僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

言を俟たない

2008-12-12 23:59:46 | Weblog
「言を俟(ま)たない」とは、「あらためて言うまでもない」という意味になります。「俟つ」は「期待する」の意。
「俟望」は「しぼう」と読み、「期待して待ち望む」という熟語です。

梁塵秘抄

2008-12-12 23:48:54 | Weblog
梁塵秘抄とは、後白河院が熱中した平安時代の流行り歌、今様を編纂したものです。中国の虞公と韓ガという人物の声の響きがすばらしいため、建物の梁に積もっていた塵が浮き上がって、三日間落ち着くことがなかった、という逸話にちなんで名づけられたといいます。
歌の形式七五調四句が基本ですが、八五調のものや、かなり長いものなどさまざまなスタイルがあります。
神楽歌や催馬楽と違って、公式の場では歌われず、主として白拍子(歌や舞をする女芸人)、遊女、巫女、傀儡(くぐつ)などによって歌われ、貴族の間にも広まりました。
よく知られているのは「遊びをせんとて生まれけむ、戯れせんとて生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」(巻2・359)でしょう。これを歌ったのは遊女で、「遊び」は子供の遊びと遊女の生業(なりわい)としての遊び(歌舞)を掛けているという解釈もあります。
仏法をわかりやすく説き明かした今様も収載されています。
「仏は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、仄かに夢に見えたまふ」(巻2・26)
{仏は本来、いつ、いかなるところにもいらっしゃるのだが、現実にはそのお姿を目にすることができないのがまことに残念である}とする説と、
{凡夫(煩悩の世界にいる人)にはそのお姿を目にすることが出来ないのが、まことに尊く思われる}とする説があります。
梁塵秘抄は文学的にも貴重なもので、歌人の斎藤茂吉や詩人の佐藤春夫などに大きな影響を与えています。