鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

方向

2011年03月29日 | 日記
何とか課題はクリアできたものの…相変わらず調子がまったく
あがらない彼…。

ご飯とトイレ、あとは朝のお見送り。

これ以外は布団生活。


本当はご飯だって、見送りだってしたくないに違いない。

でも家族の一員として父親としてできればやってほしいリクエスト
をしたので、なんとか頑張ってやってくれているのだと思う。

それもお義父さんに言わせると、「気を使っている」という
ことになるのだが…。


それと昼にこっそり飲酒生活。

これもまた怪しくなってきた…。

今度発覚したら、マジで実家へ強制帰省させるかも…。


しかし次なるミッションも目白押しである。

1つは町内清掃。

町内で道路わきの側溝の蓋をあけ掃除する日程が決まっている。

当然その町内の人が外に出て作業をするわけだが…。

どうも顔を合わせたくないらしく、参加意識はかなり低い。

しかし私にはその蓋が重すぎて上げられない。

っていうか、一昨年1つ上げたら腰が砕けた経験がある。

全部一人でやった日には間違えなくぎっくりだろう。

もちろん、お義父さんに加勢を頼むとしてもだ…。

作業中また一人で布団かぶって寝ていたら…と考えると正直やるせない。


もう1つは入学式。

卒園式がクリアできたのなら…とも思うが、また違ったプレッシャーが
あるだろう…。


そしてその翌日には彼の誕生日が控えている。

これもものすごいプレッシャー…。

1つ歳をとるだけだが、きっと就職を考えると1つでも若い方がいいと
思い込んでいる彼にとって大きなハンデだろう。

実際によくある募集年齢のちょうど区切りにかかってしまうので
応募することも難しくはなるだろう…。


4月は次から次へとミッションが続く。

そして娘の小学校入学…これも雑事が続き喜んでばかりは
いられない…。


最近、お義父さんを含め家族が見ている方向が違っているように
思うことがある。

彼はただ辛い、辛いというだけで自分の殻に閉じこもり
私はあれこれ気ぜわしく、思うように進まないことにイライラし
娘は小学校に期待と不安で胸をふくらましながら、私に気を使い
お義父さんは自分の役割を見つけられずになす術をなくしている…。


みんな幸せになりたいって思っているだろうに…。

なんだが、何処に向かっているのかわからないことがある。

達成

2011年03月28日 | 日記
なんとか課題をクリアすることができた…。


課題」を書いた日、帰ると彼は美容院に行っていた。

彼はとてもくせ毛が酷く、ここ最近は縮毛強制をしていた。

が、先月時間も料金もかかることからかカットだけにしていた。

で、めったに洗いもしないその頭は1ヶ月にわたりくるくるだった。


もはやブローでどうにかなる状態でもないと思ったのだろう
何とか自力で美容院に行った。

しかし、ずーっとエンジンをかけていなかった彼の車はバッテリーが
あがってしまいお義父さんの車で出かけたらしい。

実に何ヶ月ぶりの運転だったのだろう…。

っていうか、運転してもよかったのだろうか…。


前日、娘は卒園式の予行練習に余念がない。

彼女は比較的低い声で活舌もよく、度胸も据わっているので
お遊戯会でも安定感がある。

だからまったく心配していない。

が、お風呂で二人して

「明日パパは大丈夫なんだろうかぁ~」と二人で心配した。

本来ならここで母親である私が不安を除いてあげることが
必要なんだろうが…。

申し訳ない。私が一番不安なのである。


当日、朝ごはんを食べて薬を飲むとまた横になるという。

前日に見ておくようにいったワイシャツやネクタイも見てある
はずもなく、選びに彼の寝る部屋に行くと自律神経の不調か
今日も顔が赤くむくんでいるようにも見える…。


が、ギリギリの時間で起き出して着替える。

ネクタイが結べないからとお義父さんに結んでもらうくらいは
全然かまわない…。

しかし、徒歩5分の園に歩けない…といって車で送ってもらうのは…。


まぁ、本番に望めるだけでもよしとすべきか…。


式は1時間半くらい。

途中意識が飛ばないようにと、色々話かけながらもなんとか耐える。

娘も名前を呼ばれると大きな声で返事をし、ステージに上がり
何度も練習した一言を堂々と言えた。

もう、親子そろって頑張りました。


式も終わり、一刻も早く返した上げたいので「先に帰っていいよ」と
いうがなんとかその後の友達や先生との写真撮影やらなんやらを
待つ事ができ、3人で家まで徒歩で帰ることができた。


ミッション クリア!


本当に二人とも頑張りました。



課題

2011年03月24日 | 日記
私達には今目の前に迫った課題がある。

娘の卒園式である。

先日の保育園最後のお遊戯会には体調不良で参加できなかった。

それについては娘も彼も無論私も大変傷ついた。(依存

もちろん彼を責めるわけにはいかないことも充分わかってはいる…。


一緒に行った心療内科の受診の際も、できれば一緒に出席したいと
話すと先生もそうできるように…と考慮して薬の調整をして下さった。

そしてそれが彼にとって大きな自信になるだろうからと言われた。

もちろん、調整したといっても彼の体調がよくなったわけではないが…。


昨日帰ると「1日寝ていた…」という。

帰宅後、彼と話をしてから冷蔵庫をあけ夕飯の支度にかかる。


…?

ビールが減っている!


