鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

帰宅

2014年09月11日 | 日記
彼は不適切な相手とのおつきあいが発覚し、その人と話をつける
べく、それまでは別居生活をすることにした。

が、朝昼晩とほとんど毎日電話してきていたので、別居感あまりなし。

基本、家にいるときもほとんど家庭内別居状態だったってことだと
今さらながら納得してしまった。

ただ、頻繁にかかる電話に娘が出ることはほとんどなかった。


相手の人の話は一切遮断した。

結果だけでいいって。

あ~だ、こ~だ言われても、嫌なイメージが増幅するだけだ。


きっと、私がこれだけこだわるのは相手の人が私とは真逆の
タイプだからだろう。

私は、きっぱり、はっきり、するタイプだけど
相手の人は、ほんわか、ゆったり、したタイプだった。

ちょっとしか、電話していなかったけどそんな気がした。

きっと彼が言うように、優しい人なんだろう。

でも同時に、私にもきっとあったはずの多少の優しさを
発揮できる余裕を与えなかったのは、他ならぬ彼だろうに…
と思うと、やっぱり納得いかなかった。


相手の人が何を思うのか…。

想像しても、しょうがないのに想像しながら当日を迎えた。

責めたり、罵倒するだけだったら、わざわざ高い交通費使って
来たりしないよなぁ…って。

それから先は、彼とその人の決断なんだろうけど、もし、やっぱり
その人がいいって言われたら、私ってどうするんだろうなぁ…とか。

妻子在りってわかってから、付き合いを続けるなら、きっと訴える
こともできるんだろうなぁ…とか。


煩悩はつきないわけだ。


当日、わざわざこれから行ってくるって電話が来た。

しかも、途中経過に

「上手くいっている。」とか。

だから、結果だけでいいって~~~。

でも、刺される心配はないようだ。

彼は最初から、そんな心配してなかったけど。


それからとうとう、私が帰宅するまで何の連絡もなし。

終わったら、終わったぐらい連絡寄こせよ…と思いつつ、
藪蛇にならぬように、黙って帰宅。

すると、何事もなかったかのように彼が家にいた。

娘がいつものように出迎えてくれると、その後ろからお茶を片手に

「おかえり~。」ってぼーっと現れた。

すっかり、家着に着替えているので、既視感が半端ない。

当たり前だけど、何事もなかったかのようなそのたたずまい。

なんか、ものすごいスピードで日常が戻ってきた感じがして
めまいがしそうだった。

この1週間なんだったんだろう…って。


一応、彼の話を聞くと

「ファミレスでお茶して、パスタ食べた。」だけ。

「いやいや、他にも言うことあるでしょ。」と言うと

「友達として…って言われたけど、断った。」って。


いや…やっぱり、それだけ執着があったんだろうなぁ…と
思いつつも、熨斗つけて差し上げられたらどんなに楽なんだろう
ってちょっと思った。

取りあえず、彼は自宅に、そして私の生活にも日常が戻った。

が、まだまだ波乱万丈は続くのであった。


保留

2014年09月10日 | 日記
電話するなと言われて、半日電話をかけてくるのを我慢した
彼は、私から電話を掛けたことで、許されたと思ったのか
再度、どうでもいいことで家電にかけてきた。

