和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本たちの幸福。

2010-07-31 | 他生の縁
梯久美子著「昭和二十年夏、女たちの戦争」(角川書店)を読んでから、直接には関係ないのでしょうが、ついつい思い浮かぶ箇所がありました。
それについて、語ります。

暑いですね。それでも、興味があるせいか。本棚を見るとイヤな気はしません。
でも、そのままの本棚だと何とも暑苦しい。
読んだ本を本棚に並べていることもあるのですが、ほとんどが読んでない本だったりします。たとえば、全集本を買うと、まずは並べたくなります。しばらくしても、読まない。それも一年、読まないと、読んでないのに本棚ででかい顔をしているのが、何ともうっとうしくなる(笑)。何とも困ったものです。
まあ、そういう本棚との付き合いをしていると、他の方の本棚が気になるわけです。
ちょうど、梯久美子さんの本に、何気なくも、ちょっと触れられている箇所があったのでした。ということで引用。
それは吉沢久子氏を語っているところにありました。

「2009年11月、東京の杉並にある吉沢氏の自宅を訪ねた。・・・・通された部屋には大きなテーブルがあり、壁にはたくさんの本が並んでいる。人の手が触れなくなって久しい本たちは、死んだような顔をしているものだ。古い本がぎっしりつまった本棚の前に立つと、そのあたりの空気がよどんでいるように感じることがある。しかしこの部屋にある本たちは、民俗学や歴史学などのむずかしそうな古い本ばかりであるにもかかわらず、どこか生き生きした表情をしているように思えた。どうしてだろう。生活空間の中にあるからだろうか? ――などと、インタビューをしながら思っていたのだが、取材が終わった後、部屋の隅に小ぶりの黒板が掛かっているのに気がついた。聞けば、戦後に結婚した夫で、評論家だった古谷綱武氏といっしょに始めた歴史の勉強会を、氏が亡くなってからも続けているのだという。
そうだったのかと思った。本たちが生きている感じがするのは、置かれている空間で、にぎやかな知的活動が行なわれているためなのだ。実際に手にとられ、ページをめくられることもあるのだろう。人が集い、議論をする場所に置かれた本たちは幸福だと思った。」(p65)


こういう箇所を読むと、おこがましいのですが、つい自分の本棚のことと関連させてみたりするのです。ということで、この本を読んでから、何日か後に、汗をかきかき本棚の入れ代えをしたというわけです。まことに、何気ない言葉ほど、効果テキメン。
たまたま「そのあたりの空気がよどんでいるように感じる」本棚の本に触れてみたというわけでした。うん。読んだわけじゃなく、あくまでも、触れてみただけなのですが、私も幸福になったような。

コメント
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