こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

嬉しい便り

2007-11-29 22:39:44 | 旅行記

先日のカメラ屋さんから、なんと礼状に対する礼状?が今日届いた。

私の方から電池の返却と礼状を郵便で送ったのが先週のことだったが、てっきりそれで終わりだと思っていた。

よもや、返事を頂くとは夢にも思わなかったので、ビックリしたと共に、とっても嬉しく感動した。

思いもよらない人の優しさがとっても身に染みた一日だった。

せっかくなので、私が送った手紙と頂いた手紙を両方そのまま載せちゃうことにした。

Img005

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相手の文面から察するに、その電池が戻ってくるとは夢にも思わなかった感じが伝わってくる。

それにしても、わざわざ私が書いた礼状に返事を頂くとは恐縮しきりである。

ささやかなお礼の気持ちとして同封した千円まで、寄付されるとは筋金入りの良い人のようである。

この手紙を頂いた事で、私も更に気持ちが和み、なんか心が通じ合ったような気がしたのだった。

カメラのキタムラの店長さん、本当にありがとうございました。


日本の味

2007-11-27 08:41:12 | 旅行記

琉球王朝があっただけに、沖縄はちょっと日本じゃないと思わせるモノが多い。

食文化や建物、言葉などに如実に表れている。

そこに住む人々だっていかにも南方系の人がいたり、名前が明らかに本土では聞かない沖縄独特のものだったりする。

最近では、沖縄出身のタレントが増えたり、沖縄を舞台にしたドラマのヒットなどで、馴染みこそあるが、それでも明らかに別物だ。

日本でもない、中国でもない独自の文化があったことを物語っている。

さて、その中で一番の違いを感じるのは食文化である。

そうはいっても、本土で食べられるものはどこにでもあり、外国のような事はない。

唯一の例外は”日本そば”である。

私自身が大好きでもあるのだが、高齢者である私の父の好物でもある。

ちょっと胃がもたれるような時にうってつけのあっさりした食べ物の代表選手である日本そばが手軽にどこでも食べられないのだ。

過去に行った時に何となく気がついていたが、今回ははっきりと分った。

Okinawasobaとにかく沖縄で”そば”といえば”沖縄そば”のことである。

そば粉が全く入ってない、この”そば”は勿論そばでもなく、うどんでもラーメンでもない。

沖縄独特の食べ物である。

明治後半に小麦粉100%で作られた麺を汁で食べたのが始まりとされている。

麺の製法は中華麺に分類されるそうなので、和風ダシで食べるラーメンと言ったら分かりやすいのかもしれない。

トッピングに豚のアバラ肉を柔らかく煮たものを使用するのが一般的で、沖縄ではそれをソーキと呼ぶのでソーキそばとも呼ばれる。

ラーメンとチャーシューの関係に似ていて、切っても切れない関係のようだ。

この”沖縄そば”については単に味に慣れないと言う他なく、積極的に食べたいという代物ではない。

沖縄へ行ったら是非一度はと勧めたいが、それ以上のコメントは「・・・・。」である。

伝統の味なので沖縄の人がこよなく愛するのはよく分るし、別に不思議はない。

が、”日本そば”の店を全く見かけない事が本土から来た人間にはとても不思議に感じられた。

車であちこちを巡ったが、一軒も見かけなかった。

見かけるのは”沖縄そば屋”ばかりであった。

”日本蕎麦屋”は那覇市内でよく探せばあるんだろうが、とにかく真剣に探すというモードにならなければ食することは困難であろう。

宮古島・石垣島には恐らく一軒もないと思われる。

本土では車でちょっと流せば、そこら中に蕎麦屋がゴロゴロしているし、日本人といえば”そば”という意識が内なる常識という感覚があるのだが、それは全く通用しないようだ。

本土から沖縄へ、最近大量の人の流入が増えているそうだが、そういう人たちは”日本そば”が恋しくならないのだろうか?