もう、実母もあきれ返り、電話が鳴ってもでることもなく
さっさと私が取っていた。

昨晩言い出した東京行は義両親の「援助なし宣言」で
一晩で水の泡と化していた。

あとは取りあえず、相手が来るっていうので、一度きちんと謝るべき
ということは進言した。

土下座でもすれば~って。

ただし、刺されたりしないでよ(警察事はごめん)って。

あと、身銭切って向こうがくるなら、せめて交通費くらい払えば
と言うと、義両親が出してくれるってことになったらしい。

最初私に、貸してくれる?っていうので、断固拒否しておいた。

本来なら、交通費だけじゃなく、慰謝料なり迷惑料を払うべきだ
とも思うが、それを私の財布から払ういわれはないだろう。

彼が持っているわけがないので、いつもの通り借りるという名目で
義両親負担だ。

ほんと、情けない。


結果、会うことで、また付き合いが復活するのであれば、それはそれ。

ただし、きちんとけじめがつけられないのであれば、私たちの
住む家には帰ってこなくてよしとした。

きちんと別れるのは当たり前で、尚且つ、私たちの家に帰ってくる
覚悟があれば、もどってよしとした。

私たちの家に帰ってくる覚悟とは、もう二度と同じ過ちを起こさないこと。

私たちの信用をマイナスからでも取り戻せるよう日々努力精進すること。

それを全うする覚悟があればということとした。

何より、彼に家に戻りたいっていう決意があればと。


苦渋の選択である。

本当に、苦く、本当に、苦しい選択である。


でも、彼をまともにするためには、まず仕事をして稼ぐってことが
何よりも重要だと思ったから。

仕事もせずに、家で腐っていたからこそ、ネットに虚像を作り上げ
挙句、その虚像に踊らされるようにいけないことを繰り返したって
側面もあるんだと思ったから。

もちろん、彼の精神的な弱さもあるし、ある意味病気のせいでもあるのだ
ろうし。

それでも、彼の仕事をするための努力は認めてあげたいって思ったから。

もし、一定期間仕事をしてみて、もうちょっとまともになってからでも
結論を出すのはいいのかもしれない…って思ったから。

このタイミングで仕事に行けるようになったっていうのは、何かの啓示
だと思うことにした。

ある意味、本当に最後のチャンスだと思った。


家に戻るのは、相手の人ときちんとけじめをつけた以降とし、1週間ほど
実家暮らしとなった。

この間で、彼の決意を確かめたかったし、娘にも彼のいない生活を感じて
欲しかった。

この騒動のあらましをきっと娘は知っている。

歳のわりに、ドラマばっかり見ている分その辺の察しがいい。

そもそも、親ばかではあるが、聡い子なのだ。

この間、彼がいないことでさみしいとか不安とか感じてくれていたら
ここ最近の彼への拒否反応が多少収まるかも…とか。

この10年父親らしいこともほとんどせず、私の苦労を一番間近で見ていた
娘は、反抗期時期と重なり、私も引くくらい彼に当たっていた。

それが、また私の口調とそっくりで…彼を一層追い込んでいた。

最初の日だけ、娘は寝るときに彼のいつも寝ているあたりをじっと見ていた。

口には出さなかったけど、きっとその時だけ彼の不在を感じていたんだろう。

だって、日頃からその時にしか目にしないことが多かったから。

あとは、二人でご飯を食べ、テレビを見て、寝て、夏休みの宿題をして。

正直なんらいつもと変わりのない生活だった。

娘が、ハグを要求する回数だけはいつもよりも多かった気がするが…。





悋気

2014年09月09日 | 日記
夜かなり酔っぱらっていたので、と言っても、飲んだのは
350MLのビール1缶だけなんだけど、彼を罵倒の上に罵倒し
電話を切った。

