1173年に紀州に生まれた明恵上人(みょうえしょうにん)は、19歳
から1232年60歳で亡くなるまで、40年にわたって自分が見た夢を
書き綴っています。それを「夢記」(ゆめのき)といいます。
自分の夢を覚えていることすら、なかなか難しいと思うのですが、明恵
はそれを書きつけ、時にはその解釈を施しています。今でいう精神分
析に通じることを、フロイトやユングより遥か昔に行なっていたのです。
人生を夢に喩える人もいます。夢かうつつか図り得ないときもあります。
明恵上人は十九歳のある夜、夢の中で、天竺の僧があらわれて「理趣経」を授けると予告します。その後、様々な難問の手解きをし、時には病気になって朦朧とした明恵に天竺の僧が一服の薬を白い器に入れ、熱湯を注いで彼に服用させました。アザミの汁のような味で、翌日目覚めると下痢が嘘のように治っていたといいます。
明恵はある種の超能力があり、神霊を見ることが出来たのでしょうか。華厳経や密教を学び、信心深い彼だからこそ身につけえた能力なのでしょう。
彼は奈良の春日大明神とも夢の中で親しくし、ある日天竺に行こうとした明恵に中止を促す託宣を下しました。
奇しくも天竺ではイスラム教徒によって最後の仏教寺院が破壊され、ついに仏教が滅亡したときであったからなのでした。
三十四歳の時には、予知夢もたびたび見ることになり、五十八歳の時には、草や木々、花や果実があふれんばかりに茂っている美しい「死夢」を見るのです。
明恵の一生は、不思議で神秘的な体験に満ち溢れていましたが、彼はこう述べています。
「終わってみれば人間の一生なんてたいしたことはない。猫とか庭の木と変わりない感じもする。」
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