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誰かがやらなくてはいけないー「微力ながら力に」思い複雑、作業の男性―福島第1原発事故

2011-03-30 19:25:18 | 意見発表
「微力ながら力に」=思い複雑、作業の男性―福島第1原発事故
2011年3月30日(水)15:03時事通信
 危機的な状況が続く福島第1原発の敷地内で作業に当たる協力会社の30代の男性が30日までに取材に応じ、「誰かがやらなくてはいけない。少しでも子どものため、地域の人のためになるなら」と、危険な現場へ向かうことを決めた複雑な心境を語った。
 福島県内に住む男性は震災後、妻と娘とともに他県へいったんは避難した。同原発の状況が日々悪化する中、男性に作業要請の電話が入った。多くの協力会社が要請を断る中、男性自身も返答に窮した。要請を断れば、今後の仕事に影響しかねない協力会社という立場上の事情もあった。

 だが、男性の心を突き動かしたのは「子どもを遊びに連れて行った街だし、自分も遊んだことのある街」という、同原発のある大熊町と双葉町への思いだった。「(県の)外から来た人が体を張っている。微力ながら力になりたい」。家族に決意を伝えると、妻は涙を流したというが、娘からは「早く止めて来てよ」と送り出された。

 男性によると、協力会社の作業員らは毎日午前8時ごろに、Jヴィレッジ(楢葉町)に自家用車で集結。そこで防護スーツに着替え、作業の打ち合わせをしてから、バスで原発に。原発での作業は被ばく量を考慮し、1日4~5時間程度という。作業現場には爆発によって飛び散ったコンクリート片や鉄骨が点在。原子炉建屋から約100メートルの位置まで近づくこともあるという。

 「自分が思っている以上に(放射)線量があったら…。(自分の)10年後、20年後はどうなってしまうのか」。作業初日は不安に襲われたが、「今はまったく怖くない。作業員はみんな同じ方向を向いている」と、現場の団結力の高さを強調する。今後も放射線被ばくの危険と隣り合わせの作業が続くが、男性は「ここまで強い使命感を持ったのは初めて。一日も早く収めたい」と、力強いまなざしで語った。 


1.確かに誰かがやらねばならない。東電は処理不能で、全員引き上げを申し出てきともいわれている、いわゆる敵前逃亡を申し出てきたのである。卑怯この上ない東電。
2.作業員の待遇、食事や寝具なども極悪だという。東電の待遇はどうなっているのか。人を人とも思わない東電、原発は扱わせるべきでない。
3.作業員には栄養バランスがよい食事とビタミンA,C,Eの摂取を、またみそ汁はしっかり、これについては長崎の原爆治療の先生の本があります。ウエブ検索すると
「2011年3月16日 (水)放射能対策に玄米・塩・味噌…
放射能被害から自分を守る自助の方法その2。食べ物で放射能汚染を退治する。

『体はこうして癒される―自然治癒力を活かす知恵』(大塚晃志郎著 サンマーク文庫) から引用。

【1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
 博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)
 さらに博士は、次のように職員に命令したという。

「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)

「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
 すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。 このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである】」


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