模倣と違う「イノベーションなき」サムスンのものづくり
サムスンの競争力、日本の競争力(3)
- 2014/8/28 7:00日本経済新聞
日本のものづくりが韓国や中国に押されているのは、グローバル化の時代に必要な「何か」が決定的に欠けているためである。しかし同時に、日本企業は韓国や中国の企業が逆立ちしてもかなわないような強さを持っているのも事実である。1994年に韓国サムスングループ会長の李健熙(イ・ゴンヒ)氏に請われてサムスン電子(Samsung Electronics)に入社し、同社のその後の成長に大きく貢献した東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター特任研究員の吉川良三氏に、日本のものづくりが再び繁栄するために必要なもの、もっと大事にすべきものなどについて解説してもらう。
技術の発展は、模倣から始まるといわれる。新しい技術を獲得しようとする国や企業が最初に採るのはほぼ例外なく模倣戦略だ。現在、大々的に模倣戦略を採っている国の代表格は中国だが、日本もかつて米国の技術を模倣した時代があった。
この次の段階が「リバース・エンジニアリング」である。リバース・エンジニアリングは既に市場にある製品を基に、より改良した製品や安価な製品を開発し、それを大量に販売するための方法だ。高い市場占有率を得られると、利益が大きく拡大するのがこの戦略の特徴である。
そして、さらに次の段階を「フォワード・エンジニアリング」と呼ぶ。技術的イノベーションによって高度な製品を独自に開発して販売するための方法だ。これはしかし、市場が成熟して価格競争が始まってしまうと、多くの企業が撤退に追い込まれる。
日本は1950年ごろから20年間ほど、クルマや家電製品はもちろん、ほとんどの工業製品で米国を模倣していた。リバース・エンジニアリングの段階に進んだのは恐らく1970年ごろであろう。
その後、1980年ごろからフォワード・エンジニアリングの時代に移行し、盛んにイノベーションが生まれるようになった(図1)。
図1 技術の発展段階とリバース・エンジニアリング。最初は単純な模倣(コピー)から始まり、やがて製品を解きほぐした上で機能を再構成して製品を生み出すリバース・エンジニアリングの段階へと進む。ここでサムスン電子は新興国市場を中心に占有し、大きな利益を上げた。日本も同じ道を先行していたが、現在はフォワード・エンジニアリングの段階にある
■次々にイノベーションを起こした日本
韓国企業は、サムスン電子もそうだが、2000年ごろから始まったグローバル化の時代に、リバース・エンジニアリングで成功してきた。しかし、日本ではもうリバース・エンジニアリングを行うことは難しくなっているようだ。
2000年以降、日本においては、例えばテレビなら液晶ディスプレーとかプラズマ・ディスプレーを採用したり、LED(発光ダイオード)をバックライトに使ったり、あるいはリチウム(Li)イオン2次電池を実用化したりといったイノベーションが次々に起こった。
一方で、韓国や中国ではイノベーションと呼べるものは起きていない。日本がイノベーションによって開発した技術を組み合わせることで、ユーザーにワクワク感を与え得るものを造ってはいるが、イノベーションによる新技術はまったく生んでいないといっても過言ではない。
それでも、このワクワク感を武器に、グローバル化によって生まれた新興国という新しい、かつ多様化した市場で成功を収め利益を拡大したのだ(図2)。
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■イノベーションが競争優位につながらない
ここではっきりといえるのは、サムスン電子が得意とする電機製品などの分野では、イノベーションがもたらす新技術が競争優位につながっていないという事実である。少なくとも、日本を除く世界の市場ではそういわざるを得ない。
リバース・エンジニアリングによって既存の技術を組み合わせることで、売れる製品を十分に造ることができる。むしろ、最先端を行く技術をいち早く採用するよりも、多様なユーザーに合わせてワクワク感、ドキドキ感を出すことの方が重要だ。競争力とは「ユーザーに選ばれる力」のことだから、これこそが競争力のある製品ということになる。
既存の技術を使うとはいっても、多様な製品を造るために開発体制は大きく変えなければならない。事実、筆者がサムスン電子に在籍している間、同社は日本企業とはまったく異なったものづくりのプロセスを確立していった。そのプロセスで同社がとりわけ重視したのがスピードだ。
コモディティー(日用品)化されたテレビのような製品は、わずか3カ月程度で開発する。「旬」の短い携帯電話機やスマートフォン(スマホ)などはもっと速く、2カ月ほどで次々と新機種を開発していく。日本ではまだ1~2年はかかる会社もあるようだ。
■高速開発手法としてのリバース
その素早い開発を可能にしたのが、一つは汎用部品の徹底利用であり、もう一つが日本製品をベースにするリバース・エンジニアリングだ。ここでリバース・エンジニアリングは、単純な模倣とは区別して考えなければならない。
単純な模倣では元の製品より良いものは造れないが、リバース・エンジニアリングは製品の設計思想にまで踏み込む方法であるため、元の製品とは異なった、新たな別の製品を開発できる。
リバース・エンジニアリングの出発点になる日本製品は、サムスン電子の立場で見れば、ありとあらゆる機能が盛り込まれた複雑なものだ。これを機能単位に分解していき、要らないと思う機能があればそれを省いて、ほかに必要と考える機能があれば追加する。つまりは派生製品といえるが、これでワクワク感のある製品を目指すのである。
往々にして、日本製品には日本人にも使い切れないほど実にたくさんの機能があるために、機能の取捨選択は十分に可能で、機能を絞って安くしてもなお十分に売れる製品になる。さらに、取捨選択次第で実に多くのバリエーションを生み出せる。一方で、サムスン電子がインド市場向け冷蔵庫にカギを付けたように、必要だと判断した機能は積極的に追加する。
