのです。
簡単にできる方法は、出来るだけ大声でいつも笑うことです。

次稿で載せました。やっぱり公園のゴミ拾いが出てきました。「 主人公は、とあるサラリーマン。公園で見かけた「ゴミ拾いをする老人」との出会い。たった1つの空缶を拾ったことから、人生が変わりだします。なぜ「そうじ」をすると人生が変わってしまうのか? それは…、」この話はお医者さんが言われたことです。サナダムシを体内に飼っている先生です。名は忘れましたが・・・

日本から学ぶべき10のことー良いものは伸ばし悪いものは減らしましょうー

2011-04-05 08:29:59 | 意見発表
▽日本から学ぶべき10のこと
( 47NEWS > 47トピックスプレミアム ) (2011年4月4日 山口 光)               
「 東日本大震災の津波と地震に襲われ壊滅的な被害にあった日本。未曾有の危機の中で、避難した人々が苦難と悲しみに耐えながら、復旧・復興活動に努力している姿に、海外からも暖かい支援と励ましのメッセージが寄せられている。
 筆者のところにも、ジュネーブ勤務時代の友人の一人から、福島第一原発の放射能汚染を心配して「いつでも家族と一緒にスイスに避難できるようにベッドを3人分確保してある」というメールが届いた。
 長野冬季五輪開催時に一緒に仕事をしたIOC関係者からは共通の友人のもとへ「津波に襲われた日本から学ぶべき10のこと」というメールが送られてきた
 アフリカ・ナイジェリアのアブジャのホテルに働く知人が書いたというメッセージで「日本人が津波の大災害に襲われながらも、静かに悲しみに耐えていること。威厳をもち、寛容で、秩序を守り、犠牲的精神に富み、優しく、よく訓練されていること。メディアは抑制されたバランスのとれた報道を行い、停電になっても略奪もない道徳心がある」などのことを日本から学ぶべきだと指摘しており、「まったくその通りだ」とコメントしている。
 我々日本人から見れば当たり前のようなことが、海外の人々からみれば賞賛に値することと受けとめられている部分もあるし、また過大評価されていると思う部分もあるが、その内容を紹介しよう。

1.落ちついた冷静さ 悲嘆にくれて胸を叩くようなワイルドな動きもみせず、悲しみさえ昇華させているようだ。

2.威厳 水や生活必需品のために厳格に順番を守ってならび、騒いだり、野蛮な秩序を乱す動きをみせない。

3.知的能力 例えば、信じられないほどの建築工学技術。ビルは揺れたが、崩壊しなかった

4.寛大で親切 必要なものをみんなが手に入れられるように、現在必要なものしか買わないようにしている。

5.秩序 商店での略奪もなく、道路交通での無秩序な追い抜きや警笛をならし続けることもなく、理性のある行動をしている。

6.自己犠牲 福島第一原発の事故現場で海水をポンプ注入するために作業員50人が踏みとどまって活動。どれだけの保障措置があるのだろうか?

7.優しさ レストランは値段を下げ、ATMは警備されることもなく、そのままあり、強者が弱者の面倒をみている。


8.訓練 老人も子供も、誰もが何をなすべきかをはっきりと知り、その通りに行動している。

9.メディア メディアの速報は,すばらしく抑制されており、思慮のない記者はおらず、静かに報道すべきことを報道している。

10.良心 商店が停電になったとき、人々は商品を棚にもどし、静かに立ち去っていった。」


1.良いところは良いとして、オレオレ詐欺でお年寄りから金を奪ったり、募金詐欺があったり、被災した信金から金を盗んだり、人の弱みのつけ込む人もいます。
2.でも平均して日本人は規律正しいと思います。私は信用できます。
3.しかし、国際的には礼儀正しいだけでは歓迎されないようです。騙し奪い取るようなことをしないと認められないのです。覇気がないと見られています。草食系だとかも。
4.韓国がやっていること見てください。
竹島近海に韓国が海洋基地建設へ 教科書記述増に対抗
2011年4月4日21時25分アサヒコム

. 韓国政府は4日、日本の中学校教科書検定で日韓が領有権を争う竹島(韓国名・独島〈トクト〉)に関する記述が増えたことを受け、竹島に隣接する海上に科学調査施設を造るなどとした対応策をまとめた。同日午後、韓国国会に報告した。

