波立つ国境、日中韓ロそれぞれの事情 高原明生氏と古川浩司氏に聞く
創論
- 2012/9/16 3:30 日経新聞
- 周辺国との領土紛争はなぜこんなにこじれてしまったのか。竹島(島根県)や尖閣諸島(沖縄県)を巡る摩擦は一段と激しさを増している。日本政府はどう対処すべきか。中国の政治情勢に詳しい東京大学の高原明生教授、国境問題を研究する中京大学の古川浩司教授に論じてもらった。
――領土を巡り中国など周辺国とのあつれきが激しくなったのはなぜでしょうか。
「中国は国力伸長とともに海洋進出を強化してきた。民衆のナショナリズムの盛り上がりは中国の強さと弱さの反映だ。国力に自信を深める一方、汚職腐敗や格差拡大など社会矛盾に不満を抱く人が増えている」
「日本側に政治の混迷などつけ込まれる要因があるのは否定できない。だが、韓国やロシアの動きも向こうの国内事情が影響しているとの印象だ。中韓ロそれぞれの事情と複合して起きている」
――中国は南シナ海では島を占領するなど強硬です。東シナ海でもそうなりますか。
「南シナ海では1970年代から島々の領有を巡り小規模な戦闘が行われ、資源を巡る競合もある。中東に通じるシーレーンとして重要だという認識もある。東シナ海では領土紛争の歴史的な経緯も違うし、日本にすぐに同じ態度でくるとは思えない」
――中国の反日デモは政府が扇動していませんか。
「中国共産党は国をまとめ、政権への支持を調達するために愛国主義教育を進めてきた。政府はやろうと思えばデモを抑え込めるが、ガス抜きや日本への意思表示の必要も感じている。他方で党を批判する側もナショナリズムを利用しようとしている」
「中国ではメディアが官製なので本当の民意の状況が政府にもよくわからない。共産党指導部はネットの書き込みに過敏に反応してしまう。中国は、対抗措置を経済や文化の領域に広げ大国にふさわしくない言葉遣いで隣国を批判するのは控えた方がよい」
――日本も主張すべきは主張した方がよいですか。
「議論しても口げんかしてもよい。しかし双方とも手を出したら文明国として失格だ。中国当局は『愛国無罪』の声を厳しく戒めてほしい。中国は文革中にまかり通った『革命無罪』を深刻に反省し、法治化を進めてきたはずだ」
「最近は沖縄が日本に属さないという荒唐無稽な説まで出回るようになった。まずは学者の間で、双方の主張を整理する共同研究会を開くのがよいだろう」
■「尖閣は『棚上げ』が最良」
――よい打開策は?
「中国は70年代に棚上げの合意があったことを認めよと迫るが、日本は領有権問題の存在を前提にした合意はあり得なかったという。これでは議論がかみ合わない。このまま放置しておくと、また船が衝突する可能性もある。双方が自分の原則を維持しつつ、問題を事実上棚上げにするような『2012年合意』を実現し、72年の国交正常化以来の状態を保ち続けていくのが最良の工夫ではないか」
――中国は「尖閣の国有化は実効支配の強化」と反発しています。
「これまでも私人が平穏かつ安定的に所有し固定資産税も払っていた。立派な実効支配ではないか。国際法上、国有化によって実効支配が強まることはないだろう」
――中国の最終的な狙いは尖閣周辺の原油資源ですか。
「いまはそれよりも領土ナショナリズムだろう。08年には東シナ海でのガス田の共同開発で合意した。日中中間線の北側でも南側でも一緒に掘ったらよい」
――日米同盟が及ぼす影響力はどの程度ありますか。
「米国は『尖閣は日本の施政権下にあるので日米安保条約が適用される』といっている。尖閣問題を安定させるうえでプラス要因だ」
「ただ、領有権に関して米国が中立を主張するのは理屈が通らない。72年に日本に返還した沖縄の施政権は尖閣にも適用されていたし、その後も米軍は尖閣の一部を射爆場に使用してきたのだから」
■「境界紛争は陸から海へ」 古川浩司・中京大教授
――日本は島国なので国境紛争は縁遠い問題でした。
