3月23日(日曜日)の産経新聞読書欄に、
南陀楼綾繁さんによる書評が載っておりました。
嶋田奈穂子著「看取られる神社」(あいり出版・1650円)。
はい。新刊で注文することに。
南陀楼さんの書評のはじまりは、
「 神社は古代から集落の中心にあった。
しかし、人口減少社会に入り、集落が消滅すると
神社はどうなるのか?
それが本書のテーマだ。
福島県の奥会津の集落では、最後の住人が亡くなる前に、
神社を取り壊し、焼いて更地にしたという。
また、福井県のある集落では、最後に残った夫婦が
神社を壊して更地にし、そこに『 菅八幡神社跡 』
という石碑を建てた。 ・・・いずれも平成の話だ。 」
朝注文した新刊が、その日の夕方に届く。
パラリと『 はじめに 』を読んでみる。
「 神社の立地を研究テーマにした私は、
まず足元の神社を調べてみることにした。・・・・
『滋賀県神社誌』という分厚い本である。
・・ためしに近所にある神社を調べようと思ったのだが、
載っていなかったのである。・・・・
滋賀県神社庁は・・神社本庁の県支部のような組織である。
・・実際には、神社本庁は全国の≪宗教法人格をもつ≫神社を
包括するというだけで、その県支部である滋賀県神社庁は、
つまり滋賀県下で法人格を有し、神社庁に加盟している神社を
把握しているのであって、それは実際に在る神社のほんの一部
にすぎないのだ。・・・・
先生の相談すると、≪ ゼンリンに載っているやろ ≫と
ケロリと言われた。なるほど。『 ゼンリン住宅地図 』は
調査員が実際に町を歩いてその状況を地図に落しているので、
宗教法人であろうがなかろうが、そこに神社が存在すれば
地図に載るのである。
・・・神社誌に掲載ている野洲川流域の神社数が110社ほど・・
実際に行ってみると神社が更地になっていることもあったし、
逆に地図に載っていない神社を見つけることもあって、結局、
野洲川流域では378の神社に出会うことができた。 」(~p13)
読みやすい文と写真で、地方の地域の神社の推移がたどられております。
じつは、私の地元にも神社はあるのですが、神社の下にひろがる田圃が
後継者不足のためお米をつくらなくなって、他所事ではなく読むのでした。
私は私で、田植えもしたことのない、できない者です。
その癖して、お米を食べているわけです。
身近な問題として本をひらいております。
人口10万人にも満たない小さな町ですが
神社が6つもあり お正月には6神社に詣でています。今は神主さんになるのも 資格がいるようですが
大昔は どうだったんでしょうね。
キリスト教会は もっと多いようです。
お寺も 同じくらい。。。
お正月には、6神社に詣でているのですね。
ちょうど、手許に神崎宣武著
「神さま仏さまご先祖さま」という本があり、
その「はじめに」を引用したくなりました。
「『 なぜ、ひとつの家のなかに神さまと
仏さまが祀ってあるのか 』
『 それも、ひとつの部屋のなかに神棚と
仏壇を設けているのは、どうしたことか 』
『 初詣でで、神社に参った足で寺院にも
参るとは、これもどうしたことか 』
『 神前結婚をした人を仏式の葬儀で送って、
まわりの誰もが平気なのも不思議なことだ 』
日本を訪れて、日本の生活文化に興味をもった
多くの外国人が、その種の質問をするであろう。」
はい。こうはじまって一冊の本を書いております。
ちなみに、イラストは沢野ひとし。
はい。簡単に答えを出してしまうのは、
結構、もったいないような気がします。