その時はどこで食べているんだろうかと、ふと疑問を感じたのだった。


ちょっといい話

2007-11-24 23:19:27 | 旅行記

万全の準備をしたつもりでも、何かしら抜けてしまうのが世の常だが、今回の旅もちょっとした忘れ物をしてしまって、旅の途中で少し慌ててしまった。

一応、写真も一つの趣味としているので、旅にはデジタル一眼レフは欠かせない。

広角やら望遠などの交換レンズやストロボなどの備品をカメラ専用に作られたバックパックに入れて持ち歩いている。

カメラ撮影に必要な全てのモノが入っているが、取り出して戻し忘れたモノがあった。

それは充電器だった。

旅の出発前にフル充電した時に取り出し、バッグに戻すのをすっかり忘れてしまっていたのだ。

D70_iちなみに私の持っているカメラはニコンD-70で、一週間くらいの旅行だったらフル充電した電池1つで充分持つ事を経験上知っていた。

従って電池も1つしかもっておらず、今回も大丈夫だろうとタカをくくっていた。

しかしながら、撮影枚数が増えれば日数に関係なく電池は消耗するし、ホテルのテレビで撮影画像をチェックしながら再生するなどすれば、それだけ電池は酷使されることになって、予定通りにはいかなくなってくる。

ちょうどこれから石垣島へ行くという時になって、急に電池の残量が減ってきて、あと2~3枚しか撮れないところまで追い込まれた。

搭乗する飛行機の時間が迫ってくる中、那覇市内の大型カメラ店を車で捜し求めた。

レンタカーの返却時間も考慮しなければならず、少し焦っていた。

ようやく、全国展開してるカメラのキタムラの店舗を見つけたので急いで飛び込んだ。

充電池と同タイプの乾電池があると勝手に思い込んでいた私は眼の前にいる店員をつかまえると、早速事情を話して、乾電池を買い求めようとした。

だが、かえって来た答は”そんなものは存在しません”だった。

フィルムタイプの一眼レフにはあっても、電力をより必要とするデジタル一眼レフには無いとのことだった。

つまり、充電器か、充電池を購入するしか道がなかったのだが、充電器は店に在庫がなかった。

充電池はあってもフル充電されておらず、どのくらい持つか分らない。

時間が有れば、充電してくれるとの事だったが、生憎その時間も無い。

もう万事休すだと思った。

石垣島での写真を諦めれば、それでいいと思いかけたその瞬間、その店員がちょっと待ってくださいと言って、一旦店の奥へ引っ込んで、手には充電池をいっぱい抱えて出てきた。

