わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

病院の職員からの質問(4)

2015-12-29 08:31:30 | 癒し
 (質問) 心構えとしては、何も来ないという
信念みたいな、善念を起こすということですか…。


 (答) 念じゃだめ。念ではなくて、やっぱり
信仰を持つこと。信念ではなく信仰を持つ。
 自分が祈る時に、自分を強くして下さいと。
 強くやさしくして下さいと祈る。何があっても
強くたくましく岩のようにと祈ると、ただ強い
自分だけが出て来て片寄ってしまうけれど、強く
やさしくという祈りだと、そこにやわらぎの心が
出てくるでしょう。やわらぎは平和ということ
ですからね。

 やわらぎを忘れて、ただ平らかになるという
ことだけが平和ではありません。ブルドーザーで
いくらでも道は平らに出来る。だけど、それで
草木をなぎ倒して、生命を根こそぎにすることが
神様のみ心ではない。人間だけが生きればいい
というものじゃないでしょうね。すべてが神様の
息づきの中にある生命なのだから、人間だけが
救われればいいというのでは本当に平和に
ならない。動物も植物も海も山も空気も、すべて
神様のものであって、我々人間もそこに共に
生きる生命であるから、共存して行かないと
いけませんでしょ。
 神様と共なる生命なんだけれど、神様と共なる
生命は、神様対人間だけじゃあない。
 全部がそう。全部が生きている。そういう
地点に立ってやってゆくと、平和にならざるを
得ないですね。やわらぎを持たざるを得ない
ですね。人間がって思うから、私がって思うから
大変になり変なことが起こってくる。

 斎藤秀雄さんがここで書いたでしょ、「俺が
俺がの我を捨てて、おかげおかげの下(げ)で
暮らせ」とね。みんなが生かされている。みんな
というのは人間だけではなくて、天地のすべて
万物が宇宙そのものが生命であり、それがみんな
鳴り響いていて、その宇宙全体の中に、世界平和
の祈りが鳴り響いていて、我々はその響きの中の
一つの粒子として、個性を持って生きている、
生き通しの生命だということを忘れてはいけない。
 そういう風に思える時に、そういう風に信じ
れる時に、人間というものは本当に解放されて、
本当に朗らかになってゆける。人間の本当の
真性(神性)、朗らかな真性(神性)という
ものがそこに現れて来る筈です。

 何度も言いますけれど、人間というのは、
チャチなものではない。天地、万物、宇宙、極天、
極地、全部を貫くーそれ位の存在なのです。
 だけれど今は、この地球という所にいて地上に
いて、肉体というものをまとい、飲んだり
食べたりしゃべったりしている。この小さな
ことも愛するようにならないと、生活という
ものも大事にしてゆくようにしないと、同時に
天地を貫いてゆく宇宙を貫いてゆく、タテにも
ヨコにも縦横無尽に朗らかに現れてゆく自分が、
その生命だということがなかなか思えなくなる。
 だから、小さなことを大事にしないと
いけません。ささやかなことを大事にしないと
いけません。謙虚であって欲しいし、感謝を
忘れないで欲しい。そういう思いで世界平和の
祈りをしてゆくと、スーッとエレベーターに
昇ってゆく。感じなくても、天界の霊人と一緒に
祈りをすることになりますね。


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