鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

事故

2015年04月24日 | 日記
とある俳優さんが亡くなられた。

以前から夫婦でうつ病を患っていらっしゃったって。

今回の事故で躁鬱だったっていう記事もあって。

原因はバイク事故…。

報道直後から過去の事故歴や病名、あとは薬に関する
情報が錯そうしたが、後になって接触した車の情報も
取沙汰されて結構なニュースになってしまっていて…。


もうね、それだけで、病名とバイク好きってだけで
彼とかぶっているって思うだけで、私の涙腺が崩壊する。

完全に弱ってる…。

たぶん3か月以上経って、彼の生活にある程度の目星が
ついて、で、少しずつ自分のことを考え始めたうえに
生理前で不安定なだけだと思うんだけど…。

彼がもし、この先お金溜めてバイクに乗って、同じように
なったらどうしよう???とか。

私が今、考えてもしょうがないのに…。

そんな私を不審に思うのか、娘が抱っこしてくれた。

「しょうがないな~、○○が抱っこしてあげる~。」

って、いつも娘がべったりふっついてくるのとやっていることは
一緒なんだけど。

でも、さりげなく

「大丈夫、大丈夫…。」って

背中をさすってたりして。

別になんで私が不安定なのかは聞いてこない。

本当に気付いているのか、どうかもわからない。

でも、救われる。

あんなに小さかった娘がこんなに大きくなった。

ここまで娘を育てのは、たぶん私。

(勝手に育った感はものすごくたくさんあるけど…)

だから、大丈夫、きっと大丈夫と自分に言い聞かせる。

そんな風に1日を過ごしたせいか、朝方珍しく彼の夢を見た。

普通にリビングのテレビの前に座っていた。

「どうやって入ったの?」と聞くと

「普通に、鍵開けて入った。」って。

如何にも当然って顔で、本当に普通にそこにいた。

夢だから、潜在意識で気になっていることが再現されるのだろう。

家の鍵は彼も、元義両親も未だに持っている。

それが気になっていて、ドアのカギを付け替えようか考えていたりもして。

彼に至ってはさすがに、不法侵入なんてことはないだろうし
別に入っても持って行かれるものはない。

でも、元義両親の場合は???もちろん、勝手に入るなんてこと
ないとは思うけど、こっちの大学病院に来たついで娘の帰りを駐車場で
待つとか、娘の好きなものを買って置いていくとか…。

そんな可能性がまったくないとは言い切れない。

なにせ、あの状態で

「今まで何ら変わりのない付き合いをしてほしい。」

って言えちゃうような人間性だから…。

朝起きても、まだドヨドヨしていて、娘を送り出してから
彼から電話が来た。

第一声に

「どうした?なんかあったっ!」

って出てしまう。

なんでだろう…どうしても、まだそういう心配が抜けない。

彼はきっと、テレビも持っていないからニュースのことは知らなくて
単にバスの待ち合わせの時間を持て余して電話してきたらしい。

で、以前から聞いていたんだけど、今聖書の勉強をしているって。

最初は、へんな宗教にはまったか???

って思ったんだけど、そうでもないらしい。

精神病を聖書で読み解くってのか、自分を許すことに役立つらしい。

しかも知り合いがたくさんできて、すごく楽しいらしい。

だから、こっちのことは心配いらないよってことらしい。

それは、ちょっとした強がりも入っているはずだろうが、声の調子から
してそんなに状態が悪いようにも思えない。

本当にきっと、一番しんどい時期は抜けたんだろう。

こっちの方が、不安定で申し訳ないくらい。

早々に電話を切って、会社に来てまたちょっとネットを見る。

すると、亡くなられた俳優さんの奥様のコメントが出ていた。

「楽になった。」って。

(アドレスを引用しようと思ったら、既に探せない…)

