僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

相州屋

2008-02-05 00:11:09 | Weblog
 大学の頃、「相州屋」という定食屋にずいぶん通ったな~
安くて、ボリュームがあって「スタミナ定食」が人気でした。
 とある日の自分の誕生日、友人らと麻雀をやったあと、「相州屋」での食事。
なんと「日替わり定食」が金目鯛のおかしらつきでした。やけに美味しく、まるで自分を祝福しているような錯覚に陥るほどでした。
 あの頃は今よりも進取の気性に富んでいた自分がいました。
今も営業しているらしい「相州屋」。あの時のおばちゃんは元気かな。そう思うと、仙人を求めて蓬莱山に向かっているような気持ちになるのです。

上杉鷹山(治憲)の改革

2008-02-03 22:25:44 | Weblog
 上杉鷹山は宝暦元年(1751)、日向高鍋藩主の二男として生まれ、数え年10歳にして米沢藩主上杉重定の養子になりました。
 上杉家は上杉景勝のとき会津の所領高120万石でしたが、関が原の戦いで石田光成に与したため戦い後、米沢30万石に減封左遷の処分を受けました。さらに三代藩主綱勝が、跡継ぎを定める前に急死したため、半分の15万石に減らされてしまいました。
 にもかかわらず、上杉家は藩祖景勝以来、伝統として、どんなに領地が減っても、家臣団の整理を一切行いませんでした。享保十年(1725)になっても変わらず、5千人の人数を確保しており、給与は12万9500石と記録されています。収入が15万石しかないのに家臣の給与が約13万石も占めていたのです。
 鷹山が家を継いだのは、明和四年(1767)で、彼は17歳でした。彼は、寒冷地に適した漆や楮(こうぞ)、桑、紅花などの栽培を奨励しました。漆からは塗料や蝋をとり、楮からは紙を漉き出し、桑からは生糸を織り出して、絹織物に仕上げるのです。さらに紅花は染料として高く売れるのでした。
 やがて鷹山の改革に共鳴して、下級武士たちの中から、自ら荒地を開墾して、新田開発に取り組む人々も出てきました。家臣の妻子も養蚕や機織に携わり、働く事の喜びを覚えたのです。
 天明二年(1782)長雨が春から始まって、冷夏となり、翌三年も同じような天候が続き、米作は平年の2割程度に落ち込みました。そこでも鷹山が陣頭指揮をとり、藩士、領民の区別なく、一日あたり、男、米3合、女2合5勺の割合で支給し、粥として食べさせました。米沢藩では、富裕な者が、貧しい者を競って助け、扶助、互助の甲斐あって餓死者は一人も出ませんでした。
 他にも、世襲的な代官制度を撤廃し、すぐれた人物を農民の指導に当てました。また年配者を敬い、90歳以上の者に今で言う年金を与え、70歳以上の者に鯉や錦鯉を飼う仕事を与え、老人をいたわる孝子を褒章するとともに、自ら敬老を実践するのでした。
 文政五年、鷹山が七十二歳で亡くなった時、藩内あげてその父母を失うがごとく、その悲嘆は言語に絶しました。埋葬の当日、数万の人々が老人や幼児を携え、沿道に平伏してひつぎを拝み、嗚咽、号泣の声は山野に満ちていました。

赤塚不二夫氏のトキワ荘物語

2008-02-01 13:51:31 | 漫画
 昭和40年9月5日発行の少年サンデーに連載された「おそ松くん」です。ちび太、イヤミ、デカパンなど個性的なキャラクターばかりでしたよね。
 この作品で時の人になった赤塚不二夫氏ですが、若かりし頃、トキワ荘で仲間とともに研鑽した時代がありました。故石ノ森章太郎氏も彼の友人のひとりで、赤塚氏がデビューしたての頃、一生懸命漫画のストーリーを聞いてくれて、アドバイスもしてあげていました。
 お互いに貧乏で、風呂代がないために炊事場に水をためて汗を流したこともあったそうです。昭和31年にトキワ荘に入り、藤子不二雄氏や寺田氏また大御所の手塚治虫とも知己になって青春時代をすごしたようです。

カブトガニ

2008-02-01 08:34:58 | Weblog
 瀬戸内海に棲むカブトガニは、その名の通り、カブトのような形をした奇妙な動物で、剣のような長い尾を含めると、体長は約80センチに成長します。見た目ではエビに近い形をしており、名前からは、カニの仲間かしらと思いがちです。しかし分類上はクモに近い節足動物です。
① 頭に触角がない
② 頭胸部に6対の胸肢がある
③ 胸肢の第一対は、はさみ状になっている
④ 呼吸は鰓書(えら)でする
⑤ 血清がクモ類に一番似ている
 以上5点からクモの仲間に近いと言えるのです。
 
 このカブトガニ、何億年も前の古生代に栄えた三葉虫の子孫で、生きた化石だということがわかり、今では天然記念物に指定され、保護されているのです。
 また最近では、カブトガニからエイズに効く薬ができるかもしれないということがわかりました。カブトガニの血球から見つけたタチプレシンという物質に抗エイズウイルス作用があるというのです。
 今までは食用にもならず、せいぜい肥料にしかならなかったカブトガニから、人類を救う薬ができるかもしれないなんて、想像できなかったですよね。

竹の花が見たい

2008-02-01 00:03:53 | Weblog
 竹に花が咲くそうですが、私はまだ本物は未確認です。真竹の開花周期は、実に百二十年という長期のものもあるのです。
 しかし、「花が咲くと枯れる」といって、人々から喜ばれていません。花が竹に悪い影響を与えてるのでしょうか。
 竹は地下茎で繁殖する植物で、新しく伸びた地下茎から次々と新しい芽、筍を出して、それがまた竹になって増えていきます。
 しかし長年一つの土地を占有していると、竹に必要な土地の中の栄養分が不足していきます。そうすると竹やぶ全体が一挙に枯れてしまうので、種族維持の手段として種子を残すために花を咲かせるのです。つまり「花が咲いたから枯れる」のではなく、「枯れるから花を咲かせる」のです。
 私の実家には真竹の林があって、毎年春に筍を送ってくれます。真竹の筍は孟宗竹の筍のように、糠であく抜きしなくて良いから簡単に食べられます。わたしの母が嫁いだ年にどこからともなく筍が発生し、竹林がいつの間にできたということです。不思議な事ですが、竹の花は未だ発見できません。
 親戚の笹も老朽化してくると花を咲かせます。この時できる実はネズミの大好物で、笹の花が咲いた年は野ねずみが異常発生するようです。