どうしてそう甘ちゃんなんだ!って。

相手の人のことを、好きだったって言ってみたり、優しかったって
言ってみたり…。

どうして、そういうことを言っても私が許すって思ってるんだって。

どんだけ、私をバカにしてんの?って。

どんだけ、甘えてんの?って。


理由は簡単だ。

私の中にどす黒い悋気の塊があったから。

悋気…つまり、嫉妬だ。ジェラシーだ。

ことさら、相手の人に丁寧に且つ冷静に話をしたのも
そのどす黒い塊に飲み込まれないようにと必死だったからだ。

ちょっとでも、気を許したらその塊は増殖して、毒をまき散らし
表にでようとするだろう。

みっともないからとかじゃなく、そんな感情を表にしたら
きっと自分で自分を持て余してしまう…できるだけそういうダメージは
最小限にしたかった。

プライドとかとも、ちょっと違う気がする。

たぶん、違う気がするんだけどなぁ…。

私たちが言い争っているのは、すでに実母にも娘にも知れてしまい
私が一人でいられるように、そっとしておいてくれた。

寝るときだけ、娘が痛いくらいにふっついてきて、寝ずらかったけど。


翌朝、一人で朝風呂に入りながら考えた。

さてさて、この先どうしたものか…と。

休み明けに、彼を実家に迎えに行かないのは決定したことにした。

しかし、A就労で働きだす日はそう遠くない。

それをすべて棒に振らせて、断固家に入れないって手もあるか…
とも考えた。

が、それはそれで激しく後悔しそうで…。


彼がいない人生を考えてみた。

きっと、私はそれでも毎日仕事して、家事して、育児して。

娘とそれなりに笑って、生きていくだろう。

娘が独り立ちして、一人になっても、それなりに生きていくだろう。

心配事は減るだろう。

下手な出費だって減るかもしれない。

でも、大きな穴が心に開くな…って思った。

それは、彼に対する思いだけじゃなく、自分が今までやってきたことが
徒労に終わったという喪失感とか、絶望感とか。

それに、やっぱり寂寥感もあるな…とか。


おかしなものだ。

彼といたほうが、将来の不安が大きいような気がしていたが
いざ、独りになると思うと、ことのほか不安が大きい。


どっちにしろ、なるようになる!と思いつつも、やっぱり泣けた。

昨日の夜に流した涙はやっぱり悔しかったから。

今日の朝に流した涙はへんに達成感があった。

我ながら、よくやったよ…って。

よく、頑張ったよ…って。

もう、充分だよ…って。


もう電話するな!って啖呵を切ったからだろう、彼からの電話は
鳴らなかった。


午前中には、来客などもあり、ばたばたとしていた。

もはや、どこかに出かける気力はなく、ただひたすらに娘とべたべた
しながら、ごろごろしていた。

午後になって、昼寝から起き、私から彼に電話した。

彼は憔悴しきっていた。

私に罵倒された上に、義両親にも素直に告白したらしくえらく
怒られたそうだ。

義父には、泣かれ、

義母には、はたかれたって。

「俺はもう、誰にも顔向けできないよ…。」って。

まっ、自業自得なんだけど~~~。

ところが、こっからスーパー甘ちゃん節炸裂。

「俺、みんなに怒られて、もう居場所がないみたいだから

 一人で東京に行こうと思う。」

って言い出した。

はっ~あ?である。

「一人で東京行ってどうすんの?」と聞くと

「一人でアパート借りて、仕事探す。」

「もう、これ以上怒られてビクビクしながら生活するのやだ。」

だって。

もうね、どういう思考してんだろうって。

悪いことしました、みんなにおこられました、だから逃げます。

って40歳過ぎた大人の言うことか???


