若い人達へ

若い人に夢を託してお願いをする

厚生省栄養課の大罪

2009-07-29 05:02:42 | 日記
 戦後、厚生省に栄養課が設置されましたが、その考え方・食哲学は「欧米食はすばらしいのだ。欧米の先進性はその頭の良さから来るものである、その頭の良さとあの体格と体力、ノーベル賞受賞の数、オリンピックでのメダルの数、それは小麦粉食をしているからである」というような間違った食哲学を持っていました。

 そしてその食哲学は一般日本人に「そうなのか」と納得させる説得力があったのです。現在では全く根拠がない理論ですが、その厚生省に反論はしなかったというか出来なかったのです。

 と言うのも実は戦後のアメリカは小麦の保管場所もないほど生産され野積みにされているという超過剰状態に陥っていたので、何とか騙してでも小麦を輸出したかったのです。この辺の事情は「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」(高嶋光雪著)”「アメリカの小麦戦略」と日本人の食生活”(鈴木猛夫著)にまとめられています。

 昭和28年に2代目栄養課長になった大磯氏はその食哲学「東南アジアの各民族、これはみな米を中心とした食事をする民族であるが、これらの民族が、今後地球上で西欧の民族と肩を並べて繁栄していくためには、どうしても、この米とのきずなをどこかで断ち切らなければならない。 従って出来得る限り米食を減じて、進んで小麦食を併用することに努め、自然と食生活上の栄養的な工夫を身につけるよう心がけるべきだ」という誤った食育の普及に力を注いだのです。

 そのための一つの方法として、料理指導車、通称キッチンカーを作った。そしてその運営機関として日本食生活協会を設立したのです。

「キッチンカーは、私どもが厚生省の後援を受けて運営しました。この日本食生活
協会はそもそもキッチンカーのために設置されたのです。」これは当時副会長の松谷満子女史の証言です。(アメリカの小麦戦略)

 厚生省栄養課長、大磯氏は何故か、10年間の長きにわたって栄養課長を勤めました。通常官僚は2年で異動するのですが、よっぽどアメリカの気に入った政策を実施するのでアメリカは手放さなかったのでしょうか異例の長期政権を維持し、アメリカ小麦の普及に努力しました。

 キッチンカーは大磯氏の発案でしたが、予算不足で暗礁に乗り上げていましたが、アメリカ小麦協会から援助を受けて、アメリカのために仕事をすることになったのです。

 この時の粉食奨励、ごはん低脳食宣伝は今でも生きていて、日本人の主食はお米から小麦となり、お米は余り減反をせねばならなくなり、減反した田んぼは大型店舗から狙われつぶされ、日本の食料自給率は先進国で最低となっています。 

 栄養課の初代課長は「私は間違った栄養指導をしました」と懺悔しています。
大磯氏はアメリカのために絶大なる功績を挙げました。しかし、そのことはアメリカに良いことは日本にとって良くないことだったのです。
こういう人をアメリカのCIAと言うのです。

大磯氏はアメリカに招待されました。大歓迎でした。
「(大石武一農林政務次官に)つづいて12月には、今度は厚生省の大磯敏雄氏が同様にオレゴン小麦栽培者連盟から、アメリカに招待されている。大磯氏は、バウム氏達が最も信頼した協力者であり、キッチンカーの功労者ででのあった。一か月間の訪問中、各地で歓迎を受けたが、りりわけ小麦生産者の年次大会で、キッチンカーの意義について講演したときは、割れるような喝采を浴びたものだと、大磯氏はわれわれに語った。」(日本侵攻 アメリカの小麦戦略」(高嶋光雪著)

米を食うと低脳になるー誤った指導をした厚生省

2009-07-21 19:27:26 | 日記

 前稿「誤った米と麦の認識」で麦を食べる国民は素晴らしいんだと思った人の話をしましたが、これを要約し再検証してみます。  

「米中心の食生活は、生産も簡易でまたおいしいので工夫を要しない生活となるため、思考、考案をしなくなり、科学的な工夫、発達は進まない。生活環境になれて、積極性を失い諦観的、消極的である。

