前稿「誤った米と麦の認識」で麦を食べる国民は素晴らしいんだと思った人の話をしましたが、これを要約し再検証してみます。
「米中心の食生活は、生産も簡易でまたおいしいので工夫を要しない生活となるため、思考、考案をしなくなり、科学的な工夫、発達は進まない。生活環境になれて、積極性を失い諦観的、消極的である。
対して、小麦粉は作るだけでも大変手間がかかり、作った小麦粉をそのまま捏ねて食べても美味しいものではない。 そこで何とか食う方法はないものかと、牛乳や乳製品を副えたり、肉を副食としてみたり、野菜のスープと一緒に食べてみたりと大いに工夫して、今日の小麦中心の食生活文化が発達してきたものである。
米食生活は金もかからないので、金の要求も少ないくそのため貧乏につながり米を食うという生活は、消極的になり、勤労意欲を消滅し貧乏になる。
貧乏になれば、肉や魚や野菜などを買う力がないから、やはり安い米ばかりを腹一杯食べることになり、その結果は、ねむけをもよおし、思考する方向に頭脳が働かないということになる。
米を食う習慣は貧乏無気力・無知・怠惰につながりそれは貧乏につながり、東南アジアにすむ10数億の米を食う民族は、等しくこの運命にさらされていると思う。
また米中心の食生活は、栄養的に欠陥があり、体力は欧米の小麦食の人々に劣り、寿命は短く、乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、また胃の酷使による胃腸病は著しく多い。その上精神的にもねばりの強い積極性を欠き、発明、発見、工夫なども残念ながら欧米人よりも少ない。
こうした民族的な性質と運命は、決して先天的に遺伝したものとは思われず、その食生活に大きな原因が潜んでいるのではないかとは、つねに、欧米人によって指摘されているところである。
東南アジアの各民族、これはみな米を中心とした食事をする民族であるが、これらの民族が、今後地球上で西欧の民族と肩を並べて繁栄していくためには、どうしても、この米とのきずなをどこかで断ち切らなければならない。 従って出来得る限り米食を減じて、進んで小麦食を併用することに努め、自然と食生活上の栄養的な工夫を身につけるよう心がけるべきだ。」
反論
「米中心の食生活は、生産も簡易でまたおいしいので工夫を要しない生活となる。」
と言われていますが、これは米の良さを言っているのです。
ですから米は三大穀物の一つで多く生産され世界で食べられています。
食の世界で一番大切なことは生きるための食料を手に入れることです。米、小麦、とうもろこしという穀物が生産できればこれを主食にします。そして世界の人々はその土地で生産に適したものを生産して食べて生きてきたのです。
その中でも米は美味しいし生産効率も良く、栄養価も高いので、先ず第1に生産することを考える穀物です。
しかし、米を生産するには水が必要です。気候も高温多湿が要求されます。従ってこれに合わないとことでは他の穀物、小麦やとうもろこし、大麦、そば等を植える他はないのです。米を生産できるというのは恵まれた環境にあるのです。
米の生産は決して楽なものではありません。麦やとうもろこしより大変です。上記の説では米の生産はのんびり生産し工夫もしないので頭が発達していないみたいに言っていますが、そう言うことは言えるわけはありません。脳の発達は教育制度や脳の訓練で決まるのではないでしょうか。麦を食っている民族が頭がいいなどあり得ない話です。
米はおいしくて栄養があり反収も良いのですが、そのどこがいけないのでしょう。連作障害と言うのがあります。連作していると収量が落ちるので3年に1度は休耕しなければならないことになりますが、米は何千年の昔から連作してきています。収量が多くて安定しているのです。それは水田で生産しているからです。穀物の中で王様だと思います。
美味しいので食べる工夫をしないから馬鹿になるというような理論が通用するでしょうか。こじつけとしかいいようがありません。
