上野みえこの庭

日本共産党熊本市議の上野みえこのブログです。

国がめざす「『自助・共助・公助』による社会保障」の問題点について学んだ市民連講演会

2021-02-10 08:44:45 | 住民とともに


講演内容は、以下のとおりです。(先生のレジメから)
「自助・共助・公助」による社会保障について考える
- 全世代型社会保障改革の基底にあるもの --
立教大学:芝田英昭

はじめに
・2019年9月に内閣官房に設置された全世代型社会保障検討会議(以下「検討会議」)は計4回の会合を経て、2019年12月19日第1次中間報告を公表した。
・自民党人生100年時代戦略本部『取りまとめ』(2019年12月17日)、公明党全世代型社会保障推進本部『安心の全世代型社会保障の構築に向けて(中間提言)』(2019年12月18日)が発表されたが、第1次中間報告の内容は、自民党の『取りまとめ』と文言等も含めて内容はほぼ同一。
・検討会議は、2020年12月14日、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け半年遅れで最終報告を公表した。
・本報告が最終報告に相応しい形態を備えているとは到底言えない。そのタイトルは『全世代型社会保障改革の方針』としているが、内容は社会保障を網羅的にカバーして方針を提起しているわけではない。

1. 3つの報告書の関係性
表 検討会議3報告書の関係性
項 目 第1次中間報告
2019年12月19日 第2次中間報告
2020年6月25日 最終報告
2020年12月14日
基本的考え方 言及 なし 言及
年金 言及 なし なし
労働 言及
言及 なし
医療 言及 言及(数行)
言及
予防・介護 言及 言及 なし
最低賃金 なし 言及 なし
少子化対策 なし 言及 言及
新型コロナウイルス関連 なし 言及 なし
出典:全世代型社会保障検討会議『中間報告(第1次)』2019年12月19日、『第2次中間報告』2020年6月25日、『全世代型社会保障改革の方針(最終報告)』2020年12月14日より筆者作成。

・検討会議9名の議員には、経団連会長:中西宏明と、経済同友会代表幹事:櫻田謙吾が任命され、財界ツートップが顔を揃えた。
・第1次中間報告は、第5回会議(2019年12月19日)において議論され取りまとめられた。同報告書は社会保障を網羅的に言及しているが、2点において大きな矛盾。
・1点目は、障害者福祉に関して全く触れていない。
・2点目は、第1次中間報告では、第2次中間報告、最終報告で詳細にその対策に触れている少子化問題に一切言及していない。
・第2次中間報告と最終報告は、触れられている課題の重複を避けまとめられていることから、この二つの報告を併せることで実質的な「最終報告」となっている。
・最終報告は、タイトルが「全世代型社会保障改革の方針」としていることから、全世代型社会保障の将来展望・改革方針を提起するだろうと思われたが、実際は第2次中間報告とりまとめ以降の会議において議論された内容に言及しているだけに終わっている。

2.全世代型社会保障の底流にある「自助・共助・公助」観
・検討会議に貫徹する社会保障の基本的視点は、「全世代の負担増」と言える。
・第1次中間報告では、「年齢ではなく負担能力に応じた負担という視点を徹底していく」、最終報告では、「全ての世代が公平に支え合う『全世代型社会保障』の考え方は、今後とも社会保障改革の基本」としており、その姿勢は一貫している。
・社会保障を「自助・共助・公助」との3層構造で捉える思想の延長線上にあるのが、全世代の負担増の視点。
・菅首相が、自民党総裁選で社会保障を「自助・共助・公助」と3層構造で捉えたことから一躍脚光を浴びた標語となった感があるが、検討会議第1次中間報告、最終報告にもその文言が見られ、自己責任を基調とした社会保障観。
・第1次中間報告では、「改革全般を通じて、自助・共助・公助の適切な役割分担を見直し」と言及。最終報告では、「菅内閣が目指す社会像は『自助・共助・公助』そして『絆』である。まずは自分でやってみる。そうした国民の創意工夫を大事にしながら、家族や地域で互いに支え合う。そして、最後は国が守ってくれる」とした。
・自助・自己責任を強調する社会保障観は、自民党政権では1960年代以降一貫して見られる。
・ただ、「自助・共助・公助」との概念で社会保障をとらえたのは、公式文書では2006年版『厚生労働白書』が最初である。同白書では、「我が国の社会保障は、自助・共助・公助の組み合わせにより形作られている。もとより、人は働いて生活の糧を得、その健康を自ら維持していこうと思うことを出発点とする。このような自助を基本に、これを補完するものとして社会保険制度などの生活のリスクを相互に分散する共助があり、その上で自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準、家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公助がある」と社会保障を三層構造で説明している。
・三層構造論には大きな欠陥がある。私たちが暮らす資本主義社会では、そもそも「自助」という前提は成り立たない。つまり、この社会においては、殆どの人々は生産手段(工場、機械、道路網、原材料等)を奪われていることから、自らに備わった働くことのできる能力(労働力)だけを切り売りして生きていかなければならない。従って、国民は、常に失業、障害、疾病、介護状態、保育等により労働力が一定低減する状況にあるし、また定年退職、重い障害、死亡、回復不可能な疾病等により労働力が喪失したりする恐怖に晒されている。これらの課題は「生活問題」と呼ばれ、人々がこの生活問題を抱えることで、生活の糧である賃金(労働力の価値)が減少したり、また支出が増えたりし、生活が不安定となる。
・生活問題を緩和・解決するのが社会保障と呼ばれる制度・政策である。生活問題は、個人では回避することのできない「社会問題の一部」、具体的には生活過程に起こる社会問題である。
・社会保障を三層構造でとらえることはそもそも不可能であることから、自民党政権の言い分は、社会保障における公的責任・資本家責任を捨象し、自己責任や住民相互の責任にすり替える都合の良い論理。
・人権視点から社会保障を考えれば、人々の生活は、多くの場合国家により規制されるし、基本的人権は往々にして国家により侵害される(勿論、国家だけではなく企業や個人からも侵害される)。正にこのような立憲主義に立脚すれば、国家による人権侵害を縛るために存在するのが憲法だと理解できる。
・憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を送る「生活権」であり、それを「保障する」のは当然国である。従って、公が国民を助けるとの「公助」の概念で捉えるのではなく、人々の当然の権利を保障すると理解すべき。