要するに、ベースになるモデルは日本から買ってくれば済む。そこからさまざまな製品を派生させる作業のみを実行すればよいから、非常に速く製品を開発できるわけだ(図3)。
もし、元の製品の機能まで戻らずに構造をそのまままねすると、これは中国で特に目立つ、知的財産権を侵害した「コピー商品」になってしまう。
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■単なるまねとは違う
分かりやすい例として、コップの設計開発を考えてみよう。元の製品に取っ手が付いていたとすると、リバース・エンジニアリングでは、なぜ取っ手が付いているのかを考える。つまり、元の製品設計者が取っ手を付けるに至った設計思想を読み取ろうとするわけだ。
すると、これはどうも熱いものを運ぶために必要なのではないか、などと推測できる。そうなれば「冷たいものしか入れないコップであればこの取っ手はいらない」と判断できる。これがすなわち、機能の引き算に相当する。しかるべき設計思想の下に機能を省くことができるのである。
しかし構造だけをまねすると、こうはいかない。なんだか取っ手が付いているから、意味はよく分からないけれども派生モデルでも付けておこう、といった具合で、設計思想にまで踏み込んだ検討はしない。それでいてコスト削減のために、何か手っ取り早い手段でいい加減に付けるため、後でぽろっと取れたりする。これが、いわゆるコピー商品だ。
■イノベーションなき開発
こうしてサムスン電子は、リバース・エンジニアリングによって、既存技術の組み合わせだけで売れる製品を生み出せるわけだ。注目すべきは、これで同社が世界的なヒット商品を飛ばし続けた点だ。今回の連載で繰り返し述べているように、グローバル化の時代にコモディティー化した製品を売ろうとしたら、そこで必要なのは顧客から見える便利さやワクワク感であり、残念ながら技術が革新的かどうかはあまり関係がない。
ただし、中国にまで視野を広げてみると、単純な模倣の段階にあったはずの中国企業は、だんだんリバース・エンジニアリングの段階に近づきつつある。同じビジネスモデルで今後、韓国企業は中国企業と競争を強いられることになるわけだ。
従って、もう少し時間が経つと、韓国企業も苦しくなる局面が増えるかもしれない。韓国企業が技術的イノベーションを起こせるような方向に進むかというと、それも疑問だからである。サムスン電子も例外ではない。
技術的イノベーションは研究開発に時間をかけて、じっくりと取り組むという条件下で初めて実現できるものである。つまり、地政学的、社会的な安定性が不可欠だ。しかし、日本に比べたら現在の韓国も中国もそこまでの安定性がない。日本についていえば、その地政学的、社会的な安定性は、欧州に比べても高い。イノベーションを起こせる国は、世界にそう多くはないのである。
ただ、それにしても、技術的イノベーションを得意とする日本が、なぜスマホを造り出せなかったのか、筆者も不思議に思う。日本は、ほとんどの技術を既に持っていたのに、それらを組み合わせてスマホという新しい形にすることができなかったのである。
■リバースはクリエイティブな作業
その背景には、多くの日本企業がリバース・エンジニアリングを設計作業とは考えていないことがあるのではないだろうか。その考えは間違っていると思う。リバース・エンジニアリングは設計技術者が手掛けるべき「クリエイティブな作業」である。
ここで注目すべきは、「設計」がどこまでの作業を指すかである。筆者の考えでは、製品の基本構造を決めるまでが設計、すなわち設計者が手掛けるべき作業と考えている。要求仕様を基に、どのような機能をどのような構造で実現するかを決めることが重要だ。
そして、サムスン電子のリバース・エンジニアリングも個々の製品の基本構造を決める活動である。さまざまな試行錯誤を伴って、どの機能を盛り込んでどの機能を外すか、あるいは新たにどんな機能を追加すべきか、さまざまな角度で検討して決めていく。
構造が決まった後、量産が可能なように詳細を詰めていくことは試行錯誤ではなくオペレーションといえる。そこに設計者の能力を使ってしまっているのが、日本企業である。
特に日本では、設計者に3D(3次元)-CAD(コンピューターによる設計)を使わせるという、とんでもない考え方が主流なのはなぜだろうか。3D-CADは立体形状を扱うから、少なくとも構造が決まっていないと使い始められない。それなのに設計者に3D-CADを使わせるということは、構造が決まってからのオペレーションに設計者を長く拘束することにほかならない。これでは設計者の能力がどんどん落ちてしまう(図4)。
■設計者の仕事とオペレーターの仕事
3D-CADは金型設計製作や、なめらかな曲面の表現など、さまざまなところに役立つから3D-CADが不要だというつもりはまったくない。しかし、構造が決まった後のモデリングなどの作業はオペレーターに任せるべきだ。筆者はサムスン電子ではそのようにしたし、韓国から帰国後もさまざまな日本企業でこの話をした。
ある日本の自動車メーカーは「やっぱりそうか」と、設計者が3D-CADを使うのをやめさせて、オペレーターに任せることにしたそうだ。
リバース・エンジニアリングを行う場合はもちろん、イノベーションに重点を置くのであればなおさら、構造を決めるまでが大切である。しかし、日本企業の多くは設計者自身が3D-CADを使っていることを自慢にさえしている。実に不思議なことだ、といわざるを得ない。
[ものづくり維新 世界で勝つための10箇条の記事を基に再構成]
[参考]日経BP社は2014年6月24日、書籍「サムスンを変えた吉川氏が語る ものづくり維新 世界で勝つための10箇条」を発行した。かつて韓国サムスン電子で開発革新業務を推進し、同社の成長に貢献した筆者が、日本のものづくりの強さと弱さ、そして世界で勝つための条件などについて独自の視点で提言する。
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