麦を生産するのは米が獲れない地方で生産し、そう言う地方では動物を飼育し肉を主食にする食習慣を持っています。欧米食は肉が主食です。ではパンは何かというと、肉だけ食べてもインスリンがでないので消化しないのです。そこでインスリンを出させる炭水化物が必要なので小麦粉は直ぐにインスリンを出させるので肉の消化剤みたいなものです。
「米中心の食生活は、栄養的に欠陥があり、体力は欧米の小麦食の人々に劣り、寿命は短く、乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、」と言うことですが、米中心の食生活は栄養的にバランスが良いというのはアメリカの国会の報告でマクガバンレポートで明らかです。以後アメリカでは日本の食の方向を目指して食生活の指導を始めたのです。
体力は欧米人に比べて劣っているでしょうか、島田彰夫先生は「身土不二を考える」という講演で「文明開化になって、いろいろな国から指導者が入ってきました。ベルツは、日本に栄養学や医学をもたらした人であり、当時の東京医学校、今の東大医学部の教授でした。ベルツは東京から日光まで、当時は列車がありませんでしたから、一度目は馬に乗って行き途中で馬を6回取り替えて、14時間かけて日光までたどり着きました。二度目は人力車に乗ってみました。一人の車夫が14時間半で着いてしまったのに驚いて、人力車夫を雇って、毎日、80kgの人を乗せて40kmの道を走らせたり、食事の調査をしたりしています。そうしているうちに、日本人の食生活は実に素晴らしいと言うことに気が付いたわけです。このような日本人の体力は、江戸時代までに築きあげられた日本の食生活の体系、養生という考え方の中で生まれたわけです。」と言われました。
ベルツは日本の食生活は素晴らしい、その食事をしている日本人は体力があると考えました。米食が体力が劣るとは言えるものではありません。
「寿命は短く」と言っていますが、日本人の寿命は短いでしょうか、世界一とも言われる長寿国です。
「乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、また胃の酷使による胃腸病は著しく多い」と言っていますが、それは医学の進歩の度合いであることは明白です。米食であるからではありません。
「その上精神的にもねばりの強い積極性を欠き、発明、発見、工夫なども残念ながら欧米人よりも少ない。」とありますが、必要は発明の母、米食民族は自然と共生し、自然を生かし、ゆったり、のんびりと暮らしていました。
西欧に比べ文明は遅れていたでしょう。それはその必要がなかったのです。文明が進んだ先進国は幸せなのでしょうか、地球破壊を進めただけではないのですか、
アジア人の生き方が間違いとは言い切れません。蒸気機関車は便利でした。だが人類にとって正しかったかどうかを考える場合無かった方が地球は長持ちしたのではないでしょうか。”20世紀は欲望の世紀”という放送がありましたが、欲望が発明を生みそれが地球破壊に勧めたのです。ダイナマイト、原子爆弾、クラスター爆弾、・・・これらは殺人兵器です。CO2の増加、地球温暖化・・・エコ化は昔の生活に戻すことではないですか。
米食民族の生き方の方が正しかったのではないでしょうか。進歩はゆっくり出よかったのです。
「つねに、欧米人によって指摘されているところである。」と言っていますが、それは余剰農産物の小麦を日本に売り込もうとしたアメリカのセールスマンの言葉でしょう。それを鵜呑みにするのはおかしいのではないでしょうか。
ともかくあきれてものが言えません。
こういう食哲学を持った人が厚生省栄養課の課長となって戦後の日本の栄養指導を行ったのです。
日本の食事がおかしくなったのも頷けます。というより米の消費を減少させ小麦の輸入を促進し食料自給率が先進国で最低という状態に導いた張本人です。
名前は大磯敏雄といい、昭和28年から10年間の長きにわたり厚生省栄養課長を務め、日本の農業の破壊、食の破壊、健康の破壊をもたらしたのです。
上記、食の哲学は昭和34年「栄養随想」に書かれたものです。