3.コロナ禍の非接触型ケア推進とデジタルテクノロジー・AIによる「生産性向上」の親和性
・最終報告には、新型コロナウイルス関連の項目は存在しないが、当然新型コロナウイルス感染症を前提にまとめられたと思われる。それは、第3章「医療」で「今般の新型コロナウイルス感染症への対応を踏まえ、有事に必要な対策が機動的に講じられるよう、都道府県の医療計画に新興感染症等への対応を位置づける」としていることからも窺えるが、コロナ禍で医療機関、国民が疲弊しているにもかかわらずこの程度しか書き込めないのは、本検討会議議員の「無関心」の表れ。
・第2次中間報告では「新型コロナウイルス感染症の感染拡大を踏まえた社会保障の新たな課題」との項目を起こし、約2ページに渡り記述している。
・感染症は、人との接触によって引き起こされる疾病であることから、公衆衛生の観点からは極力人との接触を避けることが最も効果がある。
・第2次中間報告では、「感染症拡大防止に配慮した医療・介護・福祉の提供体制の整備等を推進する」ために、「オンライン診療やオンライン面会等の非接触サービス提供を推進するため、介護施設や医療機関等におけるタブレットやWi-Fi等の導入支援を強化する」としていることから、文面通りに理解すれば、感染症拡大を防ぐために人との接触を減らす目的でデジタルテクノロジー・AI化を進めるとしている、と理解できる。
・しかし、本音がその点にあるのかは疑問が残る。同じ第2次中間報告の「介護」の項では、「より少ない人数で介護サービスを提供する先進施設が存在している。こうした先進事例の全国展開を進める」、「更なる生産性向上を実現するには、AIを活用したケアプラン作成の自動化など、もう一段のイノベーションが必要となるため、現場のニーズに合った機器の開発・実証を支援する」としており、本音は、デジタルテクノロジー・AIを用いて介護分野等での人員削減と生産性を向上させることにあるし、同産業を財界の新たな儲け先として開拓することにあると言える。 
・日本で新型コロナウイルス感染症がやっとメディアで取り上げられた2020年2月頃に議論した介護等における生産性向上やデジタルテクノロジー・AI活用論が、コロナ禍が本格化してもスタンスを変えることがなかったのは、新型コロナウイルスが「感染症問題」であったことに起因する。デジタルテクノロジー・AI活用を「生産性向上」から「感染症拡大防止に配慮した医療・介護・福祉の提供体制の整備」だと、国民に理解しやすい理由にすり替えることが容易にできたから。
・筆者も医療・介護・福祉分野におけるデジタルテクノロジー・AI活用が無意味だとは思わないし、現場で働く労働者の安全衛生の確保、また利用者の便益につながるのであれば、その視点から導入が図られるのは理解できる。
・検討会議が言う「人員削減・生産性向上」との発想の下で、デジタルテクノロジー・AI活用が図られると、医療・介護・福祉分野の専門性が阻害される可能性が高い。
・医療・介護・福祉活用によって人員削減を図るのではなく、逆に医療・介護・福祉労働者のデスクワーク等を効率化し、その分本業に十分の時間と労力を割けるように人を増やすべきである。
・医療・介護・福祉の業務は、労働者と利用者とのコミュニケーションを通して、互いの発達を促す労働であり、余裕のある人員配置により十分な意思疎通が図られることが重要である。
・一般的に専門性とは、その分野の専門知識、経験、ライセンスがあることと思われるが、それに加え「予見性」と「裁量権」を備えていることが極めて重要。
・予見性とは、対象者へのコミュニケーションやケアを通じて、近い将来どのように変化(体調、気分、感情等)するのかを推測できる能力である。
・裁量権とは、労働者自らの判断で対象者に対して臨機応変に業務が遂行できる権利である。
 将来この専門性を必要とする部分にデジタルテクノロジー・AI活用が進めば、まさに医療・介護・福祉分野の労働者は、専門性を必要としない「単純労働」で構わないとの発想となり、誰にでもできるマニュアル労働に転化していく可能性がある。
・医療・介護・福祉分野における専門性をデジタルテクノロジー・AIが代替する部分が大幅に拡大すれば、日本経済が少子高齢社会の下で縮小傾向にあっても、財界にとってはこの分野はおいしい儲けの対象となり得る。
・同じ項目で、医師不足に関し「地域の医師不足への不安に対応するため」に「へき地等におけるオンライン診療・服薬指導の活用等を促進する」としているが、この文章には不自然な言い回しがある。「医師不足の不安」とすべきところを「医師不足への不安」としちる点である。
・「医師不足の不安」であれば、客観的に医師が不足していることを前提に住民が「不安」を抱いている意味となるが、「医師不足への不安」であると、医師が不足しているかもしれないとの主観的な住民の「不安」となり、意味合いはかなり違ってくる。あえて「への」としたところに深い意味がある。
・OECD Health Dataによれば2014年時点で、人口1,000人当たりの医師数は、データのある41カ国中、多いほうから30番目で、2.4人となっており、「客観的に医師数が少ない」のが実情である。しかし、「への」とするこことで、客観的に医師数が少ないことを隠蔽し、その事実を住民の主観的な不安にすり替え、国が医師を増やすことを忌避する口実にしていると理解できる
・当然、国民は平時の余裕のある人員配置が、新興感染症、災害が起こった時にも機能することは、今回のコロナ禍で十分知った所である。

