谷崎潤一郎は、一日平均4~5枚で、寝そべって布団の上に腹ばいになって書きました。宇野浩二は80枚以上、久米正雄は一晩で4,50枚書くことができたそうです。菊池寛は毎日きっちり7~8枚職業的に書く癖がありました。佐藤春夫は一日4~5枚で、8枚以上は無理でした。夏目漱石は「吾輩は猫である」の頃は、50枚以上書いていたが、晩年になってからは、ずっと遅筆になり、新聞1回分がやっとだったそうです。
芥川龍之介は命をすりきる程の惨憺たる努力を尽くして書きました。7~8枚の短編を書くときでさえ、何十枚書きつぶすかわからないそうで、彼ぐらい原稿用紙を反故にした作家は他にはいないと思われます。
芥川龍之介は命をすりきる程の惨憺たる努力を尽くして書きました。7~8枚の短編を書くときでさえ、何十枚書きつぶすかわからないそうで、彼ぐらい原稿用紙を反故にした作家は他にはいないと思われます。