なんと、店で常備している充電池の備品だった。

確か該当品があったはずだと備品の山をかき分けると果たして目的の充電池が見つかった。

カメラに装填するとゲージはフルを示していた。

これを中古として売ってくれるかと思いきや、元々非売品だし、どの程度もつか分らないのでそれは出来ないと言う。

じゃどうするのかと思っていると、店員の口から驚きの言葉が出た。

「貴方を信用してタダで貸し出しますよ。沖縄から帰られる時にお返し下さい。」

「えっ、でもこれから石垣島へ行って、3日後に帰るんですけど、もう那覇空港から出る事はなく乗り継ぎしてそのまま帰るんですが・・・。」と私。

「・・・・。」

少し、間があったのはしまったという心理が店員に働いていたのかもしれない。

「いえ、大丈夫です。お帰りになってから郵送でもいいので返却して下さい。」と言って、名刺を差し出した。

名刺を見て驚いた。

店員だと思っていたら店長さんだった。

店長さんだからこその判断だったのかもしれない。

新品を買えば5000円以上はする代物である。

名前も聞かず、勿論身元を証明するものも一切求めず、全く見ず知らずの人間に備品とはいえ充電池をタダで貸してくれるなんて信じられなかった。

旅行者というのもウソかも知れず、どういう基準で私を信用して頂いたのか全く分らずじまいだ。

一見いかにも怪しそうなヒゲオヤジなのにである。

とにかく急いでいたので、礼もそこそこに、その充電池を貸して頂いて、店を後にした。

途中で電池が切れる心配をされていたが、そんなこともなく、結局自宅まで電池はもった。

お蔭様で貴重な思い出の写真を存分に撮ることが出来たのは本当にありがたかったと思っている。

戻ってこない事を覚悟した上で貸し出されたと思うが、その時の店長さんの判断と親切心に頭が下がるばかりである。

帰宅後、フル充電したのち、感謝の気持ちをしたためたお礼の手紙とほんの気持ちの謝礼と共に郵送にて返却した。

このブログを見ていただく事はないと思いつつも、この場においても改めて感謝の気持ちを表したい。

カメラのキタムラ 那覇・小禄店 店長 森雅彦さんへ

その節は大変お世話になりました。

本当に助かりました。

ありがとうございました。


沖縄旅行

2007-11-22 22:13:50 | 旅行記

沖縄から帰ってきた。Hibscs

両親を連れての5泊6日の旅だった。

木枯らし1号が吹き荒れて、寒さで震え上がった本土と違って、最高気温23℃の快適な毎日を過ごしてきた。

特に石垣島は、さらに3~4℃くらい沖縄本島より気温が高く、まるで本土の残暑厳しい9月頃の気候のようだった。

沖縄本島3泊、石垣島2泊(含む竹富島観光)と、限りなくのんびりとした日程で巡ってきたつもりだったが、それでも、80歳目前の父にはハードスケジュールだったらしく、最後の方は疲れて早く帰りたがっていた。

父にとっては沖縄の戦跡が一番関心が高く、沖縄本島で、その思いを果たしてしまうと、あとの付録のような観光は体力の消耗と共に興味が少々失せてしまったようだ。

私にとっては2年振り、4度目の沖縄だが、両親にしてみれば初となる今回の旅程、どこをどう巡るかで、かなり考えさせられた。

戦跡一本やりの父と綺麗な海を含む沖縄の自然を見たいという母、その両方を満足させ、尚且つ、のんびりとした無理の無いスケジュールにすべく考慮すべき点が多かったからだ。

結局、スケジュールは沖縄本島では美ら海水族館、ガラス工房での琉球ガラス制作体験、首里城そして、戦跡巡りという風にした。

そして、石垣島では車による島内観光と海の綺麗な川平湾でのグラスボートによるサンゴ礁と熱帯魚観察という定番を加えた。

そして、石垣島から高速船でわずか10分の距離にある竹富島を離島ツアーの締めくくりとした。

それにしても、マリンスポーツなどと全く無縁の、いかにも年配者のツアーらしい内容となってしまった。

よく旅行会社のツアーなどで売り出してる沖縄離島巡りのパックだと2日くらいで7島ぐらい平気で見て回るようだが、とてもウチの父にはついて行けない。

だからこそ、今までツアーへ参加できない父の為に行った事のない場所へ無理のないスケジュールで私がプランを立て、案内してきた。

そして、足が弱いなりに年に一度の旅行に何とか参加してきた父だが、今年は最初から弱気で来年からは行けそうにないと呟いていた。

体力面でかなり辛い事は一緒に旅行すればすぐに分る事だが、旅行への好奇心までが薄れてしまった事は、まだまだ元気にして欲しいと願う私としては、相当気がかりになってしまうことだった。

適当に受け流してみたものの、一緒に旅行に行けなくなるのはやはり寂しいし、今後の不安も同時に感じてしまった、今回の旅行だった。


秋の旅行

2007-11-14 00:05:12 | 日記・エッセイ・コラム

2年前にオヤジの喜寿のお祝いにと両親へ千葉での一泊旅行をプレゼントした。

それ以来、親子水入らずでの旅行がなんか定着してしまって、昨年は北海道・知床方面へ5泊6日の旅行をした。

今年は真反対の沖縄方面へ出かけることになった。

2年前にかなり足にきてるかなと感じたオヤジだが、まだまだ元気で今年も一緒に旅行へ行けるのは嬉しい限りだ。

面と向かって親に対して育ててもらった感謝の意を表すのは照れくさくて、今だに果たせてないが、こうして一緒に旅をすることで少しでもその気持ちを間接的に伝える事ができればと思っている。

沖縄は本土の9月中旬くらいの気温なので一番過ごしやすい季節のようだ。

ちょっと泳ぐには寒いが、年配者はビーチではしゃぐ必要もないので、わざと日差しの強い季節を外してプランしたのだ。

なもんで、本日よりしばらく留守にします。