花守

四季の花はそれぞれやさしく咲きこころなごみます
折々に咲く花を守りこころかすめる思い出など綴ってみたいです

ご挨拶を

2021年02月22日 09時56分16秒 | 日記



梅の花が寒さの中で清らかに咲く様子に
今年もどんなに励まされたことかしら でももう散っていきますね




ボケがとても可愛いつぼみを膨らませているのです
花が開くのはもう少しですね




アヤメかしらもう枯れ葉の下から青い小さな芽をだしているのです
”下萌え” 勇気をもらう言葉です



ご近所の老夫婦が介護施設に入居されることになって
昨夕はその老婦人が丁寧にご挨拶をしていかれました
「私ども夫婦そろって施設に入居することに決めました
これまで長い間優しくお話してくださってありがとうございました」と
目には涙を浮かべられて
家には誰もおられなくなるので庭の植木も伐って仕舞われたそうです
時々は帰ってみたいと仰います
「そんな時にまたお逢い出来たらいいですね」と私は言いました
小さなお年寄り用の歩行車を押して帰られました
私はそっとそのご婦人の背中を撫でてお別れしました
ただでさえ夕刻のお別れは寂しいもの

でも私どもももうすぐそんな年代になります


風景画を

2021年02月21日 14時00分11秒 | 日記
我が家のヒマラヤユキノシタはまだまだ小さくて
花が咲くのはもう少し先に




パンジーが寒さの精で枯れたかしらと心配していましたのに
このところの暖かさでまた生き返ったようです
花数が増えてきました





近所の方で平素からよく短歌を詠まれていて
アララギ派にも所属されているそうですが
今日は心地よい暖かさで我が家の裏庭で椅子に腰を下ろして
いろんなことお話しされていました
絵もお好きで町の文化ホールにもその方の絵が展示されているのです
私はその方に絵を一枚所望いたしました
風景画がお得意のようです
近い中に届くと嬉しいです 心躍る想いです

それでも

2021年02月20日 09時08分30秒 | 日記
暖かな日を迎えたようです
早朝の裏庭ではうれしいこと
利久梅の小さな新芽にはもつぼみを抱えているのです
新芽を出したばかりなのに早業ですこと




山茱萸のつぼみが少し開きかけて黄色い顔をのぞかせています
でも山茱萸は賢くて少し冷たい風が吹くとすぐに何事もなかったかのように
つぼみを閉じるのです
そんなことを繰り返してあたたかな春を迎えるのですね






もう周囲で子供たちの遊ぶ声を聞かなくなって久しいこと
近くの公園から聞こえていた子供たちの遊ぶ声やブランコの揺れる音も聞けなくて
夏休みのラジオ体操だって児童数が少なくなって他の地区と合併されて
近くの公園は一層寂しくなりました
それでも近くの公園の木々は新芽を出しています
春が巡ってきています

風花舞う

2021年02月19日 10時29分38秒 | 日記
今朝は冷たくて
裏庭では土が固く凍みているのです
でも貝母の芽は少しずつ伸びています
小さなつぼみをだいているかしら 



こんなに冷たくても牡丹は尖った芽から葉を出そうとしているようです
これから木々の春の芽吹きを
見守っていくことはとても楽しみなことです



昨日の午後のことです裏庭に出てみますと
風は冷たくて
ちらちらと雪が舞ってきたのです
此方では雪とは珍しいこと
空を見上げると青く晴れていて
こんな雪は風花というのですね 珍しくて
なんだかうれしいような いいことでもしたような気分になれるのです



小さな小さな阿弥陀堂のこと

2021年02月17日 09時26分04秒 | 日記


このところあたたかな春の訪れと思っていたのです
ところが今朝の冷たいこと

昨日のことです
あるブログで
「阿弥陀堂を拝ませて頂きたいです。ぜひ一度upを望みます」
と言っていただきました
そこでもう一度ブログに書いてみました
もう35年も以前のことになります
母が亡くなってどうしようもなく悲しくて毎日がたまらなくなり
親不孝だったこと
我儘だった私をどんなに悔いたことだったか
私は小さな小さな阿弥陀堂を建てることにしたのです
母が生前よく裏庭の椅子に腰かけて庭に咲く花を眺めたり
夕涼みをしていた
そんな場所がいいと思ったのです




私が年老いてお出かけも難しくなったとき
この小さな小さな阿弥陀堂の前でひと休みして
母と思い出を語ることができたらどんなに心休まることでしょう
母のこと沢山たくさん思い出したいもの
今朝は改めて我が家の小さな小さな阿弥陀堂を写してみました

線香を炊くと野の仏様ではそれはそれはいい香りなのです
いつも我が家の小さな裏庭に咲く花をお供えすることにしているのです
小さな裏庭では いま黄梅や水仙 クリスマスローズが咲いています