 対して、小麦粉は作るだけでも大変手間がかかり、作った小麦粉をそのまま捏ねて食べても美味しいものではない。 そこで何とか食う方法はないものかと、牛乳や乳製品を副えたり、肉を副食としてみたり野菜のスープと一緒に食べてみたりと大いに工夫して、今日の小麦中心の食生活文化が発達してきたものである。  

 米食生活は金もかからないので、金の要求も少ないくそのため貧乏につながり米を食うという生活は、消極的になり、勤労意欲を消滅し貧乏になる

貧乏になれば、肉や魚や野菜などを買う力がないから、やはり安い米ばかりを腹一杯食べることになり、その結果は、ねむけをもよおし、思考する方向に頭脳が働かないということになる。

  米を食う習慣は貧乏無気力・無知・怠惰につながりそれは貧乏につながり、東南アジアにすむ10数億の米を食う民族は、等しくこの運命にさらされていると思う。

 また米中心の食生活は、栄養的に欠陥があり、体力は欧米の小麦食の人々に劣り、寿命は短く、乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、また胃の酷使による胃腸病は著しく多い。その上精神的にもねばりの強い積極性を欠き、発明、発見、工夫なども残念ながら欧米人よりも少ない

  こうした民族的な性質と運命は、決して先天的に遺伝したものとは思われず、その食生活に大きな原因が潜んでいるのではないかとは、つねに、欧米人によって指摘されているところである。

  東南アジアの各民族、これはみな米を中心とした食事をする民族であるが、これらの民族が、今後地球上で西欧の民族と肩を並べて繁栄していくためには、どうしても、この米とのきずなをどこかで断ち切らなければならない。 従って出来得る限り米食を減じて、進んで小麦食を併用することに努め、自然と食生活上の栄養的な工夫を身につけるよう心がけるべきだ。」

反論
「米中心の食生活は、生産も簡易でまたおいしいので工夫を要しない生活となる。」

と言われていますが、これは米の良さを言っているのです。
ですから米は三大穀物の一つで多く生産され世界で食べられています。

 食の世界で一番大切なことは生きるための食料を手に入れることです。米、小麦、とうもろこしという穀物が生産できればこれを主食にします。そして世界の人々はその土地で生産に適したものを生産して食べて生きてきたのです。

その中でも米は美味しいし生産効率も良く、栄養価も高いので、先ず第1に生産することを考える穀物です。

 しかし、米を生産するには水が必要です。気候も高温多湿が要求されます。従ってこれに合わないとことでは他の穀物、小麦やとうもろこし、大麦、そば等を植える他はないのです。米を生産できるというのは恵まれた環境にあるのです。

米の生産は決して楽なものではありません。麦やとうもろこしより大変です。上記の説では米の生産はのんびり生産し工夫もしないので頭が発達していないみたいに言っていますが、そう言うことは言えるわけはありません。脳の発達は教育制度や脳の訓練で決まるのではないでしょうか。麦を食っている民族が頭がいいなどあり得ない話です。

米はおいしくて栄養があり反収も良いのですが、そのどこがいけないのでしょう。連作障害と言うのがあります。連作していると収量が落ちるので3年に1度は休耕しなければならないことになりますが、米は何千年の昔から連作してきています。収量が多くて安定しているのです。それは水田で生産しているからです。穀物の中で王様だと思います。

美味しいので食べる工夫をしないから馬鹿になるというような理論が通用するでしょうか。こじつけとしかいいようがありません。

麦を生産するのは米が獲れない地方で生産し、そう言う地方では動物を飼育し肉を主食にする食習慣を持っています。欧米食は肉が主食です。ではパンは何かというと、肉だけ食べてもインスリンがでないので消化しないのです。そこでインスリンを出させる炭水化物が必要なので小麦粉は直ぐにインスリンを出させるので肉の消化剤みたいなものです。

