大変ご無沙汰しております。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
ご無沙汰すぎて何を書けばいいのか分からない・・・w
私や猫らは特に変わったこともなく、元気にしております。
ついこの間、4匹中3匹が年1回のワクチンの時期だったので動物病院へ行きました。マダラ君の腎臓病が去年分かってから、ワクチンの時期に合わせて血液検査もするようにしたのですが、去年、今年に続いて特に重大な疾患もなくまたこの1年元気に過ごせるかな、といった所です。
ブログをほぼ手放してしまってから、あまり創価ネタに触れる機会もなくなってしまいまして・・・。これは間違いなく良いことなのですがw
最近感じたこととしましては、所謂「罰論」に捉われる人の感覚というのを不思議に思いました。
前々からそういった人が多いことや、何故そういった心理に陥るのかは、マインド・コントロールなどを調べる上で自分なりには理解していたつもりです。
このブログ上でもそういった心理作用について幾度となく取り上げてきました。そういう理論を知ることで、「罰論」に捉われる人が少しでも自分の心を整理できたらと思ってきましたが、実際そこから脱却するのはかなり時間を要するようです。
私からしてみたら何故創価学会の言う「罰」をそこまで恐れるのだろう?と不思議なのですが、逆に創価学会を信じているからこそ「罰」も恐れる(信じる)ことになるのだろうと思います。
しかし、創価学会の功徳・福運に見切りをつけ辞めたいと思っている人ですら、「罰が怖くてやめられない、踏ん切りがつかない」という声も珍しくありません。
「功徳・福運」を信じられなくなったのに「罰」だけは信じる。これはおかしな話です。
でもネットで意見を聞いていると頭で理解できても心がついていかない、そんな感じのように見受けられます。
逆に考えてみればもう少し心もカタがつくのかな、と思います。「罰」を与えられるほど何らかの力を持っているなら、「功徳・福運」を与えることもできるはず、と。
きっと辞めたいとまで思っている学会員さんたちは、今まで学会で得たとされる様々な功徳・福運は「何もなかった」か「手放せる程度のもの」、または失ったものの方が大きかったのだったのだと思います。あるいは大きな得難い幸福であったとしても、それが全て学会の力によるものではないと分かっているか。
では、罰も同程度の「受け入れられる程度」のものであり、大きな不幸は学会の力によるものではない、と分かるはずです。
もしこのバランスが罰に大きく傾いているものならば、本当にそんな力が在るならそんな邪悪で恐ろしい力を持つ団体と関わりたくないものですねよね。罰という手切れ金を支払ってでも縁を切るしかないでしょう。
身近なことで置き換えてみるのも分かりやすいかもしれません。
どこかに100円落としたとして「あ~あ」と思うことはあるでしょう。
けれど100円を拾えずに悔しがる人はいますか?「今日も100円拾えなかったなんて・・・!」とかw
それが千円なら?一万円なら?
金額が大きくなれば落とした時の落胆、あるいはきちんと管理していなかった自分を責める気持ちはかなり大きなものでしょう。
けれど「今日も一万円を拾えなかった!くっそ~!」と考える人がいるでしょうか。
創価学会で信仰に励んでいる人も同じで、功徳や福運に恵まれなかったといって「くっそ~!」といちいち悔しがる人はいないですよね(たぶん)。あれは活動していること自体に充実を感じている人が多いみたいですから・・・。
けれど悪いことが起きたときだけ「信心が足りない」とか「信心のお陰でこれくらいですんだ」などとなります。
お金は大事なものなので、紛失したり盗まれたりしないように軽率には扱わず、きちんと財布に入れて皆さん持ち歩いていると思います。
日々の悪いことも同じく、健康に気をつけ、人間関係が円滑になるよう気を配り、社会の一員として文化的な生活が出来るように真面目に働き、困ったことにならないように私たちは生活しています。
上述から分かるように創価学会の信仰では、功徳・福運のメリットの裏側に罰がリスクとして存在しているわけではありません。
一万円を拾えないことを悔しいともおかしいと思わず、一万円を落とすことだけ怯えている。
あるいは拾えても100円だと考えているのに、落とす時は100万円だと思っている。
罰論は随分と幸せなこととは釣り合わない、気持ちの上で損をしていることだと思います。
けれど人は得てしてそういうものでして、幸運を拾いに行くアクティブさは持ち合わせていなくても、不運を回避するためには労力を厭わないものです。
そういう人の心理に付け込まれている、ということなんでしょう。
パッと目の前が拓けるような分かりやすい喩えではなかったかも知れませんねw
そういう「一発解決!」みたいな方法はマインド・コントロール、人の心に巣食う歪には存在しません。
創価学会を辞めても尚、罰論に怯えるという人もいらっしゃるでしょう。本気で思っていなくても「つい」頭に浮かんでしまう、というような話はよく見かけます。
けれど学会で言われていたこととは全く別のものに置き換えて考えてみると、客観的に捉える事ができるかと思います。そういった小さな煩わしさからも少しでも早く解放されるように、発想の転換の一つとして試してみては如何でしょう。
とても暑い日が続きますね。災害レベルの暑さとかどんだけだよ、と思っていたのですが先日墓参りに行きましたら、そのレベルの暑さを実感できましたw
普段日中は会社に閉じこもっているので、日中の暑さをあまり実感していなかったのですよ。それでも通勤時の暑さは充分地獄だと思っていたのですがね。
皆さまも体調にはくれぐれも気をつけて、この夏を乗り切ってくださいね。