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2018-04-25 05:07:54 | お悔やみ

林文科相、公用車で「ヨガ通い」 週刊文春が報道

4/24(火) 20:06配信

朝日新聞DIJITAL

 

 林芳正文部科学相が平日の昼間、公用車を使って都内のヨガ店を訪れていたことが明らかになった。25日発売の週刊文春が報じる。政府関係者は公用車を利用して店に行ったことは認め、「公務と公務の間なので、公用車の運用規則上は問題ない」としている。



 週刊文春の報道によると、林氏は16日午後2時半ごろ、公用車を使って東京都渋谷区恵比寿のヨガ店に到着。約2時間過ごした後、待たせていた公用車に乗って帰ったという。

 ヨガ店のホームページによると、店では女性インストラクターが一対一でヨガを指導した後、頭や手のマッサージを行う。タレントの経験がある女性が経営しているという。

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平日のこの時間帯にヨガなんかすれば、民間ではサボってると言われるのが普通だけど、

東大法学部卒の二世先生の感覚は、チョットどころかかなり違ってるようだ。

その民間の感覚からかけ離れた特異性は先生の経歴を見ても想像できる。

ウィキペディアで先生の経歴見たが、かなり面白い。

その抜粋が↓

 

生い立ち[編集]

通産官僚である林義郎の長男[1]として、東京都で生まれる。1969年、父・義郎が第32回衆議院議員総選挙旧山口1区から出馬するのに伴い、一家で山口県下関市へ転居し、下関市立文関小学校に転入[1]1973年に下関市立文関小学校を、1976年に下関市立日新中学校を卒業。1979年山口県立下関西高等学校を卒業した。1984年東京大学法学部を卒業[1][2]

1984年三井物産に入社。1989年に同社退社林家のファミリー企業であるサンデン交通に入社、同社社長秘書を務める[1]1990年に同社退社、山口合同ガスに入社[1][2]1991年4月、アメリカ合衆国ハーバード大学大学院に入学(身分は「特別研究生」)[1]1992年9月、ハーバード大学ケネディスクールに入学[1]。また、1991年9月より米下院議員スティーブ・ニール(Stephen Neal)の銀行委員会スタッフを務めた。1991年11月に退職米上院議員ウィリアム・ロス(William Roth)の国際問題アシスタントを務めた[1]1992年12月、父の義郎が宮澤改造内閣にて大蔵大臣に就任したため、大学院休学帰国、大臣秘書官を務める[1]1993年国会議員政策担当秘書資格試験に合格[1]1994年2月にケネディスクールに復学し、1994年6月に修了[1][2]1994年8月 林義郎の秘書を務める[1]

 

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この尋常でない林先生の遍歴を皆さんはどう解釈するだろうか。

私が受けた印象は、北のボンボンのような、何不自由ない豊か過ぎる環境の中で

気の向くままに、いつかは受け継ぐであろう先生の椅子、選挙地盤を相続する日がくるまで

好き放題に仕事のような事をしてみたり、勉学のような事をしてみたりして

時間を過ごしていた、というのが実情のような気がするのだがどうだろう。

こうした遍歴を知った上なら、ヨガの件も理解できなくもないが、

このような世間知らず的ボンボンが、大臣で居られる日本は協力に平和だ。

あと一つ言わせてもらえば、またしても東大卒の先生だけど、

学生時代出版社でアルバイトした時の上司の

「日本をダメにしたのは東大法学部だ」説が日に日に確信に変わっていく。