岩波文庫の「窪田空穂歌集」(大岡信編)をパラパラとめくっております。
昭和30年に「選歌」と題して
よき歌を見出づることのたのしさに引かれつつ選む人が詠み歌
よき歌を得ればたのしく人が歌わが歌といふけぢめのあらぬ
胸にしむ歌にし逢へばそぞろにも声立てて読む人が詠み歌
よき歌にそぞろぐ心究(きは)めむは吾は何ぞと問はむに等し
昭和31年には
第一に親しく良きは自作なり作者の前に作を語るな
鑑賞はおのれを語るものにあれば陶酔も無視も好むがままに
昭和37年の「孫の成人式に」では
成人のいたく苦(にが)きを知れる祖父いかに祝はんこの男孫
責任を果たしぬべくも真向かひて体あたりせばたのしみ湧かん
責任は己がこころの生むものぞ果たしえん境(さかひ)身をもちて知れ
危険なき生存あらず二十代三十代は危険を冒せ
記憶せよいま成人の男孫四十とならば惑ひをもつな
このあとの昭和37年。空穂86歳の歌「庭にむかひて」のはじめに
もの言へぬ幼児(をさなご)が目を見ひらきて見つむるごとき草の花かも
マイケル・ディルダ・高橋知子訳「本から引き出された本」(早川書房)に、そういえば、こんな引用がありました。
「芸術の目的は瞬間的なアドレナリンの放出ではなく、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することである。 ・・・ グレン・グールド」(p154)
昭和30年に「選歌」と題して
よき歌を見出づることのたのしさに引かれつつ選む人が詠み歌
よき歌を得ればたのしく人が歌わが歌といふけぢめのあらぬ
胸にしむ歌にし逢へばそぞろにも声立てて読む人が詠み歌
よき歌にそぞろぐ心究(きは)めむは吾は何ぞと問はむに等し
昭和31年には
第一に親しく良きは自作なり作者の前に作を語るな
鑑賞はおのれを語るものにあれば陶酔も無視も好むがままに
昭和37年の「孫の成人式に」では
成人のいたく苦(にが)きを知れる祖父いかに祝はんこの男孫
責任を果たしぬべくも真向かひて体あたりせばたのしみ湧かん
責任は己がこころの生むものぞ果たしえん境(さかひ)身をもちて知れ
危険なき生存あらず二十代三十代は危険を冒せ
記憶せよいま成人の男孫四十とならば惑ひをもつな
このあとの昭和37年。空穂86歳の歌「庭にむかひて」のはじめに
もの言へぬ幼児(をさなご)が目を見ひらきて見つむるごとき草の花かも
マイケル・ディルダ・高橋知子訳「本から引き出された本」(早川書房)に、そういえば、こんな引用がありました。
「芸術の目的は瞬間的なアドレナリンの放出ではなく、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することである。 ・・・ グレン・グールド」(p154)