ご本人が楽になったのか、奥様が楽になったのか…。

それともどちらともなのか…。

だとしても、責めることはできないだろうなぁ…と。

きっと、この手の病気になじみのない人は批判するのだろう
けれど…。

ダメだ、なんかいろんなところに反応していまい、涙が出る。

忘却

2015年04月21日 | 日記
彼から久しぶりに電話があった。

「俺の通っていた病院って何だったけ?」

聞かれてびっくりした。

なんで今さら私にそんなこと聞くの?じゃなくて、病院名が
すんなり出てこなかったから…。

「え~っと、○○病院だった…はず。」

ちょっと考えてから答えた。

ほんと、時の流れにびっくりだ。

直近の入院期間も聞かれたけど、今度はまったく出てこない。

人間、忘却の生き物だ…。

必要のないものは、自然淘汰されていく。

忘れてみて初めて、私と彼との関係、そしてそうなった時間の
経過に思い至った。

こうやって徐々に、徐々にそれぞれの道が離れていくんだと
思った。


彼には義理のおばあさんがいて、ちょっとややこしいんだけど
元・義父は自分の兄と養子縁組していて、その兄自体は既に
無くなっているのだけれど、その奥さん(戸籍上は彼のおばあさん)
とずっと同居していた。

数年前に体調を崩し、入院してからはずっと家に戻っていない
のだけれど、その方がどうもいよいよって感じらしい。

そんな話ももう何度目かなので、なるほど…と思うのだが
今までと違って、そうなったときに私と娘はどうするべきかを
考えた。

まぁ、こうなる前も家に行ったら挨拶するくらいで、ほとんどお付き合いも
なかったんだけど、今となっては他人も他人なわけだし…って。

お通夜に出かけて、香典をおいてくるくらいしたほうがいいのか…
とも思って何気に彼に

「うちらどうしたらいい?」と聞いてみた。

「何もしなくていいよ。」って。

一応それでも、何かあった時は教えてくれるように頼んでおいた。

さてさて、どうしたのものか…。

もしこれが、直系のおばあさんだったら…つまり娘のひいおばあさんだったら?

…と、考えたら、えっ、じゃもし元・義両親だったらどうするんだろう???って。

確かに、遺恨はあるけど、私には他人だけど、娘には…って。

う~ん…、たぶん娘に聞いて行くって言われたら私も行くんだろうなぁ。

って、もし娘が行かないって言ったら、行かなくてもいいってことに
私できるかなぁ…って。

まっ、そん時はそん時に考えるけど…。


3か月が経って、やっと自分のことを考えられるようになって。

気が付いたのは、随分と私も傷ついていたってことだったりして。

ぎゅっとこぶしを握るように、心もかたくなになっていたから
当時はなんとか乗り越えてきたけれど、段々と周りのわだかまりを
ひとつひとつほどいていったら、なんだかいたくボロボロだったみたい。