お義父さんに聞くと知らないという。


やっぱり実家で飲んでいたからだろう2缶減っている。


あわてて二階に駆け上がり

「ビール飲んだの?」と強い口調で問いただす。

「眠れなくて…飲んだ」と言う。


「それじゃ~前と一緒じゃない。
 酒に逃げているだけじゃん!」

「酒飲むくらいだったら、薬増やしてもらうから
 これから先生とこ行くよ!」というと

「じゃ~もう飲まない」と背中を向ける。


彼は1度だけ開放病棟に入院している。

その時の理由がうつ状態であることと、アルコールの乱用である。

会社に行くのが辛いからと近くのコンビニでアルコールを飲んでから
出勤したのだ。

無論、飲酒運転だ。

車から出てきた空き缶を突きつけ、

「何これ?どういうつもりなんっ!」と問いただした。

それから心療内科に行き、あれよあれよと言う間に入院が決定した。


これにはへこたれた。

本人は直るんだったら、全然かまわないというが私がダメだった。

とうとうこんなところまできてしまった…と毎日泣いていた。

そして入院することを彼の当時の会社に伝え、解雇通知をつげられた
のも私だった…。


しかし、そんな入院中彼は外出許可が出ると近くのコンビニの店先で
ビールを飲んでいたらしい…。

それを聞いたときのの絶望感といったら…。

いっそ、本気で縁切ってやろうかと考えた。



退院後も飲むことを止められず、帰ると空き缶を転がして
寝呆ける彼を見て何度キレそうになったことか…。

そしてその私の神経を逆撫でしたのは、

「お父さんには何も言えないから…」という義父の言葉だった。


未だにお義父さんは飲むことに関して彼に何も言わない。

私もそれを期待しない。

だから私が言うしかないのだ。


薬にはアルコールを飲むことを控えるように書いてるものもある。

まして感情の不安定な人間が、アルコールを飲んでより不安定に
なることは充分予想がつく。


大きな課題があること自体が彼にプレッシャーになって、
それから逃げたいがための酒なのか、単に辛さから逃げるための酒なのか。

しかし、この課題は酒に逃げているような精神状態では到底クリア
できないのではないか…。


また娘を悲しませる結果になるのかもしれない…。







確信

2011年03月23日 | 日記
私自身の累積した疲れに加え、大震災でのメンタルの変調などを
考えて連休にまた実家に帰ってきた。

私と娘は私の実家へ、彼とお義父さんは彼の実家へ…。

実家で何かをしなければならないという状態から開放されると
いつもはおざなりにしてしまう娘の相手が少しできる。

大震災で家族、特に子供を失った母親も多いことを思うと
ギューっとほほを寄せ合いながら、その暖かさに涙が出てしまう。

「○○はママよりも絶対長生きしてね…」

そう願ってもかなわないことなどは考えたくない。


連休明けの火曜日に彼とお義父さんが帰ってきた。

ここ数日、薬の総量は変わらないが就寝前に飲んでいた抗鬱剤
(デプロメール)を毎食後に移した彼は朝とても調子が悪い。

実家でも布団から起き上がれない生活をしていた。

私の目が届かないせいか、昼からビールを飲んでいたせいも
あるかもしれないが…。

なんかと夕食を一緒に終えた後、早々に薬を飲んで寝てしまった。

娘が手伝って実家で作ったおはぎも何とかせがまれて1つ食べた。


お風呂をあがり、娘と寝室に行くと私達に背を向け彼が寝息を
立てている。

薬のお陰で夜寝れるだけでもまだいいほうだろう。

すると、娘が

「パパお風呂に入れないけど、暖かくて気持ちい~」

と、ぺたりと彼の背中にふっつきそのまま寝てしまった。

いつもは私にぺったりなくせに…。


天の配剤だと思った。

余裕がなく、娘を怒鳴ってばかりいる私。
そして病気で思うにまかせない彼。

そんな二人だからこそ、こんなに出来た娘が遣わされたのだと
思った。

私だけだったら、とっくに投げ出していたかもしれない。


今家族でいられるのは娘のお陰だ。

私は心から確信した。

影響

2011年03月17日 | 日記
今回の災害の影響が身近なところにも出ている。

電池や懐中電灯などが一番最初になくなったのだろうか。

近くのドラッグストアにはカップラーメンをはじめ
お米、パンなどさまざまな商品が売り切れている。

そしてガソリンの販売量も制限があるGSがあるらしい。

計画停電の予定地域でもある。


しかし、冷静に考えれば買い占める必要はないことだと
思う。

その冷静さを持つことが今1番難しいのかもしれないが。


それ以外での影響…。

メンタルが怪しい。

家でも会社でもTVが常に気になる。

気持ちがざわざわ、ざわざわして常に不安感が強い。

別段地震や放射能など対象があっての不安感ではない。

どういったらいいんだろう…。

災害もなく、日常の中にいるのだからもっとできることが
あるんじゃないのか…ちょっと罪悪感に近い感じ…。

寄付とか節電とかというレベルではなく、もっと頑張って
生きないといけないんじゃないか…みたいな。

たくさんの人が亡くなっている。

みんな生きたくていや、生きていくことを大前提として
普通に生きていた人が突然その営みを絶たれた。

であるならば、生きている自分はもっと有意義に今を
生きないといけないんじゃないか…みたいな。



そしてその思いは彼へとも向けられる。

地震発生から家で横になってTVを見続けている彼。

けれど、その彼から何も語られることはない。


彼は今自分のできる範囲で精一杯生きているんだろうか。

今の状態でも家族の一員として、父親としてできることが
あるんじゃないろうか…。

そんな思いがぐるぐるしてしまう…。


責めてはいけないことはわかっている。

充分わかっているのだが、期待して裏切られ傷つく自分がいる。