花守

四季の花はそれぞれやさしく咲きこころなごみます
折々に咲く花を守りこころかすめる思い出など綴ってみたいです

お盆だから

2018年08月11日 12時57分52秒 | 母を想う

今日の産経新聞「朝の詩」に
“逢いて”という詩が掲載されていました

  お盆だからちょっとでもいいから
  お母さんに逢いたい
  逢えば喧嘩するかも 喧嘩してもいいから逢いたい
という意味でかかれていました

もしお盆だから逢えるのなら
お母さん
私も是非ともあなたに逢いたいです

もう30年も逢っていないけど私のこときっと全部全部覚えて貰っている筈です
ちょっとでもとは言わないで
是非とも何日も滞在して欲しいのです
あなたに逝かれた当初はそれが受け入れられないで当分は
あなたが二階のあなたの部屋に居るのだと
おもうことでこころの安らぎがあったものです
あなたが好きだった花を9か所に活けて
出かけるときは直ぐに座れるように仏壇の前に座布団を置き
玄関にはお洒落だったあなたの大好きだった草履を揃えて
いろいろと喜んで褒めて貰えるようなことを考えていたものです
もし逢えたなら勿体なくて喧嘩なんかできないと思うのです
私もしかしたらあなたと別れたときから成長していないのかも
洋服だってあの頃のものを着ています
お茶のときに着る和服だってあなたに誂えて貰ったものを
今でも着ています
でも熱心に導かれた茶道傳物の点前なら大丈夫です
あの頃以上にできるかも

逢っていない30年間のこと何から話せばいいかしら
きっと何日も何日も話すことでしょう
そして
これからの私の老後のこと相談にのっていただけるかしら
私の命が終える頃のこと
あなたはやさしく道案内してくださるかしら




小エビ草咲き始めました
昨年根元から伐っておいたので少し遅い開花です

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神様の杖

2018年07月06日 09時55分03秒 | 母を想う

我が家の裏庭は道路に面したところは石崖となっていて
大人がちょっと腰かけて一休みするには丁度良い花影の場所なんです
ある日その石崖のところにおばあさまが腰かけて一休みされておられました
私の顔をみてにこにこしながら言われたのです
「ちょっと一休みさせてくださいね」
石崖に腰をおろして
杖にもたれかかっておられたのです

暫くして其処に行ってみると笑顔の可愛いおばあさまの姿はもう見られなくて
杖だけが残されていました
私は辺りを見渡しましたがどこにもおばあさまの姿は見えないのです
ふと想ったのです
あれは神様だったのかも知れない
神様がこの家の住人をみに来られたのだと
私は主人に言ったのです
「これは神様の杖」だと
神様の杖はあれからずっと長く車庫に置かれていました

先日主人が使っている杖の先端が傷んできたので
私は云ったのです
「新しく買い求めるまで 神様の杖を使わしてもらいましょうよ」
すると主人は聞くのです
「神様の杖?」
主人はもうあの時のことを忘れているのだねと思いました
そして私の差し出す神様の杖を見て主人は言ったのです
「これはおばあちゃん(私の母のこと)の杖だ」

私のこころが動揺するではありませんか
では何年も前のあの時に私が神様とおもった
笑顔の可愛いおばあさまは私の母だったのかしら




琉球月見草かよわそうですがまだまだ花を咲かせています
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光をあててみました

2018年05月27日 09時20分36秒 | 母を想う

光をあててみました
随分以前のことです
私が東京に出張した際に母にお土産と思って買ったものです
きっと銀座和光で求めたと思います
クリスタルベルです
振るとなんともいえない優しくて静かで軽やかな音色がするのです
もしも母の動作が難しくなって私を呼びたいとき
このクリスタルベルを振ればいいとおもったのです
このほかに銀製の茶こしともう一点思い出せないのですがお土産に買ったのです
このとき私は銀座和光ではじめてお買い物をしたのですがお買い物品を包装して
渡して下さる時
どこからか男性が近付いて来られてその荷物を受け取って私を案内して
階下まで見送ってくださったのです
都会の令夫人ならともかくも田舎の女性にご丁寧なことと驚いたものです

でも綺麗な音色のクリスタルベルを
母はお気に入りで遊び心では振っていましたが
私が思う本来の意味で私を呼ぶことは一度もなく
母は逝ってしまったです

LEDデスプレイライトを当ててみました
この光 母に届いたかしら






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もう直ぐ

2018年04月28日 10時58分50秒 | 母を想う
暖かくなったので狭い我が家の庭も草取りが出来るようになりました
不思議なもので少しだけきれいになると用もないのに何度でも裏庭に
出たくなるのです
今朝は浜梨(ハマナス)のつぼみが色ついていました
やがて咲くでしょう
何もお世話しなくてもハマナスは毎年静かに新しい芽を出すのです




キンシバイも可愛いつぼみをみせています
キンシバイの木が身の危険を感じたのか今年は周囲に何本も
新しい木を成長させています




下野がか弱く小さな蕾を抱いています やがてたくさん花を咲かせます
そういえば下野によく似た京かの子が今年は芽を出さないのです
また消えてしまったのかしら




静かな朝です
もう30年も昔の事です
母を亡くして寂しさのあまり母が普段よく椅子に座って庭を眺めていた
この場所に小さな小さな阿弥陀堂を建てたのです
椅子に座って庭をながめていると30年なんてどうしようもなく
早く過ぎてしまったものと思ってしまいます
そして母も今日のような爽やかな風をきっと心地よいと感じていたでしょう
沢山の愛を今ではとても感謝しています
でも私はまだ母の事を語る時涙が出てしまうのです
もうすぐ ”母の日”です



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旅の終わりに

2018年02月11日 11時39分24秒 | 母を想う
母は旅を愛していたなと折に触れ思い出します
旅行から帰ると出発から順序を追って鮮明にしかも何度でも
繰り返して旅の記憶を話してくれていました

いつかは長寿で有名だった泉種千代さんのお住まいを訪れて
お酒を酌んでいただいたそうです
そして帰りに“旅の傘”をもって帰ってきました
そして私に云うのです その傘に「何か書いて欲しい」と
その時には平素から室生犀星の詩を好んでいた母のために
詩の一節
  「ふるさとはと遠きにありておもふもの」と書きましたら
母は殊の外の喜びようでした

その次に旅行から“旅の傘”を持って帰ったときに
母のために書いた言葉は
  「人間盛りは105歳」 でした
それは当時清水寺の貫主で長寿の記録保持者だった大西良慶の言葉です
母の長寿を願って私はこころを込めて書いたのです
でも母は78歳でこの世の旅を終えてしまいました
母を亡くして30年になりますがいまでもその旅の傘を私は玄関に飾っています
母から与えられた多くの恩愛にいつも感謝の気持ちでいることができますから




寒さの中でことしも侘助よく咲いています
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