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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

1912年・1913年生まれ。

2025-04-01 | 詩歌
私の父が、大正2年生まれ。
蓮井秀義著「シベリヤの月」の略歴に
1913年(大正2年)生まれ。とありました。

そういえば、と新田次郎の年譜をひらくと、
明治45年(1912年)長野県上諏訪町大字上諏訪字角間新田に生れる。
新田次郎の戦中はどうだったのかと年譜をめくる。

昭和18年(1942)4月、満州国新京の満州国中央観象台に、
高層気象課長として転任する。・・
昭和20年(1945)33歳。8月新京で終戦をむかえる。
終戦後、家族と別れて、ソ連軍の捕虜となり、
シベリアへ送られる途中、延吉捕虜収容所で、1年余の抑留生活を過ごす。
妻・ていは3人の子供をつれ、38度線を歩いて越え、翌年帰国。
昭和21年(1946)10月、一年余の捕虜生活を過した満州より引き揚げ、
中央気象台に復職。         ( 別冊新評「新田次郎の世界」より)

これだと、新田次郎氏は、シベリアへは送られていなかったようですね。


シベリヤ抑留といえば、現代詩の石原吉郎が思い浮かぶ。
1913年静岡県伊豆に生れる。
東京外語大卒業後、応召され情報要員としてハルピンに配属。
1945年ソ連軍に抑留されシベリアの強制収容所で8年間を送る。・・

ちなみに、私の父は、1943年(昭和18年)29歳で応召・・
昭和19年に、南方(フィリッピン・アンダマン諸島)に派遣される。
昭和21年に、復員・・・

大正2年ということで、今日思い浮かぶことを並べました。
そういえばと、石原吉郎の詩を最後に引用しておきます。


      世界がほろびる日に  石原吉郎
 

    世界がほろびる日に
    かぜをひくな
    ビールスに気をつけろ
    ベランダに
    ふとんを干しておけ
    ガスの元栓を忘れるな
    電気釜は
    八時に仕掛けておけ


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