僕の感性

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日本が接戦を落としたセルビアとは?

2008-05-25 23:57:29 | Weblog
バレーボール女子は惜しくもセルビアに負けちゃいましたよね。
ところで、セルビアはどこの国かご存知ですか?
もとは、ヨーロッパの火薬庫といわれた、バルカン半島にある、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国だったのです。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は

七つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア)
六つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)
五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)
四つの言語(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語)
三つの宗教(正教、カトリック、イスラム教)
二つの文字(ラテン文字、キリル文字)
一つの連邦国家
といわれるほど複雑でした。


バルカン半島にあった連邦国家、ユーゴスラビア連邦。

第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国から独立。

第二次世界大戦時には枢軸国によって占領されるが、チトー(ティトー)指揮するパルチザンの活躍によって自力解放を果たし、これがソ連軍の占領を受けた他の東欧諸国との運命の分かれ道となりました。

戦後、チトーの指導下に東西両陣営のいずれにも属さぬ独自路線を歩むことに成功します。

チトー死後内政が混乱し、1991年にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア(旧ユーゴスラビア・マケドニア)の各国が独立し、連邦はセルビアとモンテネグロの2か国で構成されることになりました。

その後、ミロシェビッチ大統領時代を経て、2003年にセルビア・モンテネグロと改名。2006年にモンテネグロが独立し、連邦は消滅しました。

このように歴史的背景は複雑ですが、ユーゴスラビア自体、パズルのように組み立てられた人工的な国家だったのですね。
多様性を内包した国家でありましたが、長年にわたる紛争の結果、それぞれ6つの国が独立しました。