和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

つげ。ゲゲゲ。

2010-07-03 | 短文紹介
つい、古本で「マンガ名作講義」(情報センター出版局)があったので、買っておきました。
さて、そこに曽野綾子さんが、つげ義春の「ねじ式」を取り上げておりました。もっとも、3頁ほどです。その最後は、ここに引用しておいてもよいと思います。

「すべてがごっこの時代だった。大学紛争では警官だけが命をかけ、学生側は安全圏で闘争ごっこをして、『時代を闘った』などと思ったのである。主人公はそれ以来ネジで止めた腕で生きる。きつく閉めるとしびれるのはそのせいである。
つげ義春氏は、実に多くのものを活写し、予見していた。
生臭い言い方をすれば、日米関係も、憲法解釈も、民主主義も、大学紛争も、社会主義も、個人の自由も、日本人の哲学と勇気のなさも、病んだ心も、すべてこの作品の中ですくい取っていた。
私が優れた短編小説と同様に漫画に深い尊敬を抱いたのは、つげ氏のこの作品と、水木しげる氏の諸作品を通してであった。」(p66)

さてっと、「マンガ名作講義」で
「ゲゲゲの鬼太郎」を取り上げていた多田道太郎氏の文も引用しておきたくなります。

「ものに驚いたとき、『ゲッ』と叫ぶ若い人を知っています。もとは反吐(へど)を吐くときの嫌な擬音だったのに。『鬼太郎』ではご承知のように、幼きヒーローをたたえる草木虫魚の叫び声です。そういえば年配の俳人栗林千津さんにこんな句があります。

   ビアガーデンのガ行さきざき孤独なり

光栄にもぼくと同年生まれの水木しげるさんは、不幸にも戦場で片腕を失いました。初めて鬼太郎が『週刊少年マガジン』に登場した『手』(65年)は、切り落とされた手首がよみがえり、吸血鬼のホテルに放火して妖怪をやっつけるはなしです。
目玉も手と同じように孤独だったのではないでしょうか。ラバウルの海岸の崖っぷちでぶらさがっていた水木さんの手の物語は戦慄的です。『水木しげるのラバウル戦記』(94年、筑摩書房)のコピー『地獄と天国を見た水木上等兵』に深くうなずいてしまったぼくでした。孤独な彼の目玉は、双眼鏡で海から来る敵を見張りながら、ふと気づくと、逆に陸の方、まるで天国のような景色に見とれていたのです。・・・・・・時間的には太古から敗戦後の昭和の現代まで、空間的にはちゃぶ台から南方の島まで、自由自在に駆けめぐっているのが仮想現実顔負けの仮想マンガ『ゲゲゲの鬼太郎』です。」(p197~198)

ちなみに、多田道太郎氏は1924年生まれ。
そうして、曽野綾子氏は、1931年生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする