vagabond の 徒然なるままに in ネリヤカナヤ

エメラルドグリーンの海,溢れる太陽の光,緑の森に包まれた奄美大島から,乾いた心を瘉す写真をお届けします。

チョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団 マーラー交響曲第3番を聴いて

2005-01-09 22:39:16 | 音楽
昨日は,文京シビックホールで,チョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団のマーラー交響曲第3番を聴いた。
ミュンフンはいつもながらの彼らしい熱い指揮ぶり。オケも,彼の指揮にグイグイと引っ張られ,これが東フィルかと見違えるような,気迫のこもった演奏で,弦楽器の音色も楽章ごと,場面ごとに微妙な色づけがされており,全体としてはなかなか素晴らしい演奏であった。また,第3楽章はポストホルンが大活躍で,こちらも大自然の爽やかさを見事に演じていた。さらに,東京レディースコーラス(「東京オペラシンガーズ」の女声部門で構成された合唱団)のコーラスは,澄み渡りながらも,厚みがあり,しかも均整がとれたもので,私にとって今回の最大の収穫の一つであった。
快晴の休日,マーラーが描いた自然賛歌の名曲を存分に堪能することができた。

と,ここでレビューを終わってもよいのだが,やはり鑑賞中に心の中でウズウズと蠢いたものを書き出さすにはいられないのが,私の性分。
それは,ミュンフンに是非欧米の一流オケの音楽監督等に就任して欲しい,それもできるだけ早く,ということである。

ミュンフンは,1994年にパリ・オペラ座バスティーユの音楽監督を解任されて以降,一流オケとの関係では,「放浪の指揮者」の状態である。
最近のディスコグラフィにも非常に寂しいものがある。特に録音嫌いという風評を聴かないにもかかわらず,である。
私は,1993年に,バスティーユでミュンフン指揮のベルリオーズ「ベンベヌート・チェルリーニ」を聴いたが,マイナーな演目ながら,超名演で,パリの観衆も大興奮し,スタンディングオベーションしかねない勢いであった。そのころは,ミュンフンは,ラトル,サロネンらと並ぶ若手有望株といわれており,私も,大いに期待したものであった。
しかし,バスティーユを解任されて以後,申し訳ないが,「失速」したとしか思えない。
確かに,東フィルは,ミュンフンの下,大成長を遂げていると思う。しかし,昨日の演奏でも,弦楽器の微妙な濁り,管楽器の高音域でのトチり,大音響になったときの楽器同士の音の混ざり(これは多分にホールの音響の悪さも寄与しているとは思うが…)等,例えばN響と比べても相当技術的な課題を抱えている気がする。
ミュンフンが,歴史に名を残す指揮者となるためには,「放浪の指揮者」から早く脱出を図り,欧米でのキャリアをより強固なものとしつつ,できる範囲で東フィルとの蜜月も続けて欲しい。その方が,彼自身のためにも,そして東フィルや多くの日本のファンのためにもなると思うのは,私だけだろうか?
フィラデルフィア管,ロンドン響,シカゴ響etc.どこでもよいから,是非,ポストを得るための活動をしてみては,そう思わずにはいられないのである。

そして,もう一つの注文。それは,得意曲・分野を早く築いて欲しいということ。
名指揮者は,必ず十八番をもっているが,ミュンフンには,まだないような気がする。
昨年5月には1番を,今年1月に3番を,3月には4番を,来年2月には9番を振るなど,ここのことろミュンフンは集中的にマーラーを取り上げているようである。確かに,ミュンフンのドラマティックな音楽作りは,マーラーの交響曲に向いているような気がする。それならばそれで良い。若干の荒削りな部分を感じるその指揮振りに,繊細な部分を鍛錬し,是非,バーンスタイン,テンシュテットの跡を継ぐ,マーラー振りに成長して欲しい。
今のレパートリーと,それぞれの曲の完成度を考えると,まだ指揮者自身がどこを目指すのか決めきっていないような気がするのである。
若手といわれたミュンフンも今年で52歳。60歳までには,例えばマーラー全集を出すことを目標として欲しいものである。

と,批判めいたことを書き連ねたが,ミュンフンに期待すればこその苦言である。是非,今後の活躍を期待するとともに,その指揮振りに近いうちに再度接することを熱望する。
また,かなりの偏見に基づいたレビューなので,批判,反論等,ご意見お待ちしております。
最後に一言。でも,とても興奮し,感動したことは間違いないのですよ。音楽性が高いと思うからこそ,厳しいことも言いたくなるのです...

(注)最近は「ミョンフン」とも表記する模様ですが,昔から「ミュンフン」と呼んできたので,そちらに従いました。「グレゴール・ザムザ」か「グレーゴル・ザムザ」かを思い出してしまいました...