ただし、昨日の私と違って、怒鳴ったりはしない。

「そっか、そういう人生もありだね。

 それは、相手の人と一緒に生きていくってことなのかしら?」

と聞いてみた。

相手の人は関東近辺在住者だから。

「ううん、違う。一人でやってく。」

嘘か本当かわからない。

でも、そこはあえて突っ込まず

「そっか、東京に行くっていうなら、こっちはこっちでちゃんとけじめ

 つけてから行ってね。」

と言う。

「けじめって?」

と言うので、

「一緒に住まないなら、もう面倒はみれないでしょ。

 離れて心配し続けているのは耐えられないからさ、けじめつけよ。」

「別れるってこと?」

おいおい、この期に及んで、そういう想定してないわけ?
ってあきれてしまう。

「○○(娘)に会わせてくれる?」と聞くので

「養育費払えないでしょ。養育費払えない人は面会権もなくね。」

と答えてみた。

もうこっから先は、何が何だか…。

でも、ずーっと怒らないようにして淡々と話をした。

どす黒い塊は、昨日と今朝の涙でちょっとだけ浄化れたらしかった。


「どうして今日は、そうやって話してくれるの?」と彼が聞いてきた。

つまり、昨日みたいに激怒しながら、罵倒しないの?ってことか。

「ちゃんと約束守って、電話してこなかったからちょっと休めたし。

 人間、落ち着いて考えないと、口から先に文句ができるよ。

 それにね、朝ちょっと泣いたんだ。

 なんか、一人でやっとちゃんと泣けたんだ。

 だから、ちょっと落ち着いた。」

と素直に言ってみた。


彼は、意外だったのか

「ごめんね…。」って小さい声で謝った。






未練

2014年09月08日 | 日記
すいません、長々と回想録が続いています。

書きながら、1つ1つ整理している感じです。

で、結局どうなったん?さっさっと書けや!
て思っていらっしゃる方もいるやもしれませんが…
すいません、もうちょい続きます。



お盆休み、彼の実家で、彼と義両親と義兄一家と
2日を過ごし、自分の実家に移動した。

実はこの休み前、人の世話ばっかりやいていて、自分の
携帯を持ってくるのを忘れた。

娘には、「宿題ちゃんと持ってて~。」とか

彼には、「薬忘れないで~。」とか。

今考えれば、きっとそう言いながらもどっか壊れていたんだろう
と思う。

この休みまでは…って思いながらの毎日だったから。

車で30分以上走ったときに、気が付いたのだが高速に入ったことも
あり、

「まっ、携帯なくても生きていけるわ~。」

と諦めてしまった。

彼なら、絶対戻ってたと思うけど。

でも、実家に戻るころには携帯のない生活に慣れてしまってて。

会社からかかることはそうそうないし、電話をくれる娘や彼とも
ほとんど一緒だったし、自分の友達とも約束なんかできてないし。

だた、実家に戻ってから、彼からの電話を受けないで済むのは
ちょっといいかも…なんて思いながら、実家への道中考えていた。

が、そんなん思いっきり甘かった。

実家に着くと、いきなり実家の家電に彼から電話が入っていた。

これは今日2本目だと実母に言われた。

家に着いて、早々になんだよ…と思いながら、電話を代わる。

「もしもし、どうした~?」

と、なるたけ鷹揚に聞こえるように話し出す。

「ちゃんと着いたかなって思って。」とか、どうでもいい感じの話。

そのあと、あ~だこ~だ話して、ちゃっちゃと電話を切った。

なんか、歯切れ悪かったかも…って切ったとに思ったような気も。

なぜなら、そのすぐ後にまた電話があって、今度は

「向こうから電話がきた。」って言い出した。

向こうとは、彼が身分を偽り、長く付き合いを重ねて、それが
もとで口論になり、自殺未遂をしたうえに、つきあいを止めたといいつつ
復活させ、先日とうとう私と直接対決した人のことを言う。

確かに、電話を切るときに、また話したいといわれたが、彼がLINEを
消してしまい、連絡さえ取れないのだといわれていた。

もちろん、何度か直接会っている人のくせにLINEしか知らないってのは
おかしいって思っていたけれど。

向こうから直接電話が来ると思わなかった。

しかも、

「今さら、何なん?」と聞くと

「会いたいから、こっちに来るって言ってる。」って。

「はっ~ぁ?」だった。


独身だって偽っていた彼。

自分の病気をいいように利用し、それでも心配かけていた彼。

私が直接話した後、携帯の不具合を理由にたぶん本当に自分から
一度も謝罪していない彼。


そんな、彼に会いたいからってもう一回こっちに来る???

しかも、交通費使ってだよ!

しかも、泊まりにくるって言ってるって!


その人は彼が無職なことを知っているので、会うときは
わざわざ新幹線代自分で払ってやってきてたらしい。

もちろん、あっちこっち観光させてあげるだけの余裕も
ないし、食事だってファミレスどまりらしい。

そんな男にどんだけ未練?

私が、「家族がこの先どうなるかはわかりませんが」とか
言っちゃったから?

騙されてたんだよ、わかってる?


もう、すべてが私の理解を超えていた。


「何しにくるの?」と一応聞くと

「俺に、会いたいって…。」としゃ~しゃ~と話す彼。


で、しょうね…それはわかっていますよと。

やり直したいとかそういうことなんですかと。

聞いていて、気が遠くなりそうだった。

もうね、怖いよ。

怖い。

ネットで、あれこれ言い合って、精神疾患の病気持ちで無職の男に
しかも嘘までつかれてて、自分だって子供いるのに、それでもそれでも
身銭切ってまで、会いたいってか。


「で、それを相談しているあんたは私にどうして欲しいってか?」

と彼に聞いてみた。

「うん…、どうしよう。」だって。

「会わないって言えばいいじゃん。」

「そう言ったけど、どうしても来るって言うから。」

「来ても、会わなければいいじゃん。」

「う~ん、そうなんだろうけど…もう約束したちゃったし。」

「約束したなら、それ以上どうしてみようもないよね…。」


ほんと、何度も思うけど、こいつはバカだ…って。


「その人と、また付き合いたいってことなん?」と聞くと

「ううん、それはない。」って。


「じゃ、なんで会うの?」って言うと黙る。


たぶん、この辺で、ブチ切れて電話を切ったような気がする。

気がするってのはあんまり覚えていないのだ。

こっちの考えがまとまる前に、またすぐ彼から電話が来て
あ~だこ~だ話して、切って、また来ての繰り返しで。

いい加減、実母も心配し始めるし、娘は私がたびたびいなくなるので
不機嫌だし。

とうとう、夕飯にビールを飲んで、酔いが回ってきたころに来た
電話にブチ切れだ。

「勝手にしれさ!