おわりに
・社会保障の将来像を語る場合、多かれ少なかれ「財源論」抜きにしてはその方針は語ることはできない。しかし、検討会議では、社会保険における一部負担の増額等を示してはいるが、具体的な財源論には触れていない。
・最終報告では、抽象的ではあるが、「少しでも多くの方に『支える側』として活躍していただき、能力に応じた負担をいただくことが必要」、「全ての世代が公平に支え合う『全世代型社会保障』の考え方は、今後とも社会保障改革の基本である」とし、基本的には全ての世代に負担を訴えているが、実質的には高齢者の負担を増やす方向性を明確にしている。
・「現役世代への給付が少なく、給付は高齢者中心、負担は現役世代中心」との最終報告の文言からも窺えるし、2021年1月18日召集された第204回通常国会での菅義偉首相の施政方針演説でも、「給付は高齢者中心、負担は現役世代中心という構造を見直し」すると宣言していることからも分かる。
・確かに、社会保障を自己完結的にライフステージだけから見れば、現役世代は多くの負担をしているにもかかわらず給付は少ない現実は、確かに納得いかないであろう。しかし、もう少し俯瞰的に一人の人生をライフコースの観点から見れば、全ての若い世代もいずれは高齢者になることから、負担と給付の帳尻は合うと言える。
・検討会議、首相の施政方針演説でも強力に推し進める背景には別の理由がある。
・後期高齢者医療制度の一定所得以上(年金収入のみの単身世帯の場合200万円以上)の者への一部負担1割を2割へ改悪する背景を探ると、その本音が見えてくる。
・例えば2025年度で、一部負担2割が実施された場合、後期高齢者への医療給付は2,190
億円減ることになる。その内訳は、高齢者が支払う保険料が220億円減、現役世代からの支援金830億円減(本人390億円、事業主340億円)、公費1,140億円減である。
・この現実からも、公費負担や事業主負担を大幅に減らすのが目的であることは、火を見るより明らかである。
・検討会議の3つの報告書には、直接消費税に言及した個所は存在しないが、最終報告の「全ての世代が公平に支え合う」との言葉から、社会保障財源に消費税も含んでいることは容易に察しられる。しかし、消費税は所得の低い者の負担割合が大きい逆進税であり、機能として所得再分配が求められる社会保障には、最も相応しくない税であることは周知の事実である。
・社会保障の財源を考える場合、その目的・機能を十分に理解し求めていくべきである。当然、税や社会保険料は「応能負担」とすべきであるが、社会保障給付時の一部負担は、利用抑制の誹りを免れないし、一部負担の「応能負担」化との議論はそもそも成り立たない。一部負担は、速やかに廃止すべきである。
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