徳川夢声著「話術」(白揚社)に、座談十五戎が載っております。
そこから一箇所引用。第6戎「毒舌屋たるなかれ」。
「・・・好きな人には、仲よしの犬が噛み合いをするように、悪口をいいたくなるものです。また、いわれて敵ながら天晴れと、好い気もちになるものです。しかし、その場合にも相手の急所は避けなければなりません。・・・・・その人が本業としていることを、批評する場合は、余程警戒すべきです。舞踏家の石井漠氏と私と初対面の時、意気大いに相投じて、私は嬉しくたまらなくなった。その嬉しさを何とかして表現したい。石井漠という人間が如何に私に気に入ったかということを、当人に知ってもらいたい、そう思って私は、『いや、まったく君は良い男だ、どうしてこんな良い人物がいるんだろう。ダンスはまずいけれど人間は実に立派だ。』とこういったんです。もっとも両方とも酔っぱらっていました。が、さァ大変です。『なにッ、俺のダンスが拙いとは何んだ、お前なんかにダンスが分るかッ。』というので大喧嘩になりました。こういう経験が、その後も二回私はありまして、つくづく、その人の本業をケナスものでないと覚りました。いかに、こっちに好意があっても、こいつはいけません。でも、もともと悪意から出たものでないから、あとではお互いに笑い話となりますけれど、世の中にはいわゆる、毒舌家という人物があって、言葉に毒を含み、周囲をクサらせる名人があります。当人は得意になって毒舌を振うのですが、毒の及ぶところ、被害甚大です。そして知らず知らずの間に、造らなくてもよい敵を造ります。」(p68~69)
そういえば、最近読んだ中で、思い浮かぶ言葉がありました。
まあ、直接には関係なさそうなのですが、
谷沢永一・渡部昇一著「組織を生かす幹部の器量 宋名臣言行録に学ぶ」(到知出版社)
「・・欧陽修は『道に学ぶこと三十年。得るところのものは、平生、怨悪なきのみ』と言っています。つまり、自分は三十年もの長い間一所懸命に修養したけれども、そこで得たことの結論は『人を恨まないことに尽きる』ということだけだと。これはまた簡潔です。
・・・・その結論に至るまで三十年。」(p189~190)
そこから一箇所引用。第6戎「毒舌屋たるなかれ」。
「・・・好きな人には、仲よしの犬が噛み合いをするように、悪口をいいたくなるものです。また、いわれて敵ながら天晴れと、好い気もちになるものです。しかし、その場合にも相手の急所は避けなければなりません。・・・・・その人が本業としていることを、批評する場合は、余程警戒すべきです。舞踏家の石井漠氏と私と初対面の時、意気大いに相投じて、私は嬉しくたまらなくなった。その嬉しさを何とかして表現したい。石井漠という人間が如何に私に気に入ったかということを、当人に知ってもらいたい、そう思って私は、『いや、まったく君は良い男だ、どうしてこんな良い人物がいるんだろう。ダンスはまずいけれど人間は実に立派だ。』とこういったんです。もっとも両方とも酔っぱらっていました。が、さァ大変です。『なにッ、俺のダンスが拙いとは何んだ、お前なんかにダンスが分るかッ。』というので大喧嘩になりました。こういう経験が、その後も二回私はありまして、つくづく、その人の本業をケナスものでないと覚りました。いかに、こっちに好意があっても、こいつはいけません。でも、もともと悪意から出たものでないから、あとではお互いに笑い話となりますけれど、世の中にはいわゆる、毒舌家という人物があって、言葉に毒を含み、周囲をクサらせる名人があります。当人は得意になって毒舌を振うのですが、毒の及ぶところ、被害甚大です。そして知らず知らずの間に、造らなくてもよい敵を造ります。」(p68~69)
そういえば、最近読んだ中で、思い浮かぶ言葉がありました。
まあ、直接には関係なさそうなのですが、
谷沢永一・渡部昇一著「組織を生かす幹部の器量 宋名臣言行録に学ぶ」(到知出版社)
「・・欧陽修は『道に学ぶこと三十年。得るところのものは、平生、怨悪なきのみ』と言っています。つまり、自分は三十年もの長い間一所懸命に修養したけれども、そこで得たことの結論は『人を恨まないことに尽きる』ということだけだと。これはまた簡潔です。
・・・・その結論に至るまで三十年。」(p189~190)