 その人と継続したいなら、こっちを切ればいいでしょう。

 こっちと継続したいなら、今度こそきれいさっぱり切れてこい。

 それがはっきりするまで、家に帰ってこなくていい。

 この休みが終わっても、迎えになんて行かない。

 自分一人で帰ってこい!

 それから、こっちもゆっくり考えたいから、もう電話しないで!」


もう…10年だよ。

10年、頑張ってこの仕打ちだよ。

貧乏も我慢した。

病気もよくなるようにっていっぱい努力した。

薬だって、睡眠だって、食事だって、よくなる
ように頑張った。

育児も家事も全部一人でやった。

仕事だって、たいして稼げもしないけど働いた。

そうやって、そうやってやっと守ってきた家族の形が
こんなに無残に打ち壊されるのかって…。

酔いも手伝って、ひとりっきりなのをいいことに
久しぶりにしみじみと泣いた。



義姉

2014年09月05日 | 日記
お盆休みの前半戦、ところどころに切れながらも
彼の実家を後にした。

今回珍しく、義兄の奥さんとたくさんお話をした。

彼女は私のより2つ下なんだけど、子供は3人仕事はバリバリ
というスーパーお母さんだ。

なにより、そんなに忙しいのにまったくと言っていいほど
義兄の協力を受けていないのが驚きだ。

出張などは、他県に住む実母に来てもらってこなしている。

義兄は彼と違って仕事はするけど、家事も育児もしない。

しないどころか、家族の輪にはいらない。

率先して動くのは実家にいるときのみ。

我が家では自分の部屋に寝転がり、ご飯もほとんど食べない、
話もしない、ビールばっかり飲んでいるって人らしい。

基本、たぶんいい人なんだけど。

家族を構成する人としては破たんしている。

ある意味、兄弟そろって家族失格者だ。

そして、そんな二人の配偶者の私たちには共通点がある。

基本、強い。

強いからこそ、ぐだぐだな旦那でもやっているし。

強いからこそ、そこそこ生活がわまるし。

強いからこそ、弱音が吐けない。


あと、男を見る目がないってことか…。


プールサイドで、子供たちが遊ぶのをみながら
あ~だ、こ~だと大愚痴大会だった。

兄弟どちらもアルコールを飲むべきでない体質だ。

彼はもちろんのこと、義兄も睡眠障害を抱える。

しかも、義兄の場合、効きが悪いからとビールを飲む。

確かに、眠剤は強く出るだろうが、それってかなりやばい。

しかも、休みの日など、朝から飲んでいるらしい。

睡眠はとれても、依存症になるんじゃねぇ?って
誰でも思う。

しかし、そんな兄弟に義父は当たり前のようにビールをつぐ。

瓶があけば、義母に言ってあたらしい瓶を開ける。

義母も何のためらいもなく持ってくる。

実両親のそういう態度には、心からあきれるばかり…って
話をした。

私もついでもらっちゃうけど。

私の場合、私も1~2杯でいらないというが、彼にも飲むなって
言うし、義父にも彼につがないでって言う。

彼は、不本意でも一応従う。

後でこっそり缶ビールを持って消えることがあっても。

だが、義兄の場合誰も注意しない。

見かねて、私が大丈夫?って聞くくらい。

義姉は何も言わない。

言っても無駄だから、だそうだ。

言うくらいのパワーがあれば、もっと育児や仕事にわますんだ
そうだ。

ある意味、きっぱりしている。

そんな二人だから、家ではほとんど口をきかないらしい。

そしてたまに話せば、喧嘩ばかりだと。

我が家の場合は、話せば、説教ばかりだけど。

子供は、うちの娘よりも1つ上に、1つ下に、まだ未就学児。

お互い、子供が大きくなるにつれ、難しい問題も出てくるって。

我が家の場合は、完全なる反抗期。

彼は娘にあたられまくり。

彼は娘に尊敬してほしいらしいが、どこを?って。

まぁ、娘の前でも怒る私がいけないのだろうが、彼を怒る
娘の口調が私とそっくり。

正直、私よりもきつい時もある。


兄と弟。

どっちが愛想つかされるのが早いんだろう。

どっちにしろ、その親の心配はつきないはずだが
どこ吹く風なのが一番腹立たしい。