「米中心の食生活は、栄養的に欠陥があり、体力は欧米の小麦食の人々に劣り、寿命は短く、乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、」と言うことですが、米中心の食生活は栄養的にバランスが良いというのはアメリカの国会の報告でマクガバンレポートで明らかです。以後アメリカでは日本の食の方向を目指して食生活の指導を始めたのです。

体力は欧米人に比べて劣っているでしょうか、島田彰夫先生は「身土不二を考える」という講演で「文明開化になって、いろいろな国から指導者が入ってきました。ベルツは、日本に栄養学や医学をもたらした人であり、当時の東京医学校、今の東大医学部の教授でした。ベルツは東京から日光まで、当時は列車がありませんでしたから、一度目は馬に乗って行き途中で馬を6回取り替えて、14時間かけて日光までたどり着きました。二度目は人力車に乗ってみました。一人の車夫が14時間半で着いてしまったのに驚いて、人力車夫を雇って、毎日、80kgの人を乗せて40kmの道を走らせたり、食事の調査をしたりしています。そうしているうちに、日本人の食生活は実に素晴らしいと言うことに気が付いたわけです。このような日本人の体力は、江戸時代までに築きあげられた日本の食生活の体系、養生という考え方の中で生まれたわけです。」と言われました。

ベルツは日本の食生活は素晴らしい、その食事をしている日本人は体力があると考えました。米食が体力が劣るとは言えるものではありません。

寿命は短く」と言っていますが、日本人の寿命は短いでしょうか、世界一とも言われる長寿国です。

「乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、また胃の酷使による胃腸病は著しく多い」と言っていますが、それは医学の進歩の度合いであることは明白です。米食であるからではありません。

「その上精神的にもねばりの強い積極性を欠き、発明、発見、工夫なども残念ながら欧米人よりも少ない。」とありますが、必要は発明の母、米食民族は自然と共生し、自然を生かし、ゆったり、のんびりと暮らしていました。

西欧に比べ文明は遅れていたでしょう。それはその必要がなかったのです。文明が進んだ先進国は幸せなのでしょうか、地球破壊を進めただけではないのですか、
アジア人の生き方が間違いとは言い切れません。蒸気機関車は便利でした。だが人類にとって正しかったかどうかを考える場合無かった方が地球は長持ちしたのではないでしょうか。”20世紀は欲望の世紀”という放送がありましたが、欲望が発明を生みそれが地球破壊に勧めたのです。ダイナマイト、原子爆弾、クラスター爆弾、・・・これらは殺人兵器です。CO2の増加、地球温暖化・・・エコ化は昔の生活に戻すことではないですか。

米食民族の生き方の方が正しかったのではないでしょうか。進歩はゆっくり出よかったのです。

 「つねに、欧米人によって指摘されているところである。」と言っていますが、それは余剰農産物の小麦を日本に売り込もうとしたアメリカのセールスマンの言葉でしょう。それを鵜呑みにするのはおかしいのではないでしょうか。

ともかくあきれてものが言えません。
こういう食哲学を持った人が厚生省栄養課の課長となって戦後の日本の栄養指導を行ったのです。

日本の食事がおかしくなったのも頷けます。というより米の消費を減少させ小麦の輸入を促進し食料自給率が先進国で最低という状態に導いた張本人です。

名前は大磯敏雄といい、昭和28年から10年間の長きにわたり厚生省栄養課長を務め、日本の農業の破壊、食の破壊、健康の破壊をもたらしたのです。

上記、食の哲学は昭和34年「栄養随想」に書かれたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


誤った米と麦の認識

2009-07-20 05:31:08 | 日記
戦後、次のように本に書いた人がいました。

 『①「米を食う人々の性格と麦を食う人々の性格は自ら異なるところがあって、前者の、在るから食うといった考え方に対し、後者は、食うから在るのだといった考えを持っている。これは共にその食べ物から来る考え方であって、前者が諦観的、消極的なのに反し、後者の方が進歩的、積極的ではなかろうか?」

