娘が本棚をガサガサやっていると思ったら、懐かしい日記帳を取り出してきた。ほとんど、その存在すら忘れかけていた私の中学時代から大学時代までの日常を綴った日記帳だ。
かなり色あせた、本来なら1年で書き終えるべきその365ページには私の青春の全てがぎっしりと詰まっていた。その行間に色々な思いが見え隠れしている。
幼稚で未熟な記述の連続の中学時代、ひたすら体制に反発するだけの高校時代、バイトと遊ぶことしか考えてなかった大学時代。もう懐かしいというより、穴があったら入りたいと思うくらい恥ずかしい代物だった。
記憶とのギャップが大きすぎて戸惑うばかりの私だった。おそらく、私の中でかなり記憶を美化していたようだ。事実をほんの少し自分に都合のいいイメージで歪曲してそれを真実として記憶の棚にしまっていたらしい。しかし、こうやってそれを克明に記した日記帳が出てきた以上、弁解の余地はない。
そんな中で、喫煙に関する記述を見つけた。高校3年の夏休みのある夜に記してあった詩である。公開できる内容と思うので書き出してみる。
きらしたタバコ
タバコを今夜もきらした
落ち着かない手が灰皿へ伸びる
灰を落として短い2度目の
タバコを口にくわえる
むなしさが煙と一緒に目にしみる
要するにシケモクをしていただけの記述なのだが、記憶に全くない。思わず昔の自分にそのタバコをやめるのにどんだけ苦労したか、分かってんのか?そんなヒマがあるなら勉強しろ!と怒鳴りつけたい気分になった。そして、喫煙していた頃、どんなに吸いたくなっても私はシケモクなどしたことはありませんと豪語していたのだったが・・・・。
そんな中で、恥ずかしさがピークを迎える時間がやってきた。中学2年の息子と同じ年齢での記述にさしかかった。読み手は小学校1年の娘、漢字は兄貴がサポートして読み進めていく。
内容についての詳細はあまりに恥ずかしいので公表したくないが、連日忘れ物をしただとかで先生に怒られ、綿々とそれに対しての不満を拙い表現で先生の悪口ばかり書いてある部分が家族に相当受けたらしく、大爆笑の嵐。今の私とのギャップが大きいのだろう。
その笑いが大きくなればなるほど、オヤジの権威は失墜していく。正直言って今の息子の方が遥かにその当時の私より大人だ。従ってパパがお前と同い年の時は云々なんて教訓話も完全に飛んでいってしまった。
ヒゲオヤジはビールで赤くなった顔を更に赤くしていくよりほかなかった。
三十数年振りの自分に会ったつもりでいたのに、いつの間にかすっかり萎縮して自信を無くした中学生に逆戻りして、未来の息子に叱られている気分になってしまった。
情けないのび太になった私は思わず叫んでいた、”ドラえも~ん!”
記事を読んだら → 人気blogランキングへ