ちょっとした記憶も、鋭利な刃物みたく鮮血を流す。

そっか、あの時私はそれだけ傷ついていたんだ…なんて今頃思ったり
もしてて。

しょうがないから、そっか痛かったね…って自分で傷口をなでてみたり
してて。

そんな風に、ちょっとづつ時を経て、必要じゃないこととかと一緒に
忘れていくのが、いいんだと思うわけだ。


時間しか解決できないこともある。

ちょっとづつ、ちょっとづつオブラートを重ねるように、傷口をふさいで
いけたらいい。

花見

2015年04月13日 | 日記
関東より1週間くらい遅れて、私の住む地方都市でも
お花見のシーズン。

実両親を呼んで、娘と4人でお花見に行ってきた。

娘の好きな実母が作るおいなりさんを頼み、おかずだけ
早起きして私と娘で作る。

娘の好きな、卵焼きと煮卵とから揚げとポテトフライ…。

あとアスパラのベーコン巻は娘が作り、お弁当箱に
全部詰めてくれた。

何気に最近一緒に台所に立つことが増えてきた。

娘の作るレパートリーも増えてきた。

まっ、正直言うとぶつかったり邪魔なことも多いんだけど
娘の将来のためにもここは我慢しないと…。

肌寒かったけど、シートを引いて4人でお花見してお弁当を
食べてきた。

なんか、こう書くと躁鬱だった彼から解放されて良かった、
良かった…的な流れなんだけど…。

私の中にはいろんな感情がうずまいちゃってて…。

去年は彼と娘と3人で同じ場所に来たな…とか、彼が
調子のってビール飲んでたな…とかなら思い出しても別に
嫌じゃないんだけど。

元・義父に言われた

「あの家(私たちの家)に、向こうの親が来て楽しく過ごして

 いると思うと、悔しくて悔しくて~。」

とか、思い出しちゃって…。

言われたって言っても、直接じゃなくて、彼がこんなこと言ってた
っていう伝聞なんだけど。

大体、元・義両親は家のローンを全部自分たちで払ったと思っていて
私たちの住む家は自分たちの物だと思っていた節があり…。

元・義母は

「あの家、燃やしてやる!」

とか言っていたらしく…。

なんか、実両親が家に泊まっているのも、ついつい元・義両親のこと
思い出しちゃって…。

いちいち記憶がよみがえって、ついでにつらかった思いもよみがえ
ちゃって…。

本当は、やっと実両親に気兼ねなく泊まりに来てもらえるって
思っていたんだけど、でもなんかどんどんしんどくなって…。

まだ3か月しか経っていないのだから、記憶が劣化していないのも
無理がないんだけど…。

自分の心の中に、憎悪とか怨念とかドスグロイ感情が渦巻くのが
非常にしんどくて。


今朝、娘に

「なんか、ママ最近また笑わなくなったね。」

って言われた。

ほんの2~3日のことなんだけど。

まぁ、娘の反抗期前夜みたいなあれこれが面倒なせいもあるんだけど。


後遺症みたいなものだろうから、徐々に時間が解決するって
わかっているつもり。

でも、なんの意識もなく、彼から

「おじいちゃん、おばあちゃんが進級おめでとうって

 ○○(娘)に伝えてだって。」

とかLINEで来ると、イラっとするのはもしかしたら一生治らないかも。




誕生日

2015年04月06日 | 日記
彼が家を出て、とうとう3か月経とうとしている。

正直、3か月もつとは思っていなかった。

でも、この間彼は独り住まいをしながら就労支援に応募し
働き始めるに至った。

それに至るまで、きっと履歴書を書いたり、面接したり
こっちにいれば私に頼り切っていたことを一人でやって
のけたのだろう。

病院だって、毎回付き添っていたのに、当初に区役所に行って
自立支援を取り付け、バスに乗って月一で一人で通っている。

自分しか頼れないから…と言ってしまえばそれまでだけど。

じゃ、私や娘に甘えきっていたこの10年はなんだったんだろう。

責めているわけじゃなくて、やればできるじゃんって褒めている
わけで。

そう、私は彼を怒る必要がなくなったことを一番喜んでいるわけで。

あれこれ私が怒ることも、それに彼がびくつくこともなくなったのは
お互いにとってよかったんだろうと思われる。

ちょうど、この3か月目に彼の誕生日がある。

入籍記念日でもあったその日は、今年は全く関係ないかと思ったら
娘が、誕生日プレゼントを贈ると言い出した。

私の実母に、

「たった一人の父親だから、誕生日と父の日は何か送りたい。」

って言っていたらしい。

日曜日彼に送る食料品をあれこれ買い込み、娘は100均で買った
写真立てをデコり、生まれて初めてクッキーを焼いた。

お菓子を作るのが好きで、あれこれ作るのだが、クッキーだけは
娘自身が好きでないので作ったことがなかった。

が、日持ちを考えるとクッキー以外思いつかず…。

ノーマルと、ココア入りと食紅入り…3食で粘土細工のように作ったのが
これ…。



これは焼く前だから焼いたらちょっと崩れてたけど。

ちなみに、私と彼はほとんど同じだが、顔の下まで茶色が
あるほうが私らしい。

で、娘とかっているうさぎ。

親バカかもしれないけれど、上手だな~って。

私一切手伝ってないし。

っていうか、私お菓子作れないし。

それ以上に、あんな散々だった父親に誕生日プレゼントって
生まれて初めての手作りクッキーを送ろうって何時間も一人で
頑張れるって…。

本当に私以上に大人だわ…。

私のせいで、父娘の断絶みたいなのがなくって本当によかった。

大人な娘に感謝、感謝。