 外交通商省など関係6機関が作成した。国土海洋省の報告書によれば、竹島の北北西1キロの海上に、海洋や気象を調べる総合海洋科学基地を建設する。総工費は約430億ウォン(約33億円)で、工期は今月から来年末まで。

 基地の建設予定海域は、日韓が自国の領海と主張する場所。すでに存在するヘリポートの補強工事などと異なり、実際に建設に踏み切れば、新たに日本の領有権を侵害する行為という受け止めが出かねない。韓国は2008年に基地建設を決めたが、日韓関係への影響を考慮し、建設を先送りしていた。

 一方、竹島問題を統括する韓国国務総理室は、報告書の中で、東日本大震災への支援は継続する「分離対応」を明記した。(ソウル=牧野愛博)」




避難渋滞、津波被害を拡大 促しても車降りる人少数ーどうしたら助かるのか考えてみたい

2011-04-02 11:13:16 | 意見発表
避難渋滞、津波被害を拡大 促しても車降りる人少数
2011年4月1日17時32分アサヒコム

. 東日本大震災の地震の直後、被災各地で渋滞が起こり、車列ごと津波に流されていたことが、生存者らの証言で分かった。車による避難は渋滞を招いて被害を拡大させるという防災関係者の懸念が、車社会を襲った初の大津波災害で現実となった。

 宮城県警によると、津波の被害の大きかった宮城県名取市では地震直後、海岸線に並行して延びる県道の渋滞が確認されている。

 同市に隣接する仙台市若林区の渡辺静男さん(59)は、避難場所の小学校へ駆け足で向かう途中、信号の消えた県道交差点で車が立ち往生しているのを見た。警察官は車をたたいて避難を呼びかけたが、車を捨てて逃げる人の姿は見なかった。小学校に駆け込むと同時に津波が到来。校舎は3階まで水没し、車列が濁流に流されていたという。

 同県石巻市や気仙沼市、岩手県釜石市でも、被災者が渋滞を目撃したり体験したりしている。

 釜石市では、国土交通省の港湾事務所付近の国道が渋滞した。職員によると、同事務所の屋上に避難するよう、同僚が拡声機で車列に向かって叫んだが、応じた人は少数だったという。

 知人の車で避難しようとした気仙沼市の渡部せつ子さん(82)は、渋滞中に濁流にのまれた。車ごと家に乗り上げ助かったが、「車から離れるなんて思い付かなかった」と語る。近所にある魚市場の高さ約10メートルの屋上に避難した約600人は津波の被害を免れた。

 災害時の心理に詳しい東北大の邑本(むらもと)俊亮(としあき)教授は「緊急事態で人は正常な判断力を失い、最初の判断を変えづらくなる。渋滞に巻き込まれても、車を降りる決断は難しいだろう」と言う。  一方、福島県相馬市の佐藤勇一さん(61)は、車で命拾いした。住んでいた集落はほぼ壊滅。自宅から最も近い高台へは1キロ以上あり、「病気の妻と徒歩で逃げたら、間違いなく死んでいた」という。  震災では、宮城県だけで約14万6千台の自動車が津波で流された。邑本さんは「避難弱者に車を譲り、自力で逃げられる人は車に頼らないことで、被害は減らせるはず。そんな行動を促す社会教育が急務だ」と話す。(乗京真知、長野剛、荒海謙一)


