和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

空穂と『独歩集』。

2010-07-04 | 他生の縁
窪田空穂著「わが文学体験」(岩波文庫)に
独歩の本を読んだ感想が書かれております。

「電報新聞社にいた頃のことである。私は一社務として、時々新刊書の紹介を書かされたことがある。そのうちに『独歩集』があった。国木田独歩は『武蔵野』によって知っていた。水野が推称措かない書で、私は水野の持っていたので読み、その清新さに感心していた。その人の短編小説集で、初めて見る小説の方が多かった。
私は眼を見張って読み終り、驚嘆を久しゅうした。すべて清新な小説である。短編ながら捉えられている人間はすべてくっきり浮かびあがっている。理想を失って哀感をもちつつ現実に生きようとする人、準動物的な人、孤独に安んじて自由に生きようとする人、大自然の中に生きる人間の哀感、それらさまざまな人間が、事件を少なくし、歯切れのいい文章で浮んでくるのである。わが小説界に初めて見る絶好の短編集だと感じた。新刊紹介であるから簡単を期して書いたが、やや長いものとなった。・・・」(p110)


その書評は、窪田空穂全集第十一巻「近代文学論」に、そのまま掲載されておりました(p65)。ちなみに、ここで、なぜこの全集が登場するかといいますと、じつは山村修著「〈狐〉が選んだ入門書」(ちくま新書)で、この窪田空穂全集第十一巻にある「現代文の鑑賞と批評」が紹介されており、どうしても読んでみたくなって、この巻だけ読んだというわけで、私の本棚にあったというわけです。その「現代文の鑑賞と批評」でも国木田独歩の文章が紹介されておりました。ですが、同じ巻の「近代作家論」がこれまた面白く読めるのでした。

さてっと、黒岩比佐子著「編集者国木田独歩の時代」(角川選書)には
独歩から空穂への手紙が引用してあり、それはそれは一読感銘深い箇所でありました。
コメント
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