②「米を食う民族が容易にその生活環境になれて、積極性を失うもととなるのではなかろうか?」

③(逆に小麦は)「それのみの食生活では決して美味でもなく、それ以上のものを欲し、小麦食以外のものをとることを要求して、嗜好し生産するといった積極的な意欲を働かせ、進取的に努力するといった方向に進むことが、結果において、小麦のみには満足しないで、更に異なった食べ物を欲するという傾向になってきている」

④「小麦粉それ自体を作るだけでも、米の精白に較べれば、確かに技術的にも困難があり、作った小麦粉をそのまま捏ねて食べたところで一向に美味しいものではない。 そこで何とかうまく食う工夫はないものか?牛乳や乳製品を副えたらどうか、肉を副食として食ったらどうか?野菜のスープと一緒に食べたら食べられぬものかといった工合に、大いに工夫して、今日の小麦中心の食生活文化が発達してきたものである」

⑤「米中心の食生活は、最も簡易にして工夫を要せぬ生活となる故、思考、考案といったものからは自然と遠ざかる。即ち、科学的な工夫、発達といったものは進まなくなる」

⑥「勢い、生活は簡単、消極的となり、従って金もかからず金の要求も少ない。その結果は残念ながら、貧乏につながってくるのである。即ち、米を食うという生活は、人をして消極的になり、勤労意欲を消滅し、従って貧乏になる。貧乏になれば、肉や魚や野菜などを購(か)う力がないから、やはり廉い(やす)米ばかりをたら腹食うということになり、その結果は、必然的に睡気(ねむけ)をもよおし、思考する方向に頭脳が働かぬということになる」

⑦「この因は、この果を生み、米を食う習慣は貧乏と1つの環をなして回転しているように思われる。東南アジアにすむ10数億の米を作り、米を食う民族は、等しくこの運命にさらされていると思う」

⑧「この人達(東南アジアの10数億の米食民族・前号参照)は、あまりにも米中心の食生活のため、そこから必然的に生まれてくる栄養欠陥を身につけて、体力は欧米の小麦食の人々に劣り、寿命は短く、乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、また胃の酷使による胃腸病は著しく多い。その上精神的にもねばりの強い積極性を欠き、発明、発見、工夫なども残念ながら欧米人よりも少ない」

⑨「こうした民族的な性質と運命は、決して先天的に遺伝したものとは思われず、その食生活に大きな原因が潜んでいるのではないかとは、つねに、欧米人によって指摘されているところである」

⑩「私どもをはじめ、東南アジアの各民族、これはみな米を中心とした食事をする民族であるが、これらの民族が、今後地球上で西欧の民族と肩を並べて繁栄していくためには、どうしても、この米とのきずなをどこかで断ち切らなければならない」

⑪「従って出来得る限り米食を減じて、進んで小麦食を併用することに努め、自然と食生活上の栄養的な工夫を身につけるよう心がけるべきだ」』

上記を読んでどう考えますか?

 先ず、米食民族と麦食民族という区分はあるのでしょうか。肉食と菜食というのはありますが、例えば麦食民族とはアメリカを考えているようですが、欧米では小麦は主食では無いと思いますが、その麦食民族は積極性があるとか、麦はまずいから食べる工夫をするので頭が良くなるとか、本当にそう言うことが言えるのでしょうか。

 何を考えてというか、どういう勉強をしてこういうことを言ったのでしょうか。
私は、事実認定が間違っていると思うのです。
冗談かアメリカにもの凄く肩入れしているか小麦を特に売り込みたいか何かそう言うものを感じます。

 所で誰が書いたのでしょう。

その人は書いてあることすべて真実と考え、それを実行できる権力と、資金を手に入れたのです。

次項に続く