1.私は今の世間の常識に反対して津波対策に車を使えないかと考えている。
2.そのためのは自動車で亡くなった原因を探りたい。学生さんこの研究をしてみませんか、役に立ちますよ。東海も九州も今後も大津波が来ると予測されています。入り江では津波は寄せ集められ、九州でも30mを超える津波が記録されているのです。(高台のお寺の石段の上から2段を残して水につかった、という記録がある。4月2日NHK第一フロンテイアー、震災、九州沖縄はー300年に一度の大津波解明)
3.大津波を防ぐことは出来ない。入り江の地形でも高さが異なるのです。世界一といわれた田老の防波堤も破られたのです。
4.今回の津波は、想定外の大津波でした。避難訓練していた高台に到着して安心しているとそれを超えた大きな津波が来て被害を多くしました。
5.車に乗っていて助かった事例は①車に乗って路地に入れ津波が来たらそのまま浮かんで、津波が引いたらそのまま元に戻ったという事例が2件、②自動車に乗っていてがれき共々津波に流されるまま終点に行って助かった。③ライフセーバーをつけて浮いていたところに車が流れて来てそのボンネットに乗って助かった。④それに上記記事の例、自動車とともに浮かんで、屋根の上に乗って、津波が引いて助かった。
6.自動車は浮かぶようです。窓ガラスがある小型の船と思えばどうでしょうか。
7.船を見ますと、ひっくり返ったものもあるでしょうが、浮かんで流されて屋根の上に乗ったのもある。
8.県道は海岸線に沿って走っているとして、その状態では津波は車の横から寄せてきたとすると、ひっくり返った可能性はある。その後どうなったかです。
9.人が死ぬ原因で多いのは窒息死、自動車は浮かなかったのか浮いたのか、浮かなく水が入ってきたのか、そこがわかりません。
8.私は窒息対策として携帯酸素発生器を車の中に常備しておく事はどうかと考えている。水中で車に水が入ってくる時、ドアは開けられない。ここで窒息すると考えますが、この時携帯呼吸器を持っていると慌てないで済むのではないかと考えます。
9.車によっては浮かんだと言うことです。ということは、車は浮かぶ方が良いのか浮かばない方が良いのかの問題があります。
10.車を浮かぶ作りにして、覆いのある船と考えて、津波に任せて遊泳する。ひっくり返っても良いようにシートベルトをしておく、水が入ってきたら、携帯呼吸器で呼吸する。車がひっくり返った状態で安定したとすると、その時はシートベルトを外し、頭を上にして呼吸器をつかって津波が引くのを待つ。津波が引くときそれに車が流されることがあるので注意する。素人の考えでこれで窒息防止のならないかと考えます。
11.もしこの案が有効だと言うことになると、14万台の車というよりすべて放置された車ががれき化したのです。つまり車は危険と言うことで放置されたのです。
車で逃げられるところまで逃げて、水につかっても逃げて、浮いたら仕方がない、シートベルトを締め呼吸器を用意して、津波を迎え撃つ・・・という作戦です。
12.車が津波にのまれて、ぶっつかる、・・・津波は時速30キロぐらいと聞きました。そう言う衝撃があるでしょう。何かが落ちてくる、それでつぶれることもある。実際つぶれた車もある。だが車のボデイが緩衝して和らげてこれ可能性もある。
13.津波にのまれるということがどんな感じになるのか知りたい。被災地に車が放置されています。窓ガラスが割れているもの、つぶれているもの、屋根の上に残っているもの、車の中で死者はいたのでしょうか?、
14,現在は車に乗ってはいけないと指導されています。何故でしょう。確かに水が入ってきて、車が水浸しになると窒息します。でも池の中、海の中に車が落ちたのと違いのです。津波は引くのです。その水につかる時間、呼吸が保てればいいのです。酸素吸入器1本1000円くらいで60回の呼吸とすると、1時間は持つ、4人いたとしても、10分以上は持つ、10分の呼吸を確保できるのなら、いろんな衝撃物を防衛してくれる車は使い方で安全なのではないでしょうか。


トヨタHPから
車の故障

津波で車内が浸水した場合、走行しない方が良いか?
運転は止めてバッテリー端子を外してください。むやみにエンジンを始動しないでください。

むやみにエンジンを始動すると破損を起こす恐れがございます。また、電子部品の回路がショートすることがあり、破損や故障の原因になる可能性がございます。詳しくは営業中のトヨタ、またはレクサス販売店にご相談ください。

津波で車内が浸水した場合の点検方法を知りたい。
運転は止めてバッテリー端子を外してください。むやみにエンジンを始動しないでください。

むやみにエンジンを始動すると破損を起こす恐れがございます。また、電子部品の回路がショートすることがあり、破損や故障の原因になる可能性がございます。お車の点検は営業中のトヨタ、またはレクサス販売店にご相談ください。