和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一行も書いてない。

2010-07-14 | 他生の縁
外山滋比古著「エディターシップ」(みすず書房)。
その「見つけて育てる」は、こうはじまっておりました。

「平凡社『世界大百科事典』の菊池寛の項を見ると、文学者としてのことだけが書いてあり、すぐれた雑誌編集者としての仕事については一行も書いてない。これはこの項目の筆者を責めるよりは、『百科事典の編集者に責任がありそうである。ケアレスミステークというよりも、むしろ、意識して平凡社世界大百科事典編集部の見識として、日本における中間ジャーナリズム文化の始祖である菊池を黙殺したのかもしれないと思えるからである。』松浦総三氏がこういう指摘をしているのをおもしろいと思って読んだ。(「調査情報」72年11月号)

 そして、この文の最後の方を引用。

「・・・われわれは現在でもまだ文化の創造者としての菊池寛の姿をしっかりとは見ていない。外国模倣文化の中では、やむを得ないことなのであろうか。菊池寛の編集者としての仕事は『文芸春秋』にあらわれている・・・わが国にはじめて、実感をともなって読める知的表現を提供する舞台になった意義はもっと注目されてしかるべきである。
それは、編集者が知的なおもしろさを発見していたということである。読者を知っていたからである。さらに人間を知っていたからである。日本語と日本人にとって、たとえば、座談会記事というものはもっとも秀抜な発明で、これが菊池寛の創案であるといわれると、なるほど納得する。雑誌の巻頭に随筆をのせる形式も、巻頭にまるで歯のたたないような難解な論文を載せていた当時の総合雑誌への挑戦ではあろうが、ただの戦略的な編集技巧ではなく、ふかく人間の心理に触れるところがある。何十年たっても、雑誌へのこの入り方はすこしも古くならない。
いまだに、外国の雑誌をそっくり真似したような雑誌が人気を博し、それをまた編集者たちが得意になっているらしいという状況がつづいているわが国の出版界にとって・・・・」



え~と、PHP研究所の「日本を讒(ざん)する人々」渡部昇一・金美齢・八木秀次著。
この鼎談をひらいていたら、ちょいと、文芸春秋について語られておりました。


渡部昇一氏の言葉に
「池島信平さんの志の生きていた頃の『文芸春秋』であったら、まず田母神問題が起こったら、田母神氏に原稿を依頼したはずです。それが田母神批判を石破元防衛大臣に書かせている。・・・『雑誌のベクトルが変わったな』という印象を受けましたね。」(p58)

そのまえに、八木秀次氏がこう語っておりました。

「問題なのは、事態が好転した結果、対立軸を際立たせる必要が薄れてきたのではなく、戦う相手は依然として存在しているにもかかわらず、少なからぬ論壇人が、政治家や官僚、マスコミによる事実を曲げてまでの摩擦回避や先行譲歩、事なかれ主義を『現実主義』として追認していることです。」(p56)


うん。菊池寛や池島信平のような編集者がいない。
ただ。一行書くとするなら、そうですね。
それにしても、「日本を讒する人々」の鼎談は面白いなあ。
「知的なおもしろさの発見」と、指摘したくなります。
コメント
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