「世界的にみると最近の境界紛争は陸から海へと移りつつある。地続きだと軍事衝突に発展しやすいので紛争を起こすとデメリットが大きい。中国もロシアやベトナムとの陸の国境線は画定させた。海に関しては1996年に国連海洋法条約が発効し、排他的経済水域(EEZ)が設定されるようになった。それで新しい摩擦が生まれた」
――島の帰属問題が解決した事例はありますか。
「スウェーデンがバルト海のオーランド諸島をフィンランドに渡した例などがある」
「海の境界を巡り対立がある場合、線引きは諦め、周囲を取り囲む『暫定水域』を定める手もある。本当に争っているのは島ではなく、周囲の漁業権の場合もあるからだ。日韓は竹島周辺を含む暫定水域を設定した。また北方領土の周辺海域も日ロ間で漁業協定が締結されているので日本の漁船も操業できる」
――漁場の争いが解決すれば対立を収められますか。
「境界地域を回ってみると、東京と温度差を感じることがある。例えば北方領土に接する北海道根室市では経済交流を通じた活性化を望む人もいる。根室のすべての人が『何が何でも4島返還』とは必ずしも思っていない」
「逆に東京では4島の即時一括返還しかない、それ以外は一切認めない、という風になってしまった。首相が政治決断して2島あるいは3島などで決着させようにも、それを許さない雰囲気がある。韓国でも昔は竹島への関心はさほど大きくなかったのに今では韓民族のナショナリズムの象徴になってしまっている」
■「利益共有が解決の一歩」
――領有権を永遠に棚上げすることは可能でしょうか。
「暫定水域や共同開発などを通じて経済的利益を共有し、対立が薄まれば領有権の問題を解決しなくてはならない動機はなくなる」
――双方に利益があることが大事ですね。
「北方領土でいえばロシアはジャパン・マネーに関心がある。しかし日本企業は外務省の方針でビザなし渡航以外では行けない。ロシアは国後・択捉に中韓の企業を呼び込んでいる。日本はビジネス機会をむざむざ失っている」
「冷戦直後は北方領土に住むロシア人は根室に憧れていた。いまは根室の方が寂れているかもしれない。国の論理で地方が経済発展できないならば、その補填がもっとあってもおかしくないはずだ」
――どの国もナショナリズムが高まっています。
「日本人は現代史を習わずにきた人が多くて歴史問題をわかっていない。『日本は間違っている』といわれて日本的な心情から『そういう考えもあるかな』と答えるから向こうも『それみろ』となる」
――言い返さないのが大人の対応という人もいます。
「黙っていたら黙認したことになる。日本人同士ならば以心伝心が重んじられるが、中国、韓国、ロシアそして米国も言うべきことは言わないと伝わらない国だ。竹島を放棄すれば韓国は他の歴史問題で要求をエスカレートさせる。返還は容易でなくとも主張すれば歯止めになる」
――日本は領土紛争にどう対応するのがよいですか。
「何もしなければ尖閣を失うかもしれないが、いきなり自衛隊を駐留させるのも行きすぎだ。警察力である海上保安庁を強化することだ。外交の継続性も必要だ。例えばロシアと互いの立場を尊重しながら領土交渉を進めてきたのに菅直人首相がそれを無視して『(4島占拠は)許し難い暴挙』と怒鳴った。ロシアは何だと思ったことだろう」
相手国を刺激せず、問題を棚上げしておく。日本政府は長らく領土紛争にこう対処してきた。和を大事にする日本人の心情に最も合うやり方だった。
日本の国力低下や東アジアの安保環境の変化はこうした均衡を崩しつつある。こちらがおとなしくしていれば中国、韓国、ロシアもことを荒立てない、という暗黙の了解はもはやない。
だからといってやみくもにケンカを売るのでは戦前日本と大差ない。首脳同士がいがみ合うほど国民同士が険悪とも限らない。複層的にものを考えるときだ。(編集委員 大石格)
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