台風9号は通過したようです
合歓の花が何時もと変わらず咲いています
昭和20年8月9日は私にとっては忘れられない日です
8月6日にあの原爆にあった母が帰ってきた日なのです
広島を襲った空襲では私の疎開先でも終日あのきのこ雲をみたのです
村人は新型爆弾が落ちて広島の街は壊滅と不安を語り
疎開先の祖父や叔父叔母も母を探しに行く手立てを話しあっていたのです
ところが8月9日母は自力で私たちの元に帰ってきました
言いようのない喜びでした
そして母は見知らぬ人から受けたご親切をかたってくれたのです
8月6日母は原爆で燃えている火の海の街中を必死で逃げて
街から遠い見知らぬ一軒の家を訪ねたのです
母はその家で大変ご親切にして頂いたのです
地獄に仏とはまさにこんなことを言うのでしょう
普段着の着物で逃げ惑う中
空からはコールタールの様なものがたくさん降って
頭の髪もきものも(あれが黒い雨だったのでしょうか)ぐっしょりと濡れて
でも見知らぬ一軒のお家の方はそんなに汚れた母を招き入れて
お風呂に入らせて着替えを提供して
食事を与えて
その上“いかほどあれば目的とするところに行けますか”
そして”多すぎても失礼に当たりますから“と言われて
母を送り出して頂いたのです
見知らぬ人に戦争中の不自由な時代にこれ以上のご親切がありましょうか
それでも母は昔の人です
まず父の実家に挨拶に行かなければとおもったそうです
父が戦死しているので父の実家ではどんなにか悲しいであろうと
のおもいだったのでしょう
8月9日に漸く母の実家である私たちの疎開先にたどり着いたのです
8月6日にあの原爆にあった母が帰ってきた日なのです
広島を襲った空襲では私の疎開先でも終日あのきのこ雲をみたのです
村人は新型爆弾が落ちて広島の街は壊滅と不安を語り
疎開先の祖父や叔父叔母も母を探しに行く手立てを話しあっていたのです
ところが8月9日母は自力で私たちの元に帰ってきました
言いようのない喜びでした
そして母は見知らぬ人から受けたご親切をかたってくれたのです
8月6日母は原爆で燃えている火の海の街中を必死で逃げて
街から遠い見知らぬ一軒の家を訪ねたのです
母はその家で大変ご親切にして頂いたのです
地獄に仏とはまさにこんなことを言うのでしょう
普段着の着物で逃げ惑う中
空からはコールタールの様なものがたくさん降って
頭の髪もきものも(あれが黒い雨だったのでしょうか)ぐっしょりと濡れて
でも見知らぬ一軒のお家の方はそんなに汚れた母を招き入れて
お風呂に入らせて着替えを提供して
食事を与えて
その上“いかほどあれば目的とするところに行けますか”
そして”多すぎても失礼に当たりますから“と言われて
母を送り出して頂いたのです
見知らぬ人に戦争中の不自由な時代にこれ以上のご親切がありましょうか
それでも母は昔の人です
まず父の実家に挨拶に行かなければとおもったそうです
父が戦死しているので父の実家ではどんなにか悲しいであろうと
のおもいだったのでしょう
8月9日に漸く母の実家である私たちの疎開先にたどり着いたのです
お母さま、ご無事でよかったですね。
あのような時代に、ご親切な方にお会いして助かりましたね。
今日は長崎の平和記念式典、平和の鐘を聞きながら黙とうを捧げました。
広島、長崎と訪れましたので、原爆の悲惨さは胸の奥深くに刻まれています。
合歓の花が、犠牲になられた皆さまの魂を慰めているような気がいたします。
罪科の無い者を、一瞬にして命を奪い終生心に傷を負わせます。
無事を喜びながらも、知らずに後遺症に苦しめられ生きていく。
わたくしには、その方たちに代わることは出来ませ
んが、差し伸べた手を振り払うことだけはしたくあ
りません。
今、枇杷葉で助かるならとの想いも、同じなのかもしれません。
枇杷葉は、生命の再生です。
無事にご主人のご実家に挨拶されて、fuyouさんの疎開先のご実家にも
辿り着かれたとのこと、お母様の運の良さと力強さを感じました。
再開出来て良かったですね。
>母は見知らぬ人から受けたご親切をかたってくれたのです
涙をのみ込みながら拝見させて頂きました。
きっと、お母様に人徳がおありになられたからこそ!その様な良い方に出会われたのだと思います。
>まず父の実家に挨拶に行かなければとおもったそうです
ここで、お母様の素晴らしさがわかります。亡きお父様もお母さまを守ってくださったのでは?
私ども戦後生まれは、ご苦労した方々のご恩を忘れてはいけないと思うのです。
fuyouさん、お母様のお話、わたくしも決して忘れないで心に留めて置きます。
あんなにも戦時中の厳しい時代によくぞみしらぬ母に
心からのご親切を賜りましたこと
まことにほとけさまのようです
無事で帰ってくれましたことその方のお蔭です
私どもも広島も長崎も原爆記念日には黙とうを必ず
平和を祈願いたします
こんばんは
戦争はしてはなりませんね そう思います
罪科のない者どうして殺し合うことできるでしょう
そう 後遺症には苦しめられますね
そんな思いで枇杷葉は、生命の再生であるとみなさまにお知らせしておられるのですね
平和でありつづけるよう祈ります
こんばんは
ほんとうに戦時中の厳しい世の中であんなにもご親切にありがたくて
私も生きているうちに社会に御恩返しをしなければならないです
母としては
あの戦禍の中運がよいですね
私たちを育てなければと硬くおもっていたことでしょう
きっと守られていたのですね 御加護ですね
感謝いたします
こんばんは
ほんとうにあんな戦禍の中でのめぐり合わせに
心から感謝でございます
母は原爆であちこちから火の手が回る広島の街をはだしでかけ逃げたのです
途中”おばちゃん”と言って5歳くらいの坊やがついて走っていたそうですが見失って
若い女性が着ている衣服に火が付くので脱いでは走っていくうちに本当の素っ裸になられたそうですがその女性も見えなくなって
途中在郷軍人のような方が両手を広げて
元気なものは逃げてはいけない けが人を助けなくてはいけないと叫んでおられたそうですが
走っているひとはみな無表情で
道路の直ぐ傍で火が燃えていたそうです
母も市内の地理がよく解かっていたのではないでしょう
想像するに地獄のようななかをひたすら走って
もしも反対方向に走ったなら助からなかったのかも
しれないです
私はすべて御加護だと思っているのです
護っていただいたのだと ただ感謝です