禁煙ネタを2日続けて書いてみようと思う。書きたいネタはあまたあれど、そのタイミングが難しい。どれをどのタイミングで出そうかと頭を悩ます内、うまくまとめられないまま頭から消えていくものも多い。今日は昨日の余力をかって新鮮なうちにひねり出してしまおう。
過去に何回も禁煙に失敗しているのは何故か?今回どうしてもやめたいと願うのはどうしてなのか?自問自答してみるとよく分かってない自分がいる。
そこで、逆に何故煙草を吸い始めたのか?何故吸いたかったのか?喫煙を始めた原点に立ち返って少し考察してみれば、その分析から何かしらの答えを引き出せるのではないか?と考えてみた。
そもそも大多数の人が煙草に興味を持ち、吸い始めるのは大人への憧れ、そして早く仲間入りしたいその気持ちからでなかろうか?私の場合もそうだった。高校時代に喫煙を始めたのはまさしく大人の真似をした背伸びそのものだった。それと体制への反発、校則なんてその際たるもので、破る為にあるんだ位にしか思っていなかった。そして不良っぽいイメージがまたイイ。本当に大人になって、法的に煙草を吸うことが違法でなくなってからも、煙草を吸わないイコールまじめという固定観念が出来上がっていたような気がする。
別に不良ぶりたかったわけではないが、煙草を吸うのが絵になってればそれだけでイケテルと思っていたわけで、吸う仕草や吸うタイミング、そして小道具のライターで自分なりに演出すれば勝手に映画やドラマの主人公みたいな気分になれる。そんな思いをいつも抱いていた。
時代もそれを大いに後押ししていた。男性の喫煙率は80%を超えていたように思うし、いたるところで煙草を吸うのが当たり前の世の中だった。古い映画やドラマを見れば分かる、嫌煙や分煙なんてくそ食らえ!っていうカンジでがんがん吸いまくり状態。本当に隔世の感がある。
そんな時代から世の中少しづつ何かが変わり始めた。いかにも煙草を吸う仕草が似合うと思われるような男が私は吸いませんからときっぱり言われたり、火を借りようとすると、あっ俺やめたからライターないよ、とか言われたりしてあれって思える場面が増えてきた。内心、取り残されていくアセリみたいなものを感じつつ、今度は習慣化してしまってやめられない。
そんな時の禁煙だった。健康への害は明らかになり、吸わない人が増え、吸う場所が限定され、家族や友人たちまでがやめたほうがいいってアドバイスするので、ついやめることを宣言しちゃったという風にだ。
そんな風に人から言われても、形ばかりの禁煙にしかなり得なかった。つまり、本数を減らしてでも吸い続けたいという気持ちが常に心の奥底に潜んでいたと思われるからだ。従って、それからダラダラと4年にもわたって節煙生活を送る破目になったのである。理想は1日に3本だな、とか思っているうちは真の禁煙なんかできるはずがない。その節煙生活を通じて学ぶ物は何も無かったのである。
”禁煙→失敗→節煙→何かの拍子にいっぱい吸う→反省→禁煙”のむなしいサイクルを4年も続けてしまっていた。ほとほと自分が嫌になりこの小道具としての煙草を吸うことに決別をつけたのである。つまり禁煙→断煙→絶煙へのプロセスである。絶対に吸わないという、誓いをたてたのである。
そして昨日までの歩みが比較的に順調にきているのは、ブログでの禁煙仲間の存在のおかげである事は昨日述べたとおりだと思います。
今後とも、よろしくお願いします。m(_ _)m
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