僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

卓球の柔軟性

2008-12-03 22:40:09 | Weblog
高校生に卓球を教えているが、器用でないものが実に多い。こう打つと決めたら、それ以外の打ち方に変更がきかないのだ。早い打点で打とうとして、タイミングが遅れた場合、打球点を落としてネット際に小さく落とすということが出来ない。
肩を中心に打つ中打はできるが、ひじを中心に打つ軽打が得意ではない。また、腰を回転させてふり幅を大きくする強打も上手ではない。
また、直線的に打つミートうちはそこそこできるが、ボールの外側を捉えるカーブドライブはほとんどできない。だから相手の虚をつくことができない。
相手の間合いをはずしたり、逆モーションなどのプレーも試合でほとんど使えない。
高校生なのだから、中学生のときのように基本技術だけではある程度までしかいかないだろう。フットワークがものすごく良いならば別なのだが、もっと貪欲に試合に勝つにはと研究すべきだろう。大人からあれこれ言われても実践しなければ何もならない。
愚痴っぽくなったが、ベンチでは接戦をものにするアドバイスは可能だろう。しかし、はなっから実力が雲泥もあったなら1セットとらせるのが関の山だろう。
技術を研究し、作戦戦術を立てる習慣をつけよ。相手選手に嫌がられるやりにくい選手、または先の先の攻撃的な試合の出来る選手など、強い選手を目指してほしいのだ!

明恵上人

2008-12-03 22:05:53 | Weblog

1173年に紀州に生まれた明恵上人(みょうえしょうにん)は、19歳
から1232年60歳で亡くなるまで、40年にわたって自分が見た夢を
書き綴っています。それを「夢記」(ゆめのき)といいます。
自分の夢を覚えていることすら、なかなか難しいと思うのですが、明恵
はそれを書きつけ、時にはその解釈を施しています。今でいう精神分
析に通じることを、フロイトやユングより遥か昔に行なっていたのです。
 人生を夢に喩える人もいます。夢かうつつか図り得ないときもあります。

明恵上人は十九歳のある夜、夢の中で、天竺の僧があらわれて「理趣経」を授けると予告します。その後、様々な難問の手解きをし、時には病気になって朦朧とした明恵に天竺の僧が一服の薬を白い器に入れ、熱湯を注いで彼に服用させました。アザミの汁のような味で、翌日目覚めると下痢が嘘のように治っていたといいます。

明恵はある種の超能力があり、神霊を見ることが出来たのでしょうか。華厳経や密教を学び、信心深い彼だからこそ身につけえた能力なのでしょう。

彼は奈良の春日大明神とも夢の中で親しくし、ある日天竺に行こうとした明恵に中止を促す託宣を下しました。
奇しくも天竺ではイスラム教徒によって最後の仏教寺院が破壊され、ついに仏教が滅亡したときであったからなのでした。
三十四歳の時には、予知夢もたびたび見ることになり、五十八歳の時には、草や木々、花や果実があふれんばかりに茂っている美しい「死夢」を見るのです。

明恵の一生は、不思議で神秘的な体験に満ち溢れていましたが、彼はこう述べています。
「終わってみれば人間の一生なんてたいしたことはない。猫とか庭の木と変わりない感じもする。」